京都史蹟散策119 嵐山・法輪寺の全貌2

京都史蹟散策119 嵐山・法輪寺の全貌2

虚空蔵 法輪寺(ほうりんじ)

【位置】西京区嵐山虚空蔵山町
【交通】阪急電鉄・嵐山、徒歩7分。

また、参道の階段の左の傍らに、
○【石標】
史蹟 大倭国讃 葛野聖地
(おおやまとのくに ほめ かずのせいち)
がある。

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葛野は、(かどの、かずの、かづの)とも
読むが、以下、(かずの)に統一しました。

(正面) 史蹟 大倭国讃 葛野聖地
(右面) 木上山 葛野井寺
        (建立年、不明)

応神天皇が宇遅野で詠んだ国土讃歌に、
以下のものがある。
千葉の 葛野(*かずの)を見れば
百千(*ももち)足る
家庭(*やにわ)も見ゆ 
国の秀(*ほ)も見ゆ
       (古事記・日本書紀)
(意訳)
(千葉は葛野の枕詞)
葛野(かずの)を見渡せば、
多くの家庭も見える。
国の優れたところも見える。

この歌は、応神天皇6年(275年か)の春2月、
近江の国(現・滋賀県)に行こうとして
宇遅野(うじの・現・京都府宇治市)から
葛野(かずの)を望み、詠ったものだが、
(葛野地方の農民による葛野讃歌)
この葛野は「広い地域」を意味し、
葛野川は、桂川の流域一帯を示している、
とされる。

参道を、もう少し上った左手には、
電電宮への案内表示板があり、
○老鼠堂永機の句碑、がある。

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 【句碑】霜月や 初めて松の
      あらしやま
この句碑は、明治23年に建立された。
永機は、姓は晋、其角堂 七世を嗣承。
其角堂永機。
書、句風は、其角をも凌ぐとされた。
明治37年1月、歿。享年82歳。

さらに、もうひとつの獣魂供養塔があり、
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●電電宮、がある。

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説明板によると・・
電電宮について
電電宮は当法輪寺の鎮守社 五社明神の一つで
ある電電明神【1】が奉祀されており、古来
電電陰陽融合光源の徳を祖とした鎮守として
あがめられてきた。
今日で云う電気電波の祖神が祭祀されている。
同宮は幕末の兵火【2】で焼失したが、昭和44年
電気電波関連業界の発展と繁栄を新たに祈願
する趣旨から、新社殿の再興がなされ今日に
至っている。
電気、電気電子、電波の発展は人類の生活文化
に不可欠なものであり、その祖神を奉祀する
電電宮は広く電気、電波関係者より崇敬されて
いる。
     法輪寺電電宮護持会
           と、ある。

【1】明星社のこと。後述、葛井の井泉。
【2】元治元年(1864年)、禁門の変・
渡月橋を挟んでの長州藩と幕府方の戦闘。

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階段を上りきると、本殿の手前左側に、
明治33年、建立の小さな角柱の碑がある。

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○小松桂陰の句碑 である。
 葉に成て 旅人のくる 桜かな

この時期、桜の木は、紅葉が進んでいるが、
桜の時期にも訪れたいものである。

そして、正面に、明治17年建立【3】の
●本殿 が、ある。
本殿には、虚空蔵菩薩が祀られている。
【3】時に、元治元年(1864年)、禁門の変・
渡月橋を挟んでの長州藩と幕府方の戦闘で、
法輪寺の伽藍は、悉く焼失し、明治17年に
再建された。

本殿、外観
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本殿前の牛と虎の狛犬。
虚空蔵菩薩は、丑年・寅年生まれの守り本尊。
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虚空蔵菩薩は、奥州会津柳津の円蔵寺、
伊勢の朝熊山(あさまやま)の金剛證寺とともに
「日本三大虚空蔵」と称される。
本編1でも述べたように、十三詣りの本尊でもあり、
渡月橋を渡り終わるまで 振り返ってはいけない、
振り返ると、授かった智恵と厄除けが(元のお寺に)
戻ってしまうと、云われている。
ちなみに、
春の十三詣りは、3月13日から5月13日まで、
秋の十三詣りは、10月1日から11月30日まで、
である。

また、本殿右の寺務所では、本尊を収めた珍しい
Micro SD(容量、2GB、付・変換用アダプタ)の、
お守りも入手できる。
流石に、電電宮を祀る寺院である。
本殿、手前には、右手に寅、左手に牛の石像がある。
これは、虚空蔵菩薩の守り本尊であり、
寅年と丑年生まれの人に、ご利益があるとされる。


また本殿、左側には、多宝塔がある。
○多宝塔
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(南から見る)
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大正前期の文献をひも解くと、当時は、
「三重塔」であったが、昭和47年、
現在の高さ17.4mの銅板葺・形と円形の多宝塔が、
建立された。

多宝塔の左右には、
○針供養塔 が、ある。

右側の針供養塔
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かつて、皇室での使用後の針を納めた針堂
があった。
現在でも、この習わしが続いており、
毎年12月に、皇室の針供養が行われている。
現在の針供養塔は、昭和17年建立である。
ちなみに、針供養の日は、2月8日、12月8日
である。

左側の針供養塔
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左側の針供養塔の奥に説明板がある。
おそらく、葛井の井泉のことが書かれている
と思われるが、摩耗して判読不能である。

かつて秦氏全盛のころ、この地には、
葛井(くずい)、星落井(ほしたりのい)が
あり、道昌が百日間の求聞持法(ぐもんじほう)
を修し、満願の日にこの井戸で水を汲んでいると
天空から明星が降り注ぎ、虚空蔵菩薩が来迎し、
その姿を刻み本尊とした、と云う。
ちなみに、後、本尊の顕現としての明星天子が、
電電明神を主神とする明星社
(みょうじょうしゃ)(後の電電宮)が、
鎮守社のひとつとして奉祀された。

赤い柵越しには、上述の葛井の井泉(非公開)
があり、かつては、此の周辺に葛野井宮
(かずいのぐう)があり、この寺院の発祥の地点
である、とされる。

今度は、本殿の右側に向かうと、羊の像がある。
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羊は、虚空蔵菩薩の化身、または、使いであり、
虚空蔵菩薩を背中に乗せようとして振り向いて
いる、とされる。
参拝者は、これに触れると智慧を授かると云う。

その隣に
●うるしの碑  が、ある。
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それによると・・
うるしの碑
漆は古人から その堅牢で潤いのあるしっとり
とした美しさが愛されてきました
文徳天皇の第一皇子 惟喬親王(1844-897)が
当寺に参籠され 本尊虚空菩薩より
うるしの製法と漆塗りの技法を御供授されて完成し
日本国中に広められました
その参籠満願の日が11月13日といわれています
漆業関係者は当日を うるしの日と定め毎年お詣り
して漆業の発展を祈願しています
このように虚空蔵法輪寺は うるしにゆかりの深い
お寺です
 ここに漆文化の象徴として うるしの碑を
建立しました
  1988年11月13日
日本精漆工業協同組合
             と、ある。

その先には、入り口の木門があり、
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●舞台(見晴台)からの眺望が広がる。
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正面、左側では、紅葉の時期には、
眼下手前に紅葉が彩を添えて
その先には、大堰川(桂川)、渡月橋が見える。
(以降、撮影・2016-11-20)

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さらに、だんだん右側に目をやって行くと、
嵯峨野を一望できる。
 
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大文字送り火(8月16日)の夜には、
一般に開放され、送り火(左 大文字)を
鑑賞することができる。

さらに、右側、右側にと目をやると、
紅葉の時期には、多宝塔の紅葉が楽しめる。

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上の写真、わずかに写る左の建物の前の
細い隙間が、多宝塔の撮影ポイント、である。

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さて、ここから、単純に来た道を帰るのではなく、
裏参道から、渡月橋へ向かう。
裏参道は、渡月橋から入ろうすると、
表示板があるので分かりやすいが、
境内から裏参道へは、表示板がない。

裏参道への道は、参道の階段を降りて、
(左側)を(注意深く)見ていくと、
(小さなアルミのドア)が、あり、
ここが、入り口である。
ひとが一人、通れるかどうか位、狭いです。

境内方向から渡月橋方面への通路は、
寺側としては積極的に勧めていないようで、
むしろ、反対方向からの舞台への道が、
お勧めのようである。

確かに、裏参道の門を潜って帰ろうとすると、
途中、「裏参道の木門」を潜ったときに、
思わず、「振り返ってしまいたい」気持ちに
なるので、ご注意を。
(振り返ってはいけない事は、前述の通り)

よって、やはり参拝が目的の方は、
このコースは、お勧めではないのでしょう。

次回からは、この裏参道を降りて、渡月橋へ・・

(京都史蹟散策119 嵐山・法輪寺の全貌3  
に続く)

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