京都史蹟散策123豊国神社と豊国廟 1

京都史蹟散策123豊国神社と豊国廟 1

●豊国神社(とよくにじんじゃ)
【位置】東山区大和大路正面茶屋町
【交通】市バス・三十三間堂前 徒歩7分
豊臣秀吉を祀る

三十三間堂の駐車場の出口の交差点前
(大仏前交番前)石段・左横に【道標】
がある。

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【道標】
左 豊国神社へ是より一丁
右 豊国廟参道口へ是より一丁
大正十四年十一月建之

大鳥居(明治8年に建替)
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鳥居を潜ると正面に、唐門が見えてくる。
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国宝唐門
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その右手前ある
駒札によると・・・
(一部、ルビ略)

豊国神社(とよくにじんじゃ)
豊臣秀吉を祀る神社で、一般に「ホウコクさん」
の名で人々に親しまれている。

慶長3年(1598)に63歳で亡くなった秀吉の
遺体は、遺命により東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に
葬られ、その麓(現在の豊国廟太閤坦)
(たいこうたいら)には、
広壮豪華な廟舎が造営された。
後陽成(ごようぜい)天皇より正一位
の神階と豊国大明神の神号を賜り、
慶長9年(1604)8月の秀吉の7回忌には
特に盛大な臨時祭礼が行われた。
そのときの様子は豊国臨時祭礼図屏風
(ほうこく)(重要文化財)に詳しく
描かれている。【1】

豊臣氏の滅亡後、その廟舎は徳川幕府により
廃祀されたが、明治13年(1880)、
旧方広寺大仏殿跡にあたる当地に社殿が再建され、
別格官幣社として復興された。
また、明治31年(1898)には、荒廃していた
廟墓も阿弥陀ヶ峯の頂上に再建された。
(*豊国廟で掲載。)
正面の唐門(からもん)(国宝)は伏見城の遺構
と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、
ここに移築されたもので、西本願寺、大徳寺の
唐門とともに国宝三唐門の一つとされている。【2】
また、その両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が
寄進したものである。
           京都市
            と、ある。

【1】 唐門の右手に宝物殿がある。
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社務所で拝観券を購入し、入殿すると実物が見られる。
また、この宝物殿では、他に
豊公、北政所、秀頼公、淀君の文書や御画像、
甲冑や調度品なども見られる。(秀吉の歯もある)

この宝物殿の奥に馬塚と云われる
●五輪塔がある。
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近隣の地・馬町の地名に因んで、
つけられたものとされ、秀吉の命日と梵字が刻まれる。
かつて徳川幕府の命で廃祀されたものを、
仏として移建されたものである。


【3】正面・上方の目のない鶴の彫刻は、
左甚五郎作とされ、鶴の脱走防止のため
目を入れなかったとか。
唐門・扁額

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国宝唐門・左扉
往時は、全面漆塗りで極採色の金箔張り
とされる。
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国宝唐門・右扉
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国宝唐門・概観
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豊臣秀吉の馬印・千成瓢箪にちなみ、
瓢箪形の絵馬が吊るされている。
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拝殿の奥に本殿がある。
本殿の右側には、境内社・貞照(さだてる)社がある。
大正14年、秀吉夫人の従一位・北政所を祀る。
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○境内
手水舎
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稲荷大明神鳥居
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稲荷大明

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稲荷大明神
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(京都史蹟散策123
   豊国神社と豊国廟 2 へ続く)


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