京都史蹟散策61 富岡鉄斎邸跡

京都史蹟散策61 富岡鉄斎邸跡

【交通】地・烏丸線・今出川
【位置】室町通一条下る東側

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【石標】 富岡鉄斎邸跡
昭和五十六年十一月 上京文化振興会建之

富岡鉄斎 幕末までの独占会見

若い頃? それは、もう~
師匠捜しと勉強三昧でしたね。

多くの師と仰げる人々との交流が、私の画風、人生に
かけがいのないものを残しました。

敬称は略しますが、15の頃は、大国 隆正
(おおくに たかまさ)から国学や勤王思想。
岩垣月洲(いわがき げっしゅう)から国学から分離した漢学、
儒教の一派の陽明学や詩文を習い、

18の頃は大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ)に預けられ
歌、陶芸ほか薫陶を受けましたね。

19の頃は、画壇、南北合派の窪田雪鷹、大角南耕から
絵の手ほどきを受け、小田海僊(おだ かいせん)が
頼山陽に感化され南画に転向し、1854年にかけて画室を
設けた頃に折よく、勉強しました。

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そして、1861年、23歳頃、長崎に遊学しましてね。

長崎南画派の長崎三大家のふたり、鉄翁 祖門
(てつおう そもん)木下 逸雲(きのした いつうん)
から南画を習いました。特に
小曽根 乾堂 (こぞね けんどう)は、坂本龍馬や勝海舟と
関係があり、亀山社中の出資者となり、亀山焼工場跡地を
本拠地に斡旋し、海援隊本部を小曽根家に置かれた方です。
そんな方に指導を受けて光栄でした。
できれば、龍馬さんにもお会いしたかったですけど。

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そしてその翌年でしたが、書家、政治家で生涯の友になった
山中静逸(やまなか せいいつ)に出会いました。
この頃、彼は伊勢から京都に出ていて、梁川星厳、
頼三樹三郎、梅田雲濱らの勤王の志士の方々と
交遊していました。
で、これがきっかけで、画業で生計を立て始めることに
したのです。
それで私塾を開きましてね。
天誅組三総裁のふたり、藤本鉄石、松本 奎堂
(まつもと けいどう)、
淡海 槐(おうみ かいどう)他 江馬 天江
(えま てんこう)、平野 国臣らの方々とも交遊しました。

まあ、そんなところで、これらの方々の礎(いしずえ)
があって維新後の画壇での私の活躍は、皆様の知る
ところとなったわけです。

そして、47歳の時にこの邸宅を終の棲家としました。

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では あっ、そう~そう~
忘れてましたが兵庫県宝塚市の鉄斎美術館、
西宮市の辰馬考古資料館へ行くと私の多くの作品が
見られますので・・・

石標から北を見る
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石標から南を見る
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