京都史蹟散策120 北野天満宮の全貌 7(絵馬所、御手洗川)

京都史蹟散策120 北野天満宮の全貌 7
(絵馬所、御手洗川)

本編は、2016年春から2017年初冬までの
期間にわたり、取材したものです。

楼門を潜ると、左手に、
●絵馬所 がある。
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説明文によると・・

京都市指定有形文化財
 北野天満宮絵馬所
北野天満宮の本殿を始めとする主要な社殿は、
慶長12年(1607)に再建されたもので、その後、
元禄13年(1700)から翌年にかけて大修理が
行われている。
現在の絵馬所は、元禄の大修理の際に建てられた
ものである。
建築当初は、現在の位置より北に、棟を南北に
通して建ち、また、屋根も現在は桟瓦葺であるが、
当初は木の板で葺いた木賊葺(とくさぶき)
であった。

この絵馬所は、規模が大きく、京都に現存する
絵馬堂の中で最も古いものであり、
江戸時代中期の絵馬堂の遺構として貴重である。

 昭和58年6月1日指定 京都市
            と、ある。

平安時代、神仏習合の思想が普及し、観世音菩薩も
騎乗し、霊験を示し現す、と云う説が広まると、
神社のみならず、寺院でも絵馬を納める風習が
広がった。
だが、「絵馬」と云う「言葉」が、文献に初めて
登場するのは、平安中期で、「本朝文粋」【1】
【1】本朝文粋(ほんちょうもんずい)
平安中期の漢詩文集。14巻。藤原明衡(あきひら) 撰。

の巻・13の文中で、寛弘9年(1012年)6月25日、
大江匡衡(儒者・歌人)が北野天神に供え物をした
目録の中で、「色紙絵馬三匹」と書かれてあるのが
最初とされる。
ちなみに、同時期、「本朝法華験記」【2】
【2】本朝法華験記(ほんちょうほっけげんき)
1040年頃、比叡山、僧鎮源による法華経の効験説話
(験記)集。

に、「板絵馬」の語も登場している。

毎年の干支にちなんで、絵馬所の北側には、
吉祥図(おめでたい図)が揚る。
ちなみに、平成28年は、
平成二十八年丙申「群れの猿」であった。
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その右横には、西陣織工業組合の
北野天満宮廣前【3】織物三十六歌仙奉額
「西陣の日」事業編議会、の奉額が揚がる。
【3】廣前(ひろまえ) 神殿や宮殿の前庭のこと。

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小野小町
花の色は移りにけりないたづらに
我が身世にふるながめせし間に
(古今集)
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在原業平
月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
我が身ひとつは もとの身にして
       (古今和歌集)
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伊勢
思ひ川たえずながるる水のあわの
うたかた人に逢はで消えめや
(後撰和歌集)
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吉祥図の下に隠れている絵馬
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ちなみに、京都府の西陣織工業組合等西陣織関係の
13団体で組織された「西陣の日」事業協議会が、
昭和27年に制定され、昭和44年より11月11日が、
「西陣の日」となっている。
その由来は、応仁の乱後、全国に散っていた
【織手達】が帰京し、西軍の大将・山名宗全が構えた
とされる戦陣跡辺りに住みつき、彼らが機音を響かせる
端緒となった日が11月11日とのこと。

絵馬は、歴史を紐解く貴重な歴史資料でもあり、
ましてや、絵馬堂の中で最も古いものである北野天満宮
には、数々の絵馬が奉納されている。
余り知られていないものを、北野天満宮の社報を参照に、
諸サイトに掲載されてないものも含め簡潔に紹介する。
時代を反映する貴重な歴史的遺産、まさに百花繚乱
である。

●長谷川等伯(とうはく)の絵馬 
重要文化財。
慶長13年(1608年)6月、
安倍 真勝(まかつ)が本殿上棟の翌年に奉納。
「土佐坊武蔵坊相騎図」等伯、69歳の作。(宝物殿)
等伯は、桃山時代、秀吉・利休を魅了し、
狩野永徳を震撼させた実力の絵師。
真勝は、平安初期の貴族・太宰府・安倍三綱の子。

長谷川等伯(とうはく)の絵馬
(著作権満了のものより)
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●西川祐信(すけのぶ)筆の絵馬
宝永8年(1711年)4月、
安井多重郎(未詳) 門弟中 寄附。
「板絵著色 (平)忠度最期図」
祐信は、江戸中期、上方浮世絵界の開拓者。
京都市指定・登録文化財。

●英 一蝶(はなぶさ いっちょう)筆の弁慶絵馬
宝暦9年(1759年)9月。
一蝶は、江戸・元禄期に活躍した画家、芸人。
にせ物が多い事でも有名。

●阿新丸(くまわかまる)の絵馬
阿新丸は、日野資朝 (すけとも) の子。 名は邦光。
13歳のとき佐渡に渡り、父の仇敵である
佐渡守護本間入道泰宣を討とうとし たが果たさず、
子の本間三郎を討つ。後、南朝に仕えた。
天満宮の日記・延亮4年(1747年)1月23日に、
能也届(け)云(う)、大絵馬 明日 掛(り)候に付、
今日、場所(を)見分可給(わる) 也」とある。

●白馬の油絵
明治18年10月、奉納。
画家・梅川東南 作。(宝物殿)
梅川東南は。江戸期の京都の浮世絵師。

●碁盤忠信の絵馬
 浄瑠璃・歌舞伎の一系統で、源義経の忠臣・
佐藤忠信が碁盤を持って戦ったと云う伝説を
脚色したものが碁盤忠信。
享保10年(1725年)5月、奉納。
 大森素七郎筆。

●土佐光高 筆の新田義貞絵馬
元禄5年(1691年)5月。
新田義貞が北条高時を鎌倉に討った折に、
海に佩刀を海中に投げる光景。
土佐光高は、土佐光起、土佐光成らの
土佐派の画家。        

●渡邊始興(しこう) 筆の神馬絵馬
寛延3年(1750年)2月。
「板絵金地著色曳馬図 渡辺始興筆」
 画・中央下部の落款より始興 筆と知れる。
始興は、通称は求馬。
初め狩野尚信風から、後、尾形光琳に従う。
京都市指定・登録文化財。

●曽根の松の絵馬
 播州印南郡、曽根の松図、奉掛御神前、
正徳三癸乙稔(1713)卯月春
曽根の松は、高砂、尾上の松と共に数え歌にもある。
 曽根天満宮(兵庫県高砂市)は檜笠天神とも称し、
 菅原道真とその祖・天穂日命を祀っている。
 □国 半之丞 筆 (□不明)

●伯顔 梅枝を折る図の絵馬
小田海僊(おだ かいせん)筆。
明治7年2月22日、中西耕石(こうせき)奉納

伯顔は漢字表記で、モンゴル帝国の将軍・バヤンと
称する。中国・元朝の最大の功臣。
この英雄が梅(菅原道真に通じる)の枝を折る図。
海僊は、下関の生まれ。名は瀛、字は巨海。
百谷とも号する。通称、良平。
呉春に円山派を学び、後、文人画に転向し、
晩年には京都で在京文人画家の代表と云われた。
耕石は、現・福岡県芦屋の生まれ。名は寿、字 は亀年。
荃岡・竹叟などとも号する。
大坂で篠崎小竹の門に 学び、後、京都で上記・
小田海僊に学び一家を成す。

●五郎丸曽我時致(そが ときむね)を
抱き止むる、の図
(著作権満了のものより)
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右側に寛永21年(1644年)霜月吉日、
山本理兵衛 筆。
左側に奉掛 御宝前 諸願成就之所
願主速水六兵衛敬白
その下に、宿坊能喜、とある。
山本理兵衛は、昭和9年の浮世絵年表・
寛永年間によると、浮世絵を能くすれども、
其伝詳ならず、とある。生没年も未詳。
扁額軌範【1】に縮図がある。
【1】かつて、清水寺や北野天満宮などに
揚がっていた貴重な絵馬などを収録。
文政2年(1819年)刊行。

●長谷川等伯 筆・釣狐の図
寛保元辛酉歳(1741年)梅天吉辰に再興し、
寄付。製作年月日は不詳。
図は狂言の吼嚱(こんかい・狐の鳴き声)で、
常磐津、清元でも演じる所作のひとつ。
大正15年9月27日に宝物に登録。

●盛岡藩奉納の額
慶應2年(1866年)寅仲春祈所 松園坊
盛岡藩四十六士の名が連ねてある。
下斗米初弥昌以(大忠臣・相馬大作の一族か)
の文字も。
相馬大作の処刑は、文政5年(1822年)なので、
絵馬奉納の44年以前のこと。

●道明寺の奉額
道明寺の能が描かれている。
図の左側に白太夫、右側上に僧尊性、下に天人、
中央に木槵樹(もくげんじゅ・大阪府の天然記念物
でもある)がある。
道明寺は、大阪府藤井寺市にあり、菅原道真が
左遷の時、一宿した。 など、枚挙の暇がない。

また、現在の絵馬所でも、
江戸期、額や絵馬に和算の問題や解法を記して
神社・仏閣に奉納した、
算額(さんがく)
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や、言葉遊びの一種の
回文八重襷(かいぶん やえだすき)
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なども見ることができる。

●平成29年に奉納されている龍の額
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絵馬所・前を流れる
●御手洗川(みたらしがわ)
が平成28年7月に完成した。
御手洗川に架かる橋。

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季節が変われば、趣も異なって・・
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橋から御手洗川を見る。
(平成29年12月1日・撮影)
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御手洗川から絵馬所を見る。
(以下、平成29年3月11日・撮影)
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御手洗川に架かる枝垂桜
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御手洗川から三光門を見る。
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御手洗川前での「北野七夕祭」。
平成28年は、8月1日~14日に
平成29年は、8月5日~16日に、催された。
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 (北野天満宮の全貌8 に続く)

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