京都御所 特別公開・2 2019年3月18日(月)

京都御所 特別公開・2 2019年3月18日(月)

京都御所 2019年3月12日(火)から
3月21日(木・祝)まで。
今回の公開は,天皇陛下の御即位30年を
記念して、御即位に関連した箇所を精選しました。

○大臣宿所
(日華門・手前・左側、西面)の前

●生花展示
【説明板】
大本山大覚寺 嵯峨御流
画像


総本山仁和寺 御室流
画像


総本山 御寺 泉涌寺
華道 月輪未生流
画像




●春興殿(しゅんこうでん)
【説明板】
大正4(1915)年、大正天皇の即位礼に際し、
皇居から神鏡(しんきょう)を一時的に奉安する
ために建てられたもので、昭和天皇の即位礼でも
使用された。
内部は板敷で、外陣(げじん)・内陣(ないじん)・
神鏡を泰安する内々陣(ないないじん)に
分かれている。

●春興殿における儀式
【説明板】
即位礼の当日には、紫宸殿で「即位礼当日紫宸殿の儀」
(即位礼を公に宣明される儀式)が行われましたが、
その前に春興殿で
「即位礼当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」
(皇祖に即位を奉告される儀式が行われました。

春興殿の内部では内々陣(ないないじん)に神鏡を泰安し、
天皇以下皇族方が順に拝礼を行われました。
春興殿前の広い南庭には、この儀式のためだけに造られた
幄舎(あくしゃ)などの建造物が建ち並び、国内外から
招かれた約2,000名が参加しました。

翌日には、無事に即位礼が終了したことを感謝して、
春興殿前の神楽舎(かぐらしゃ)において御神楽
(みかぐら)が奉納されました。

修復前の春興殿
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


即位礼当日賢所大前の儀
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


即位礼後一日賢所御神楽の儀
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


●即位礼当日賢所大前の儀
【説明板】
大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 1の位置から撮影されたもの。
1造営時の春興殿
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 2の位置から撮影されたもの。
2造営時の春興殿南庭
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


●即位礼当日賢所大前の儀
【説明板】
大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 3の位置から撮影されたもの。
3春興殿前の建造物
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 4の位置から撮影されたもの。
4春興殿前の建造物 建設風景
画像


大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 5の位置から撮影されたもの。
5式場参入の様子
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


大正天皇 賢所大前の儀 舖設図
の 6の位置から撮影されたもの。
6春興殿前の建造物 解体風景
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


●春興殿の銅板葺屋根の葺き替え
【説明板】
この度、春興殿の造営以来初めてとなる葺き替え
工事のため、春興殿の古い銅板葺(どうばんぶき)
の屋根を調査したところ、現在では目にすることが
できない大変珍しい方法で葺かれていることが
わかりました。

それは銅板を段状に葺いていく廝錣(しころぶき)
という方法で、さらに銅板の間には鉄板が挟み
込まれて、強度が高められていました。

一般的な銅板葺の耐用年数は約50年とされており
その陪の100年におよぶ間、表面の銅板には
目立った損傷がなく、良い状態を保てたのは、
その独特な葺き方のおかげであると考えられます。

銅板(廝錣(しころぶき))の葺き方
画像


屋根の葺き替え工程
画像


春興殿前のパネル展示の光景
画像




●紫宸殿(ししんでん)
【説明板】
京都御所において最も格式の高い正殿であり、
即位礼などの重要な儀式がここで行われた。
平安時代の紫宸殿は寝殿造の原形として多くの
貴族住宅の影響を与えた。
この建物は安政2(1855)年の造営であるが、
伝統的な儀式が行えるように平安時代の復古様式
で建てられている。
慶応4(1868)年には
「五箇条(ごかじょう)の御誓文(せいもん)」の
舞台ともなった。
明治、大正、昭和の三代の天皇の即位礼は
この建物内で行われた。
周囲に囲まれた南庭(だんてい)は儀式の場として
重要な役割をもっており、紫宸殿上から見て
左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が
配されている。


紫宸殿
画像


紫宸殿前のパネル展示。
(賢聖障子)*後述
画像


賢聖障子の一部。拡大・実写。
画像


●賢聖障子(けんじょうのしょうじ)
【説明板】
狩野典信・住吉広行・住吉弘貫 筆
梥本武雄 写 岡本保考 書
 縦244.5 x 横261cm

京都御所において最も格式の高い正殿である
紫宸殿には、賢聖障子(けんじょうのしょうじ)
が立てられています。
賢聖障子は、天子を支える名臣の図で、
母屋(もや)と北廂(きたびさし)の間に
立てられ、中央には王座を護る獅子・狛犬と、
神亀文を負って出現した瑞獣である負文亀
(ふぶんき)が、その東西には中国の殷から
唐時代にかけて、
呂尚(ろしょう)(太公望 [たいこうぼう])
や諸葛亮(しょかつりょう)などの賢人併せて
32人が画かれています。
人物の上部の色紙には、各賢人の功績が
書かれています。
中国では、儒教思想により古くから功臣を
壁画に画いており、日本でも平安時代から
紫宸殿において画かれてきた伝統的な題材です。

寛政度の賢聖障子は、
狩野典信(かのう みちのぶ)が下絵を
画きましたが、絵の完成を見る前に没したため、
さらなる考証を加え後任の住吉広行
(すみよし ひろゆき)によって引き継がれました。
これらは嘉永の大火(*嘉永7年4月6日)による
焼失を免れ、安政度には広行の息子である住吉弘貫
(すみよし ひろつら)が一部を修理、
獅子・狛犬と負文亀の一面を新たに製作して
使用されました。
色紙の文字は、承明門と紫宸殿の扁額を書した
岡本保考(おかもと やすたか)が担当しています。
現在紫宸殿には、障壁画保護のため、
昭和41年から45年にかけて画家の梥本武雄
(まつもと たけお)が模写したものが立てられて
います。

獅子・狛犬と負文亀
画像


賢聖障子
画像


画像


●賢聖障子(けんじょうのしょうじ)の
冠服(かんふく)について

寛政(かんせい)2年(1790)の内裏(だいり)造営
では、紫宸殿や清涼殿において古制に則った復古内裏
の完成が目指されました。
それまで画かれてきた賢聖障子は、時代によって
画かれる人物や数、大きさが一定でなく、
また各賢人の冠や衣服にはあまり違いがみられません
でした。
しかしこの寛政度の賢聖障子は約2年にも及ぶ考証が
重ねられ、古代中国にて各賢人の生きた時代や役職、
年齢・風貌などを考慮した上で画かれました。
冠や沓の形状、衣服や帯の色などは各人で画き分け
られており、細かく指定されたことがわかります。
この考証には、造営総奉行をつとめた老中
松平定信(まつだいら さだのぶ)(1758-1829)に
命じられた儒学者・柴野栗山(しばの りつざん)
(1736-1807)があたり、
文章博士の五条為徳(ごじょう ためのり)、
高辻福長(たかつじ とみなが)や
絵師の住吉広行(すみよし ひろゆき)と何度も
やりとりをしながら図様が決定されました。

冠または帽子
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


衣服
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像


持物
(*写真の外枠、画像処理済み)
画像



京都御所 特別公開・3 2019年3月18日(月)
          に、続きます。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック