京都史蹟散策・歴史の流れ 大久保利通 20

歴史の流れ 大久保利通 20  明治10年 1877 48歳

明治10年 1877 48歳 
1月4日 天皇、地租軽減の詔勅を発せらる。

(1月5日より2月12日まで、大久保利通日記、
      此の間不記 となっている)

1月11日 皇太后陛下、東京を発し、京都に行啓【199】
       あらせらる。

【199】 行啓(ぎょうけい)
皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃の外出のこと。

●1月18日 利通、木戸孝允と会見、時事を論じ、
      参議、復職につき懇談する。

1月23日 御発輦(はつれん)、大和および京都に行幸
     あらせらる。

1月30日 天皇、先帝の陵に親謁、十年祭を修し給う。

1月30日 鹿児島私学校の徒党【200】、政府の陸軍
火薬局および海軍造船所を襲い、
      兵器弾薬を掠奪する。

【200】 西郷隆盛は、明治6年6月、鶴丸城・厩
(うまや)跡に、砲隊・銃隊・賞典学校からなる
私学校を設立していた。
この結果、西郷隆盛は、生徒多数を罪人として
召し出すか、官軍に反抗するかの選択を迫られる。

2月3日 私学校の徒党(は)、東京より帰省せる少警部・
     中原尚雄【201】らを故意に捕え、拷問を加え、
     挙兵の口実を作る。

【201】 中原尚雄 (なかはら なおお)
薩摩藩。警察官。
同年、1月11日、同郷の大警視・川路 利良の許可の
もと同僚らと帰郷した。
この帰郷は、私学校と西郷隆盛の動向の偵察のためと
される。
一方、私学校側は、これを西郷暗殺の陰謀の証拠とし、
中原とその同僚を捕えた。
結果、西郷暗殺の陰謀を自白するも、3月10日
海路にて鹿児島入りの柳原前光勅使一行に救出される。
後、東京に移送され、高知、山梨、福岡県の警部長を
歴任した。

2月5日 陛下、親臨、京都・神戸間・鉄道開通式を
      挙げさせ給う。

2月5日 利通、川村純義 海軍大輔【202】、
      林友幸・内務少輔を鹿児島に遣わし、
      私学校党の情勢を偵察せしむ。

【202】 川村純義(かわむら すみよし)
薩摩藩士。通称、与十郎。
妻は、西郷隆盛の母方の従妹。
安政2年(1855年)薩摩藩より選抜され、幕府新設の
長崎海軍伝習所へ。
戊辰戦争では、会津戦争で活躍。
維新後は、明治政府・海軍整備に尽力、
海軍大輔となっていた。

●同日、川村純義らの鹿児島出張につき東京より
神戸に向け、利通、電報を発し、西郷隆盛と
面談・説得を主とすべく予め川村純義に
注意する所あり。

(2月7日 利通、伊藤博文に天下、瓦解の恐れあり、
       と手紙を書く)

2月9日 川村純義海軍大輔ら鹿児島に赴き、
      西郷隆盛と面接せんとして得ず。【203】
     12日、尾道に引き返し、私学校党の反状、
     明白なる旨を政府に報告する。

【203】県令・大山 綱良(つなよし)と会談、制止に
努めるも私学校党幹部による妨害もあり不首尾となる。

●2月10日 利通、大山綱良 鹿児島県令よりの
        上申書を岩倉具視に提出する。

2月11日 天皇、畝傍山の御陵に親謁し給う。

●2月13日 利通、行在所の召により京都に向け
        急行する。

2月15日 西郷隆盛・桐野利秋【204】、篠原国幹【205】、
       村田新八【206】ら、兵1萬5千を
       率いて鹿児島を発し、肥後に向かう。
       県令・大山網良、賊の軍資と出兵を授く。
       (西南戦争、始まる)

【204】桐野利秋(きりの としあき)
薩摩藩。初め中村 半次郎と称す。
人斬り半次という 異名を持つも実際は、上田藩士・
ひとりだけとされる。
雅号には、鴨溟(瞑)の文字。
文久2年(1862年)、島津久光、上洛後、西郷隆盛の
配下として鳥羽伏見の戦い、会津戦争で活躍。
維新後、鹿児島と新政府のパイプ役になるも
明治6年、西郷隆盛が下野すると、辞職し帰郷した。

【205】篠原国幹(しのはら くにもと)
薩摩藩士。通称・冬一郎。
文久2年(1862年)、伏見寺田屋の変に遭遇。
鹿児島に送還されて謹慎。
後、鳥羽・伏見の戦、会津攻城戦で活躍。
維新後、陸軍大佐、後、陸軍少将に昇進。
明治6年、西郷隆盛が下野すると、天皇の遺留にも
従わず、帰郷した。

【206】村田新八(むらた しんぱち)
薩摩藩士。初め経麿、後、経満(つねみつ)。
年少より西郷隆盛に兄事。
文久2年(1862年)、西郷隆盛が沖永良部島に。
村田も同罪により喜界島に。
2年後、西郷隆盛と共に鹿児島に帰還。
後、禁門の変、戊辰戦争と国事に奔走。
明治4年、岩倉使節団の一員で欧米視察。
明治7年、帰国。西郷隆盛の下野を聞くと、
辞職し帰郷した。

2月16日 車駕、大坂より京都に着、御あらせらる。

●2月16日 利通、京都に着す。
     直ちに三條実美に謁見して自ら
        鹿児島に往き、西郷隆盛と面接し、
        大義を説かんことを請う。
        朝議、これを許さず。

●2月17日 三條実美、利通及び木戸孝允と参朝し、
        鹿児島出兵および勅使差遣のことを
        決して親裁を仰ぐ。

2月19日 政府、有栖川宮を征伐総督となし、山縣有朋、
      川村・陸海軍中小を参軍となし、以下
      征伐軍要部の任命あり。

2月21日 賊軍、進んで熊本城に迫り、これを囲む。

2月26日 議官・柳原前光を勅使として、
      鹿児島に遣わし、島津久光・島津忠義の
      両公に征伐の朝意を奉体せしむ。

●2月28日 政府、内閣行署を大坂に置き、利通、
        大木喬任・伊藤博文らと共に
        出張して征討の機務に当たる。

3月1日 柳原前光勅使、黒田清隆を従えて神戸を
      解らん(出港)し、鹿児島に向かう。

3月8日 柳原前光勅使、鹿児島に着し、島津忠義に
      勅書を授く。

●3月10日 利通の依頼にて伊地知正治、
        鹿児島県乱後、撫育見込書を贈る。

3月11日 官軍、田原坂を占領する。

3月13日 柳原前光勅使、鹿児島を発し帰途に就く。
       県令・大山綱良および中原尚雄を
      同船(で)護送する。

3月14日 賊背、衝撃の廟議、決し、黒田清隆を
      参軍となす。

3月21日 岩村通俊【207】を鹿児島県令に任じ、
       人身鎮撫窮民救助のことを
       (監)督(激)励する。

【207】岩村 通俊(いわむら みちとし)
父は、土佐藩陪臣・岩村英俊。土佐、宿毛生れ。
岡田以蔵のもとで剣術を学ぶ。
明治2年政府に出仕し、
明治4年(北海道)開拓使判官。
札幌の区画を京都に倣い、条・丁目とし整理する。
明治6年佐賀県権令。
明治9年山口地方裁判所長をしていた。

同月、島津久光・島津忠義、上書きして特に法庭を設け、
   西郷隆盛、大久保利通、川路利良らを対決せしめ、
   奏任官以上の陪審に付し、西郷隆盛暗殺事件の
真相を明らかにし、然る後、征討せられんことを
請う。(【201】参照)

4月8日 熊本城攻園を受くること50日余、同日、
      城外の官軍と連絡を通す。

●4月10日 利通、書を大隈重信大蔵卿に送り、熊本県兵
        燹羅災者(戦火による被災者)に
        150萬圓の救助を要求する。

(4月10日 伊藤博文、利通に山口の近衛兵の集まりが悪い
        と手紙で報告する)

●4月18日 賊軍の大勢定まり、同日、利通、京都に還る。

4月20日 西郷隆盛ら、退きて人吉に拠る。

4月23日 島津久光(の)其の子、珍彦・忠欣の二人を
      上京せしめ、曩日(のうじつ・さきの日)の
      勅旨に奉答する。

4月25日 黒田清隆参軍、別動旅団を率いて
       熊本城に入る。

5月26日 内閣顧問・木戸孝允、京都に於て蒙(死去)
       する。

(明治天皇も見舞われる。
木戸孝允、利通の手を握り締め、
西郷もいいかげんにしないか。
と、明治政府と西郷の両方を案じる言葉が最期であった)

5月29日 西郷隆盛ら、人吉を去って宮崎に退く。

6月 高知立志社員、不軋を謀る。【208】
   政府社員・村松政克【209】・藤好静らを捕縛する。
   【210】

【208】立志社(りっししゃ)
明治7年4月、高知に帰郷した板垣退助が片岡健吉、
林有造らと結成した自由民権運動推進の中心となった
代表的結社。
立志学舎や法律研究所を設立。
社長は片岡、社員は1,000人に及んだと云われる。
これ以後、各地域に結社が設立される。
立志社跡の碑が高知市帯屋町1丁目(中央公園内)にある。

【209】村松政克 (むらまつ まさかつ)
土佐高知藩士。
明治9年、高知師範教員となるも西南戦争、勃発後、
桐野利秋らと通じ同志を集めようとしていた。

【210】西南記伝によると、
此時に當り、立志社は一方に於ては、板垣退助の意見に
従ひ、民選議員建白に決したりしも、一方に於ては、
藤好静、村松政克を戦地に派し、薩軍の形勢を視察
せしむるに決したりき。
【捕縛され、その供述の結果】
(前文略)藤、村松が桐野に対して挙兵を約し、
桐野が藤、村松に対して十分準備の上、
兵を挙ぐべしとの注意を與へたるは、事
実なり。(中略)
藤は、明治十年八月三十日の口供に於て
「高知県に於て、兵を挙げんと企てたるものは、
全く自分のみにして外には一人もなし」と言ひ、又、
「日州行の企よりして挙兵を謀りしこと等、都て
自分ひとりの発意にて、他に関係せるもの一人も
なし」と言ひ・・・(中略)
藤、村松の言は或る意味に於て立志社に於ける
硬派の意志を代表したるものと看破さんも不可
なかるべければなり。
             とある。

●7月 朝鮮飢饉につき、救助を求め来れるを以て、
      隣国の急座、視するに忍びず。
      特に戦時御用船を供して米穀を輸送せしむ。

7月30日 車駕(しゃが)、東京に還幸あらせらる。

8月2日 利通、大坂より海路、帰京する。

8月15日 西郷隆盛ら、日向の永井村に拠り尋ねて、
       可愛嶽【211】を突破して鹿児島に向う。

【211】可愛嶽 (えのだけ)
高さ、728m。宮崎県北東部にあり、浸食受け、
地形険しい山。
薩軍1,000人の西郷隆盛らは、官軍50,000人に
完全に包囲され、突破された。

●8月20日 利通、フランス博覧会事務局総裁を
        命ぜられ、松方正義、副総裁となる。

8月21日 内国勧業博覧会、開会式を行う。
       聖上、臨幸勅語を賜う。

9月1日 西郷隆盛ら、鹿児島に入り城山に拠る。
      【212】官軍、攻撃の部署を定む。

【212】可愛嶽、突破後、三田井(高千穂町)へ出、
西郷は、鹿児島へ帰っど、と帰郷を決し
8月31日、鹿児島まで約20キロ目前の蒲生に着。
鹿児島すでに川路利良・警視庁巡査隊・1500人と
軍の一部に占領されるも、薩軍・370余人、
三隊に分かれ私学校を奪回後、市内に突入し
城山を占領した。

●9月24日 城山、陥落し、西郷隆盛以下、戦死する。
       【213】 (西南戦争、終結)
       後数日、利通、重野安繹を招き西郷隆盛
       の伝記を編纂せんことを依嘱する。

【213】西郷隆盛の首の行方は、
西南記伝の文中、
・・・2. 征西戦記稿
  折田正助の門前に埋めしを知り、直ちに之を捜索し
午前9時(遊撃隊の部下兵卒 前田恒光之を
獲たり・・・の説が最も有力とされる。
後、浄光明寺跡(現在の南洲神社の鳥居附近)に
埋葬され後、現在の南洲墓地に改葬された。
そして、戦闘終了後、今村の岳父・千田登文らにより、
首も発見され山縣有朋の検分後、手厚く葬られた。
このいきさつについては、今村 均著・
「私記・一軍人六十年の哀歓」に詳しい。

また、2014.3.7 の産経ニュースによると・・・
切腹した西郷隆盛の首を発見した当時の官軍の将校が
書いた「履歴書」が、金沢市の実家から発見。
南洲墓地に眠る「西郷の首」は本物であることが
明らかになった。
「履歴書」によると
「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」
「探索ヲナシタルニ、果シテ門脇ノ小溝ニ埋メアルヲ
発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、
浄光明寺ニ到リ山県(有朋)参軍、曾我(祐準)
少将ニ呈ス」とある。

さらに、西南記伝によると、
  開戦以来、城山陥落に至るまで、
  官軍の死傷を調査するに、
  其総計一萬六千九十五名の多きに達せり。
(一方、薩軍側は、)
  ・・刑に処せらるるもの二千七百六十四名あり。
  ・・又、戦没、病没の数は、・・
  総計七千二百七十六名也き。
とあるが、西南戦争における死亡者数としては、
官軍6,403名、西郷軍6,765名が常説となっている。


9月30日 政府、三田育種場、開場式を行う。

10月10日 征討総督・有栖川宮、東京に凱旋する。

●同日、書を岩村県令に贈り、戦後、大いに窮迫せる
      士族に授産の途を講ぜしむ。

●10月20日 利通、上州・新町・屑糸紡績工場の
        開業式に臨場する。

●11月2日 利通、佐賀暴動鎮定、ならびに清国談判の
        勲労を賞ぜられ、勲一等に叙し、
        旭日大綬章を賜る。

11月20日 政府、内国勧業博覧会、賞牌授与式を行う。

11月30日 政府、内国勧業博覧会、閉場式を行う。

12月24日 曩(さき)に中原尚雄ら九州臨時裁判所に
       於て、西郷隆盛暗殺事件に付き審問中の處、
       同日を以て事実全く無根のことに判決あり、
       中原尚雄以下、皆、無罪を言渡さる。

●12月24日 利通、正三位に陞叙勲章に年金を
         付与し、特に勅語を賜う。
  汝、利通、曩(さ)きに佐賀県の暴動あるや速やかに
  鎮静の功を奏し、台湾の挙、重任を奉し、
  清国に赴き、克く其の事を弁理し両国の平和を保てり。
  朕、深く其の勲労を嘉賞す、仍て、位一級を進め
  且つ、前日授くる所の勲一等旭日大綬章に年金
  七百四十圓を付与する。


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