京都史蹟散策95  八坂神社の全貌 4

京都史蹟散策95  八坂神社の全貌 4

八坂神社

【位置】東山区祗園町北側
【交通】市バス 祗園 徒歩すぐ

●大国主社
北向蛭子社の前に南向きにある末社。

画像


雪の日の大国主社
画像



説明板によると・・

祭神
大国主命(おおくにぬしのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)

大国主命は大己貴神(おおなむものかみ)・
八千矛神(やちほこ)神・
その他多くの名をもち本社の
祭神素戔嗚尊(すさのをのみこと)の御子とも
六代の孫とも伝えられます。
出雲の神さまで俗に「大黒(だいこく)さん」と
いわれる福の神であり、
縁結びの神とされています。
事代主命はその御子、少彦名命は
医薬の神で大国主命とともに
国造りに励まされました。
     と、ある。

画像



大国主命は、6度、結婚して、
子供が181人、いたとされています。
女性にモテすぎ!
男性にとっては、何とも・・

社の手前、左に、大黒さまと白うさぎ
の像が、最近できた。
これにより、参道を歩くひとの目に留まり、
以前よりも参拝者が増えた、とか。

画像





●太田社
大国主社の左側に西向きにある末社。

画像


雪の日の太田社
画像


説明板によると・・

祭神
猿田彦神(さるたひこのかみ)
天鈿女命(あめのうずめのみこと)

猿田彦神は天孫降臨【20】に際して日神の
使として先導の役割を果たした導きの神と
されています。
天鈿女命は天照大神の天岩戸隠れに際し、
岩戸の前に神楽を舞ったかみであり、
天孫降臨にお供をして猿田彦神と対面して
ともに導き、宮廷神楽を奉仕した
猿姫君の遠つ祖であり、芸能の神と
されています。
【20】天孫降臨(てんそんこうりん)
日本神話で、天孫の邇邇芸命
(ににぎのみこと)が、天照大神の命で、
葦原中国(日本の国土)を治めるために
日向国(ひゅうがのくに)の高千穂峰
(たかちほのみね)に天降(あまくだ)
ったこと。
(古事記・日本書紀の総称、記紀(きき)より)

画像


●一枚岩の句碑灯篭
上記、太田社の右側にある。

画像


【表面】
献灯
五代目 鶴澤友次郎xx 【21】

(ねずみの絵)

世喜(よき)春尓(に)
登飛可(とひか)へりけ利(り)
和多鼡
(よき春に とびかえりけり 和多ねずみ)
       門人 明治連  建立

【裏面】
明治34年7月

【21】鶴澤 友次郎
文楽、江戸時代前期・大坂の竹本義太夫が
始めた浄瑠璃の一種で、義太夫節の
三味線方の家名、つまり名跡である。
5代目は、慶應2年(1866年)に襲名。
明治14年に、5代目野澤喜八郎を襲名するも
同年暮れ、友次郎に復名している。
また、燈籠を囲んでいる玉垣の一本に
吉田小廉、井筒愛吉、山西松吉 の名が
刻まれている。

画像




摂社
●疫神社(えきじんじゃ)

八坂神社・西楼門から入ると真正面にある。
八坂神社には、ふたつの摂社があり、
摂社・悪王子社と、疫神社が、それである。

画像


雪の日の疫神社
画像


説明板によると・・
疫神社
 祭神 蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)

むかし祖神(おやがみ)が諸国を巡って日暮れに
宿を請うたところ巨旦将来(こたんしょうらい)は
富み栄えていたのに貸さず、蘇民将来
(そみんしょうらい)は貧しかったけれども
粟穀で座をしいて粟の粥で手厚く
もてなしましたので、
「われはハヤスサノヲの神なり」といい、
後年疫病が流行しても茅(ち)の輪をつけて
「蘇民将来命の子孫なり」といえば、
災厄から免れしめると約束され、
巨旦将来の子孫は皆絶えてしまいましたが、
蘇民将来の子孫は今に栄えています。【22】

  例祭1月19日  夏越祭7月31日 【23】

【22】備後国風土記の逸文による。
【23】正式名称は、疫神社夏越祭
(えきじんじゃ なごしさい)
毎年、7月31日には、
疫神社前には、大きな茅の輪が設けられ、
多くの参拝者が、これをくぐり厄気を祓い、
蘇民将来之子孫也の護符を授かる。
7月1日からの祇園祭り、最後の神事である。

画像


通常、神社名は、鳥居の額束(がくづか)の扁額に
揚げられるが、ここ・疫神社では、石の額束に
神社名が、直接、彫られている。

画像




●日吉社
八坂神社・東北門の左手前に南向きに
ある末社。

画像


祭神は、大山咋神(おおやまくい の かみ)と
大物主神(おおものぬし の かみ)。

大山咋神は、別名を山末之大主神
(やますえのおおぬしのかみ)と云い、
素戔嗚尊の三世の孫。
名前の咋(くい)は、杭、すなわち、
大きな山の所有者の神の意で、
また、農耕(治水)を司る神とされる。

画像


大物主神は、七世の孫で大国主命の
分魂(わけみたま)。
大物主は、蛇神であり、
稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)
などの神。

京都の鬼門(北東)を護る方位除けの神で、
4月の初申日(はつさるのひ)に日吉社祭が
行われる。

この日吉社の右前の大木の根元に石がある。
これは、夜泣き石と云われ、夜になると
泣き出すと伝わる。
夜泣きの子どもが祈願すると、
夜泣きが直ると云う。

日吉社の夜泣き石(東北門が見える)
画像




●刃物神社

日吉社の左手に、南向きにある末社。

画像


祭神は、製鉄・鍛冶の神・天目一箇神
(あめ の まひとつ の かみ)。
播磨国風土記によると、
土地の女神・道主日女命
(みちぬしひめのみこと)が、父親不詳の子を
産むも、諸神から子が盟酒(うけいざけ)を
天目一命についだ、ことから、
子の父であるとわかったと云う。

画像


社の右前に、石碑・刃物発祥地 があり、
その左側に、刃物大神の由来の石碑がある。


それによると・・

刃物大神の由来
京都は、平安の時代より明治維新に至るまで
王城の地として栄え、その間、刀剣を始め
刃物の製作に幾多の名工を輩出、
刃物発祥の地として隆盛を極めてきました。

刃物の基礎は この地の土壌に培われ、また、
ここで修行せし人びとをも各地え【原文ママ】
転出させ、その技術を源流として
それぞれ刃物産地の基磐を確立いたし、
現在に至っております。

わたくしたちは、これら祖先の偉業を偲び
伝統をうけつぎ、京刃物の真髄を後世につたえる
とともに、業界の振興と啓蒙を目的として、
ここに有志相図り刃物神社を奉建するに当り
その由来を識す。
  昭和48年11月8日
     刃物神社建設委員会

毎年、11月8日には、ふいご祭が行われ、
刃物の供養が行われ、無料で包丁を
研いでくれるとか。

刃物神社
(社の奥・刃物大神と刻まれた大岩が鎮座する)

画像





●五社
刃物神社の左側にある。

画像


左側にある説明板によると・・

五社(ごしゃ)

八幡社(はちまんしゃ)
応神天皇(おうじん てんのう)
(武の神) 例祭日 9月15日

竈社(かまどしゃ)
奥津日子神(おくつひこのかみ)
(竈の神) 例祭日 11月28日
奥津日売神(おくつひめのかみ)
(竈の神)

風神社(かぜじんじゃ)
天御柱命(あめのみはしらのみこと)
(風の神) 例祭日 4月4日
国御柱命(くにのみはしらのみこと)
(風の神)

天神社(てんじんしゃ)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
(薬の神) 例祭日 12月8日

水神社(みずじんじゃ)
髙竈神(たかおかみのかみ)
(水の神) 例祭日 6月1日
罔象女神(みずはのめのかみ)
(水の神)

画像




●祖霊社
五社の左側・少し奥まった所にある。

画像


右側の説明板によると・・
祖霊社(それいしゃ)
八坂神社の役員や関係物故者の御霊を
顕彰し御祭神としてお祀りしています。
祖霊社春季祭 春分の日
祖霊社秋季祭 秋分の日

明治10年11月24日、
内務卿・大久保利通に設立許可を願い出たが、
12月21日、不許可となる。
後、翌年、5月10日、本社の北の官有地
を借用建設したく願い出るもまた、不許可。
後、本社裏北側の宅地を氏子共、買い取り、
八坂神社附属地とすることを願い出て、
許可され、現在に至っている。
(前述、高原美忠 著・八坂神社・学生社、
1972年、参照)

画像




●厳島社

祖霊社の左側にある。

画像


右側の説明板によると・・
厳島社(いつくしましゃ)
祭神 市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)
市杵島比売命は素戔嗚尊が持つ剣から
産まれた三女神(美御前社祭神
(うつくしごぜんしゃさいじん))の内の一神。
容姿端麗で舞を踊ることから
舞踏・謡曲の神として崇敬されています。
厳島社祭 3月15日

画像


続く。







この記事へのコメント

この記事へのトラックバック