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zoom RSS 京都史蹟散策94 無鄰菴の全貌 1

<<   作成日時 : 2016/01/07 09:08   >>

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京都史蹟散策94 無鄰菴の全貌 1

【位置】左京区南禅寺草川町
【交通】地下鉄 東西線 蹴上 
北西へ徒歩約10分
仁王門通り・南禅寺前の交番・西へ

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無鄰菴の前・右の駒札によると・・

無鄰菴(むりんあん)
この菴は、明治・大正時代の元老 山県有朋
(やまがた ありとも)が、
明治27年(1894)から明治29年(1896)
にかけて京都に造営した別荘である。【1】
その名は、有朋が出身地の長州(現在の山口県)
に建てた草庵が、隣家のない閑静な場所にあった
ことから名付けられたといわれる。
【1】 これより以前、
明治24年7月、普請の過程は不明だが、
木屋町二条(角倉本邸と木屋町通りを隔てた東側)
に別荘・無鄰菴を構えた。
しかし、これを拡張せんと、
翌年の7月13日の京都の日出新聞によると、
京都府に申請するも許可されず、
11月には、この無鄰菴を手放した。
わずか1年4ヶ月の短期間の所有地であった、と。
また、同新聞によると、山県は、
明治25年6月27日から、わずか2週間程度の
滞在であった、と伝えている。

庭園(国の名勝)は、有朋自らの設計・監督
により、平安人郡の庭園を手がけたことでも有名な
造園家 小川 治兵衛(おがわ じへえ)が作庭した
池泉回遊式庭園で、明治時代の代表的な庭園の
一つである。

建物は、簡素な木造二階建ての
母屋(おもや)【2】、
藪内流燕庵(えんあん)を模したといわれる茶室、
煉瓦(れんが)造二階建ての洋館の三つから成る。
【2】明治29年、建立。

洋館【3】は、明治36年(1903)に、
元老・山県有朋、政友会総裁・伊藤博文、
総理大臣・桂 太郎、外務大臣・小村寿太郎
の四者によって日露開戦直前のわが国の
外交方針を決める会議(無鄰菴会議)が
行われた場所として知られている。
【3】明治33年5月、建立。
1Fは、小川 治兵衛作庭の展示と
山県有朋の愛用品の展示。
2Fの無鄰菴会議・開催の間には、
江戸初期・狩野派の金碧花鳥図障壁図
が飾られ、花鳥文様の格天井で、
机、椅子などが展示されている。
       
            京都市

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後、昭和26年、明治期の庭園として
国の名勝に指定された。
玄関の門の左横には、それを示す、
名勝 無鄰菴庭園の石標がある。
玄関を入り、左側の窓口で入館料を払い、
潜り戸を抜けると、

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左側に母屋、右側に茶室と洋館があり、
中央の飛び石の道を行くと、庭園が広がる。
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庭園側から見た母屋
(二階建ての左側に潜り戸がある)
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左側の母屋だが、二階建ての方には
何もないが、平屋の方は客室風で床の間があり、
奥の部屋の欄間には、さりげなく額が
揚がっている。
これが、漢詩人・書家でもある長 三洲による
無鄰菴の書である。

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その前に、山県 有朋の経歴を振り返ると、
(京都史蹟散策・歴史の流れ 吉田松陰 11-2
 【141】参照)

安政5年(1858年)7月26日、
山縣小輔(有朋)ら
(藩命を帯びて情況偵察のため)上京する。
有朋、19歳の時。
(これは、藩府が松陰の意見を容れてのこと。)
京都で【久坂玄瑞】に知られ、その紹介で
帰国後、この年の9月、松下村塾に入る。
その名が知られるのは、慶応元年、
高杉晋作の【奇兵隊の軍監】の頃から。

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一方、長 三洲は、
豊後国(現・大分県)出身で、
本姓は、長谷 氏であり単称して長と称する。
幼名は富太郎、通称・光太郎、名はB(ひかる)。
字は世章。三洲、蝶生、韻華、などと号する。
父は、儒家・長 梅外の第三子。
安政4年(1857年)、尊王攘夷論に傾倒し、
国事に奔走。薩長同盟、の立役者の一人
でもある。
元治元年(1857年)、【奇兵隊】に参加し、
英米蘭仏四国連合艦隊と交戦。
明治元年、奇兵隊に復帰し、越後口征討軍の参謀、
戊辰戦争には奥羽征討に転戦した。
維新後、長 三洲は、
明治5年、文部官僚となり、
日本の学制の礎を築くと共に、
近代学校制度に習字を位置づけ、
漢学の長 三洲、洋学の福沢諭吉と
明治前半期の教育界の双璧を成した。

上記を踏まえ、篇額の文を起文して見ると・・

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無鄰菴之記
文久慶応間 山縣伯相總管奇兵隊
是時内外忠難和踵 公奔走砲石間
不遑寧居 丁卯歳
四疆之事稍息 公於吉田山營之南
築小屋命曰無鄰菴 其地泉潔清砂白
繞以松竹 幽邃深A四無隣
竝有詩曰 清水山前遠市囂
疎松寂寂竹簫簫 有人若問吾茅屋
一經斜通獨木橋 然京師漢關東之事
殷憂未巳 明年國勢大變
天日再明 其後公位在内閣
孜々求治 未嘗得後孚樂之境也
今茲辛卯 卜別業於京師鴨川西涯高瀬分流處
老樹重陰 水行其際
蒼翠之色 潺湲之聲 
怡目洗耳 殆忘在都門塵中埃
公復取舊號以名其居 蓋追憶往事
不能忍懐 故以明不忘舊之意也
命余書其扁 因再記其由爾
  三洲 長B

【意訳】
文久・慶応、年間、山縣伯爵は、
奇兵隊総監にあり、この時、内外不穏で、
山縣は、戦地を駆け抜け、落ち着く暇も
なかった。
時に慶応3年(1867年)のこと。
四境戦争が収束すると、山縣は、
吉田山(山口県)の南に小屋を築き、
無鄰菴と名付けた。
其の地は、渚、清く、砂白くして、
周囲は松竹に囲まれ、隣家のない閑静な處
であった。
また、(杜甫の)詩にもあるように、
前は清水山で街から遠く、疎松は、寂寂、
竹は、簫簫(しゅうしゅう)風の音、
人ありて、若し問えば、吾は茅屋にあり。
見渡せば、斜通に、木橋あり。
然り、山縣、京都、特に、関東の事を憂う。
翌年、国勢は大変し、天日再明。
其の後、山縣は、内閣総理大臣にあり、
政治に汲々とし、未だこの仙人の境地を
得られなかった。
明治24年(1891年)、 いまここに、
山縣は、別業を営み、京都鴨川西涯の
高瀬川、分流の處 (木屋町二条の無鄰菴のこと)
に、老樹が陰を成し、その傍らに水が流れ、
緑が美しく、鳥のさえずりが聞こえ、
目を洗い、耳を和(なご)ます。
殆ど、都門の塵中にあることを忘れる仙人境。
山縣、旧号・無鄰菴を以て、その居に名付ける。
およそ往事を思い出すに、忍び難く、
故に、以て往時の意を忘れず、明らかにする
ものである。
私(長 三洲)は、(山縣に)この篇額の書を
依頼される。
ちなみに、これが再び、(私・三洲に)
その記を作らしめた。
          三洲  長B  

だが、その記が出来上がる前に、
三洲は、帰らぬ人となる。
そこで、有朋は、上記の文を欄間に掲げ、
その後のことを下記の文を以てした。

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洋館の展示(撮影可)より。
  在りし日の無鄰菴
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これを起文してみると・・

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予甞卜地于鴨崖 結一小蘆
嘱長三洲書無鄰菴舊號 以為扁
即此額也 蓋距今七年矣
後三歳 厭其地稍閙
更相山幽水浄之處 定為今居
將再煩三洲  而會其没
因掲舊扁於C間 
顧三洲會同予竭力於國家多難之時
今也則亡 毎對此篇
未甞不想起其人也
  明治二十九年小春
       含雪居士識

【意訳】 
私は、鴨川の西崖に小さな一庵を結んだ。
(木屋町二条の無鄰菴のこと)
(これを機に)長三洲に旧号・無鄰菴の
の文を託し、以てそれを扁額とした。
この額がこれである。
その後、七年、三年が経ち、その地とは
疎遠となる。(そこで、)
更に山幽水浄の所に今の住まいを定めた。
まさに再び三洲を煩わすことになるも、
会えることなく三洲は没する。
これにちなみ、旧額を(この居の)欄間に
掲げる。
顧みるに、三州と会したのは、
私が国家多難の時でその力を尽くしている
時であった。
今、その時は去り、(私は)
いつもこの扁額を眺めている。
あえて其の人を想い出されんや。
   明治二十九年 小春



翌年、有朋は、この無鄰菴で歌を詠む。
こからしの 紅葉さそひしあしたより
  みとりにかへる ひんかしの山

そして、この篇額を背にして、
母屋からの庭園を眺めることにする。

以下は、室内の二方向から見た庭園を
並べてみました。

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秋の紅葉時期も美しいのだが、
其の頃は、小川周辺の緑が変色するので、
新緑のこの時期を好むひとも多いとか。

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さて、この庭園を手がけたのは、小川 治兵衛で、
洋館の一階に写真とともに、その説明、および
彼の手がけた庭園の写真が掲げられている。

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それによると・・
小川 治兵衛(おがわ じへえ)
万延元年〜昭和8年(1860〜1933)
万延元年(1860)京都府乙訓郡神足(こうたり)
村に生まれる。
明治10年(1877) 造園を業とする
「植治(うえじ)」こと小川家の養子となり、
明治12年(1879)七代目小川 治兵衛を襲名する。
その後、小川 治兵衛は法然院や
久原(くはら)庄三郎(久原工業社長)邸などに
出入りするようになり、その久原の紹介で、
山県有朋が南禅寺近くに建設する別荘「無鄰菴」
の作庭を手がけることになる。
山県有朋はこれまでの伝統的な作庭に批判的な
考え方を持っており、小川 治兵衛に対し、
新しい感覚で次々に注文を出すが、
治兵衛はその期待にこたえて、この無鄰菴庭園を
見事に作り上げるのである。
以後、小川治兵衛は近代庭園の先駆者として、
独自の作風を作り上げ、平安神宮神苑をはじめ、
数々の名園を作る。
無鄰菴庭園は、「植治(うえじ)」こと小川治兵衛
の初期の作品で、後の近代日本庭園の原点とも
いえるものである。
昭和8年(1933)、73歳で死去。

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この無鄰菴は、東山を借景とした池泉廻遊式で、
琵琶湖疏水の水を取り入れて、
庭の一番奥に醍醐寺・三宝院庭園の三段の滝を
模した滝がある。
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滝は、一つ目は、右へ。二つ目は、左へ。
そして三つ目は、右へと交互に水を落としている。
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庭の大石は、京都・醍醐の山から切り出した
もので、何十頭もの牛に引かせて運んだと云う。
また、紅葉の時に緑が変色すると上述したのは、
苔でなく、当時としては斬新だったであろう芝が
植えられているから。

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また杉、檜、樅などの樹木が庭内に見られ、
これらの巨木が、この庭の主役になっているのも
見逃せない。

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冬には、冬で、
室生犀星の昭和9年5月の随筆集「文藝林泉」
京洛日記では、
山縣さんの別邸であるが、瀧の落口から右よりの
疎林が美しい冬どきの枯枝を揃へてゐた。
水を淺くとり、石を低く、ながれのへりが
細かい好みを表はしてゐた。・・・

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庭の中ほど、右手側に石碑がある。
無鄰菴のパンフ・無鄰菴平面図には、
「御賜稚松之記」碑とあるだけで、
説明がないので、紹介することに。

御賜稚松之記・碑
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かつて、山県有朋が明治天皇に拝謁した折、
この庵の話になった。
有朋が、
京都には古来名家の手に成った
名園が多くあれども、御所を除いては、
恐らくは我が無鄰菴に及ぶものが無かろう、
と云うと、天皇はこれをお聞きになり、
有朋は、京都御所にある稚松を賜る。
そして、これを庭園に植えて、詠歌を
献上した。
すると、後、明治34年4月27日に
得題辞侍従長よりお礼の書簡が来た。
その後、有朋はこの生育した松を撮影して
ご招待したが、それは叶わなかった。
そこで、明治34年7月、有朋は自ら、
この稚松の記をつくり、石に刻して
この庭に建てた。

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(碑文)
御賜稚松之記
過人休間南禪寺。
一帯青松路不迷と頼山陽の歌ひたる並木の
かたほとりに、たなそこばかりの土地あり。
そが中に細き流れあり、草川と云ふ。
風趣の幽潔なるは、此にまされる處やはある。
此松陰とながれとを友として老を送らばやと。
年ごろ草庵を結び無鄰菴と名けぬ。
自然の風致には富みたれど、
ながれの細きがいさゝか物たらぬ心地すれば、
琵琶湖の疏水を松杉深きあたりに引入れしに、
落る瀑の音はげしくて、
みやまのおくもかくこそあらめと
思ふばかりなり。
又ながれのゆるやかなるは、
砂白く底すみて魚のひれふるさまなど見ゆ、
巖のふしたるも立てるもあり。
又、ふたつみつかさなりたるもをかし。
苔の青みたる中に、
名も知らぬ草の花の咲き出でたるもめづらし。
水に横たはれる楓の枝に、かはせみの來たりて、
魚を窺うさまなどいと見所多し。
春はあけはなるゝ山の端のけしきはさらなり。
夏は川どのにすみわたる月の涼しさ。
秋は夕日のはなやかにさして、
紅葉のにほひたる。
冬は雪をいたゞける比叡の嶽の窓に
おちくる心地して、
折々のながめいはむかたなし。
中に一きは目だちてあはれふかきは
雨のけしきなり。
此狭き園に萬象をこめ、
幽邃の中に豪壮を含み、
風雅の間に快濶を帯びたる趣あり。
晨には文をよみ、夕には歌を詠じ、
あるは茶を出し、碁を圍み、
又は酒を酌み、時には古今を談論するなど、
たゞに世の塵洗ふのみかは。

さるに此草蘆の成りたる事をおもほえずも、
かしこき御あたりにもきこしめさせたまひて、
禁苑の稚松二株を賜ひければ、
つゝしみてこれを園の中にうゑ、
朝な夕な養ひたてたるに、
あまたの日數もへざるに、
緑の色うるはしくおひしげりて、
雲を凌ぎ、龍となりぬべき勢ひあれば、
之を寫して奉りけるに、
御製一首を賜ひぬ。

其御歌は、
京都の宮廷の松をいぬるとし山縣有朋に
おくりけるにかく生しけりとて
寫眞を見せたるによめる

おくりにし若木の松のしけりあひて
老の千とせの友とならな舞

あはれ今より鬱蒼たるみどりの蔭は、
長く此園をおほひ、千年をよばふ松風のもとに、
おきふす身のたのしさは、いかばかりぞや。
限りなきよろこびのあまり、
よみてたてまつりたるえせうた、

みめくみのふかきみとりの松かけに
老もわすれて千代やへなまし
おいしけれ松よ小松よ大君の
めくみの露のかゝるいほりに

この得がたきみめぐみを蒙りたることのもとすゑ、
いさゝかかいつけ、この菴の記念とはなしぬ。
  明治三十四年十一月天長節前一日
       無鄰菴主 有朋

御賜稚松之記・拓本
(著作権満了のものより)
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碑から母屋を見る。
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            (続く)

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