京都史蹟散策122 新日吉神宮(いまひえじんぐう)

京都史蹟散策122 新日吉神宮(いまひえじんぐう)

新日吉神宮(いまひえじんぐう)
【位置】東山区妙法院前側町
【交通】市バス・東山七条 徒歩7分

東山七条の交差点に
大きな【石標】が、ある。

後白河法皇
       新日吉神宮 
山王七社奉祀 

画像


左横下にある駒札によると・・・

新日吉神宮(いまひえじんぐう)【1】
【1】読み方とその意。
新 = 今(いま)
日吉 = 日枝・日吉・比叡(ひえ)

永暦(えいりゃく)元年(1160)、後白河法皇が、
その御所法住寺(ほうじゅうじ)内に比叡山
東坂本の日吉山王(ひえさんのう)七社
(日吉大社)を勧請(かんじょう)したのが
当社の始まりである。
祭神として、後白河法皇のほか、
皇居守護神山王七柱を祀り、酒造、医薬、
縁結びの神として信仰を集めている。

当初は智積院南側に創建された【2】が、
元和(げんな)元年(1615)、
豊国廟舎(びょうしゃ)の破毀(はき)とともに
旧廟前に移り、更に明治30年(1897)にこの地に
移った。
【2】平治元年(1159年)、・・・翌年、
新熊野神社(いまくまの)、新日吉神社
(いまひえ)に鎮守として招請される。

社殿は応仁の兵火で焼け、その後しばしば増改築が
行われたが、現在の本殿は、天保(てんぽう)6年
(1835)の改造で、大きな流造(ながれつくり)
である。

古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸は
108度に及んだといわれ、数多くの天皇の遺物、
宸筆(しんぴつ)を蔵している。
また、寛政10年(1798)に妙法院から境内の
樹下社(このもとやしろ)に寄進された、
長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存
されている。

なお、江戸後期の小沢蘆庵(おざわろあん)を
はじめ、多くの文学者の稿本など近世文学の
資料を蘆庵(ろあん)文庫の名で宮司家が
保存していることは有名である。
          京都市
             と、ある。



【石標】から、さらに進むと、
右手に石鳥居
(これは、豊国廟の鳥居で、後日、掲載予定)
があり、その手前の道を右手に入っていくと、
左手に末社・山口稲荷社がある。

画像


宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)を祀り、
商売繁盛の御神徳があると云う。

そして、さらに進むと、石鳥居の先に楼門が
ある。

画像


画像


画像


画像


ただ、この楼門には参道がない。
これは、豊臣家衰退の悲哀の例さでもある。
立派な楼門を潜ると、左手に、
元京都市午砲台座の跡があり、当時の様子を
示した写真が立札としてある。

画像


画像


その背後に、宝物庫と推測される建物がある。
画像


ちなみに、この神宮には、蘆庵(ろあん)文庫とは
別の葦庵文庫なるものがあり、平清盛の書状や、
旧豊国廟収蔵の豊公肖像などがあるとのこと。

さらに進むと、拝殿と、階段、本堂が目に
入ってくる。

拝殿
画像
 

本堂から見た拝殿
画像


この階段を登ると、御神猿像(左・幣を持つ狛)
(右・烏帽子姿)が参拝者を迎えてくれる。

左・幣を持つ狛
画像


右・烏帽子姿
画像

近くの説明紙によると・・
日吉山王の御猿(真猿)は大神の御使者で、
信者の災禍を去るという不思議な働きをされ、
真猿=魔去る=勝るともいわれます。
ご神猿守りとして携帯電話の待ち受け画面に
お入れ下さい。  撮影自由。
 とあったので、ポーズを決めた位置でパチリ。

そして、本殿となる。

画像


この本殿の向拝柱(ごはいはしら)上方にも、
御神猿が配され、説明紙と写真が掲載された
案内板がある。
逆行を避け、望遠のある精巧なカメラなら撮影
できそうでもある。

また本殿、左方には、境内社・飛梅天満宮がある。

画像


画像


洛陽二十五社天満宮の一つであり、
永暦元年(1160年)後白河上皇により創建され、
祭神は、菅原道真。
道真、大宰府に流される際の旧宅遺愛の梅・
飛梅之霊も祭られている。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
主なしとて春を忘るな

一方、本殿、左方には、境内社・豊国社・
樹下社(このもとのやしろ)がある。

左・豊国社(樹下社)
右・秋葉社・愛宕社
画像


豊国社(樹下社)
画像


右横の説明紙によると・・・
一、 御祭神
国泰院殿前関白大相国 豊臣秀吉公

一、 由緒沿革
阿弥陀ヶ峯なる豊国社は、元和以来頽廃したが
其の後間もなくその前方に新日吉神宮を移転
造営せられて以来、豊国廟の管理は妙法院及び
新日吉神宮で行って来たのである。
以来豊公の神霊は、内々当社の神供所で
祀られていたが天明5年に至り、
更に境内に社殿を造営してその御神霊を奉還し、
樹下社と称せられたのがこの社殿である

又、天明7年正月18日樹下社に「社頭の祝い」
として御法楽和歌37首の献納があったが
左記(下記)数首を見ても明らかに豊国の神が
新日吉の境内に再び祠として奉祀せられて千代に
栄え幾万代かけて、大御代を守護し給わん事を
祝い寿ぎ詠まれている

明らけき 日吉の宮と やはらぐる
 ひかりそふべき このもとの神 開院典仁

天てらす かげにならびて このもとの
 宮居はよよに 猶さかふらし 開院典仁

玉くしげ ふたたびあふぐ みづがきの
 光もそはむ 千代のゆく末 芝山持豊

さらに今 あとをたれますこのもとの
 神のみやゐは 代々にさかへむ 八条隆礼

樹下社は日吉上七社の一で往時は十禅師社とも
称した。
然し【当時を憚り其の縁故ある社名を以って、
祭神の姓木下にかけたもので、公の神霊も
旧幕時代は僅かに此の如く苦心の中に其の
祭祀をたつことなきを得たのであるから、
その祠宇は小であったとはいえその義は実に
大なるるものがあると言うことが出来よう。】
            以上

その隣に、火雷神・迦具土神を祀る
秋葉社・愛宕社が、ひとつの社にある。
秋葉社・愛宕社
画像


この二つの社と本堂の間を奥に入っていくと、
神木 スダジイがその威容さを誇っている。

画像


平成16年3月、京都市指定保存樹となり、
その横の説明板では・・
ぶな科 Castanopsis sieboldii 常緑高木
本殿の東側にひっそりと生育しているスダジイは、
幹周が4m以上もあり、江戸時代以前から現存して
いたと思われます。
大きく拡がった樹冠は社殿を覆う勢いで、
根が隆起した姿に畏敬の念を抱きます。
      とある。

画像


         この編・了



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック