歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む2

●嘉永年間の大久保利通日記 2

本編は、
大久保利通文書(全10巻)、
大久保利通日記(全2巻)を
(日本史籍協会 昭和2年)を底本として、
これを、あくまで趣味的にひも解いて、
現代風(意訳)に読んでいくものとします。
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。


嘉永元年 1848年 利通・19歳

●同(*1月) 18日、曇り

【亡姉の墓参】
今日は雨で、五ツ前(*午前8時頃前)に起床、
四ツ前(*午前10時頃前)に出勤した。

【二階堂 志津馬から市来の川上の高を要望する】
もっとも、
「今日は上山寺(新昌院の上山寺のことか。
現・新照院町。薩摩藩第2代藩主・島津光久公が
上山寺に観音堂を再建した。)の例年通りの
観音講なので参詣するように」
との父上様の御云い付けで、
今朝、児玉 孫次郎が来て、市来・川上村の父上様へ
名高い二階堂 志津馬(大目付)殿から相談があり、
(児玉 孫次郎)を差し遣わした訳で、
印を貰いに行ったところ、印は貰えて、
「こちらへ、ぜひ、(*私を)遣わしてくれるよう、
ご相談したい。」とのことであった。
(*すると)私のところへ御室氏が来られ、
そのことで、又、相談したいと仰せ付けられたので、
直ぐに勘定所へ行ったところ、
児玉 孫次郎は不在で、宅へお伺いしたところ、
幸いにも居られたので、相談した。
(*すると)あちら(*二階堂)には
何も云うことはないが、他に肝煎人(*世話人)
があり、この者が二階堂氏に相談事があり、
もし断れば、以前に遣わしたことは不出来になるが、
まずは、その者次第である、とのことなので、
折角なので、よろしく、その者へご相談される
ようにと頼んでおいた。
(*後)私は、藤井 助一氏へ伺い、
もっとも父上様からお申し付けられた件なので、
あれこれ今回のことも頼みたいので伺ったところ、
夕べ大迫氏が伺われたことは、仕方ないことで、
ご伝言のことは申しておき、少しの間、
xx[不明] 氏から絵書があるとのことで見物に伺い、
吉次殿が書かれるので、しばらく話し、それから
帰った。

【得能良介らと浜田の宅において会読後、
詩談深く、深夜に及ぶ】
(*後)藤村氏(*藤井氏か?)と
八ツ前(*午後2時頃前)に上山寺へ行き、
ご飯などを頂戴し、それから相、帰り、
今夜は式夜なので得能良介殿が大鐘近く
(*午後6時頃近く)から来られて、
同道して浜田 竹林氏へ伺って会読し、
晩は、九ツ過(*午前0時頃過ぎ)まで話をして、
帰りは、得能良介殿がぜひ、ぜひと一宿を請われ、
一宿されて、段々と話しをされ、
長く起きていたので、詩などの話をして休息した。
児玉 孫次郎へ後刻、書状で返答を聞くので
差し遣わしたところ、明日まで待って欲しいとの
ことであった。


●同(*1月) 19日、雨
今日は六ツ時(朝6時)に得能良介殿は帰られた。
(*朝)早かったので、私は起きずに暇乞いをし、
又々、寝たところ、寝過ごして
五ツ時(*午前8時頃)に起きて、早々に
鬢(びん・*耳ぎわの髪。)を剃って出勤した。
今日は虫干しで、御蔵で長く相、話し、
九ツ時(*お昼12時頃)に出て、私は帰り、
もっとも連れ合いがあり、
石塚 勇右衛門殿、折田 平八の両人で、
御海門(原文ママ)までは、得能良介殿も同道し、
それから両官内門前で相、別れた。

【藩学助教・横山安容の門に入る】
今日から、初めて横山安容氏(*儒学者。
後、養子に横山 安武がいる。)へ 伺い、
もっとも(*これは)得能良介殿に手引きを願った
のだが、八ツ過(*午後2時頃過ぎ)から来られ、
もっとも、大学で承り考えて下見し(*得能良介殿と)
同道して伺ったところ、ご在宿で、幸いにして
得能良介殿から初めて改めて紹介された。
私は帰りには、浜田 竹林氏へ立ち寄り、
三人で同道して海辺で閑詠閑歩(かんえいかんぽ・
*ぶらぶらと詩を詠んだり歩いたり)、興を尽くし、
潮音院岸に出て吟詠(ぎんえい・*詩歌に節を
つけてうたう)する。
大鐘(*午後6時頃)近くまで、
又々、浜田 竹林氏へ立ち寄り、しばらく話し、
夜入り前に得能 良介殿と同道して相、帰った。
今晩は客人があり、先例の通り蔵役が来られた。


●同(*1月) 20日、晴天
今日は五ツ時(*午前8時頃)に起床、
少々、寒気を催したが、ちょうど時節に応じた
肌持ちで、四ツ前(*午前10時頃前)に出勤し、
八ツ(*午後2時頃)から帰って来た。
七ツ前(*午後4時頃前)から早速、得能 良介氏と
約束があり訪ね、ひとり、段々と話し、
滞在してるところに、小倉 喜左衛門殿が来られ、
相、共に閑談し、(*小倉氏は)夜前に帰られた。
私も夜入り過ぎに帰った。
(*このように)得能 良介氏へ伺い、
すぐに同道して門まで送られ、別れて家へ帰ろうと
すると、郡山一介氏が来られて、早く、相、帰った。
今日は、理気鄙言(*桜田質(虎門)著。文化元年序)
の抄本を得能 良介氏から頂戴した。

【書物を借りて写し取る】
(*また)「気質 本膳性 講義」と書き出しがある
書物の写し本を拝借した。


●同(*1月) 21日、陰天
今日は、五ツ前(*午前8時頃前)起床、
四ツ過(*午前10時頃過ぎ)に出勤。
朝立は、厳しい寒さであったが、
七ツ過(*午後4時頃過ぎ)から少し暖気を
催し、八ツ前(午後2時頃前)から御暇いたし、
浜田 竹林氏、得能良介同道で、私は、皆吉氏へ
お伺いしたところ、叔父・皆吉 金六様は、
今日は八ツ(*午後2時頃)に官内へ御出勤の
ことであったが、乍去(さりながら・*しかしながら)

【皆吉の祖母を慰問する】
七ツ(*午後4時頃)まで話し、(*その後)
御祖母様(皆吉 鳳徳の妻。利通の母[ふく]方の母)
が、お一人、御留守番だったので、少しの間、話し、
七ツ過(*午後4時頃過ぎ)の帰りがけに、
土橋氏へ少しの間、伺い、それから帰り、
夜入時から税所 篤殿が来られ、
九ツ時分(*午前0時頃)まで話された。


●同(*1月) 22日、晴れ
今日は、五ツ前(*午前8時頃前)に起床、
四ツ時(*午前10時頃)に出勤。
少々寒く、得能良介氏に頼んでいた
二男家中宿(*中宿は、城下に籍を残したまま
他郷へ移住すること)の願書を今日、
書き認めようと小組頭の名前の儀を尋ねたが、
御存知なく、高持(たかもち・本百姓)の
調帳を見たところ、碁盤組頭の名前があって幸せで、
その通りに書き留めておいた。
御殿へ寺田平八と申す人など、組頭について
印を貰いに伺おうとしたが、誰もいなくて帰り、
いずれ、明日にでもしようと考えた。
今日は八ツ(*午後2時頃)から退出し、
七ツ時分(*午後4時頃)から
退庵老(*税所 篤の父・篤倫)が来られ、
私は一人、留主番だったので、段々と相、話し、
夜入前に帰られた。

【得能、浜田氏らと自宅において会読し、
得能氏は一宿する】
今晩は式夜前なので、夜入近くから浜田 竹林氏が
来られ、しばらく居られたが、得能良介氏が来られず、
五ツ前(*午後8時頃前)に来られ、非常に遅かった。
(*後)会読が済み、九ツ近(*午前0時頃近く)まで
相、話し、最早、帰られれば、と云おうとすると、
風雨で寒気を催してきたので、今晩は一宿、と留めると、
一宿すると云うことで、七ツ時(*午前4時頃)まで、
相、話し、それから寝て、六ツ時(*午前6時頃)には、
皆々、帰られた。


●同(*1月) 23日、風天
今日は早く(*起床し)、一宿の方たちが帰られ、
少しの間、つらと[ひとねむり]したところ、
最早、五ツ近(*午前8時頃近く)になり、  
早々に、たまかり[驚くの方言]起き上り、
月代(さかやき・*:前頭部から頭頂部にかけての、
頭髪を剃りあげた部分を剃ること)など、して、
四ツ時(*午前10時頃)に出勤し、
四ツ過(*午前10時頃過ぎ)から得能良介氏と同道して
御殿へ出て、又々、寺田平八氏・吉井仁左衛門・
上田氏に印を貰いに伺ったところ、
吉井氏は居られて印を貰い、他の両人は、
出勤されておられないとのことで出かけ、

【得能氏と南林寺に参詣する】
もっとも、今、小組頭の両人は、悪しからずのことで、
又々、書き入れて、それから得能良介氏と同道し、
南林寺へ参詣し、御座へ又々、お伺いしたところ、
八(*午後2時頃)までいて、退出した。
今日は、ますます風が立ち、寒気、曲寒のようで、
中々、耐え難く、風飛沙如煙宛凛烈
(*風で飛ぶ砂は煙のように身にしみいる。)、
今晩は、上田氏、佐一郎殿は、夜に話があり、
(*御殿へ)来られるはずだったので、
私も伺うように申し付けられたので、
夜入過ぎから伺い、四ツ過(*午後10時頃過ぎ)
まで、話されて、帰られた。


●同(*1月) 24日、風天
今日は、六ツ過(*午前6時頃過ぎ)に起き上がった。
昨日とは変り、少々、暖気があり、
九ツ過(*お昼12時頃)から晴天になった。

【中宿の願書へ連印の依頼のため歴訪する】
五ツ時(*午前8時頃過ぎ)に準備して、
又々、平方へ印を貰いに伺い、
堅山 武兵衛へ伺い、それから伊勢氏へ伺い、
それから寺田 平八氏へ伺ったが、最早、居られず、、
それから山内氏へ伺ったところ、これ又、
居られず、それから出勤した。

今日から御座の間へ通れるようになり、
今日も九ツ前(*お昼12時頃前)に御殿へ
寺田氏へ印を貰いに伺ったところ、
幸いにも居られ、もっとも得能良介氏、種子島氏と
同道して、得能良介氏は、早く中途から御座へ
帰られた。
私は、正八郎殿より先に帰り、御座へは
伺わずに帰り、山田 孫八氏は、藍玉方へ
(*藍玉[あいだま]は、藍の葉を刈り取り発酵させ、
臼で突き固めて丸めたもの。)出勤とのことで、
あちらへ行ったが、あちらへは、山田 平左衛門と
申す人が出られたとのこと。
同居人なので間違いないであろう。

七ツ過ぎ(*午後4時頃過ぎ)平方へ伺い、
右(*前述)の山内氏へ伺ったところ居られたので、
印を貰い、帰りがけに南泉院へ伺ったところ、
税所 篤氏が、折角、下山されている。
中途で、しばらく話し、米良 甚助殿などが来られた。
(*後)税所 篤氏と新納 嘉藤次氏と同道しようと
伺ったところ、中途で、ふと、考えて、上原氏へ
印を貰いに伺い、そして、新納 嘉藤次氏へ伺ったところ、
客人があり、その様子を聞いたので取り止めにして、
加治屋町の方へ行って見ようかと、
有田 半之亟を訪問したところ、家に居られ、
夜入り過ぎまで話をした。
(*後)福島 平之進氏の門に皆々、
打ち寄られていたので、伊地知氏へ伺い、
四ツ前(*午後10時頃前)まで話し、
それから帰った。


●同(*1月) 25日、晴れ

【管公社へ参詣】
今日は、六ツ時(*午前6時頃)起床、
四ツ前(*午前10時頃前)に虫干して、
天神社へ参詣し、山城氏へ印を貰いに
伺がったところ、幸いにも居られ、
早速、印を貰い、又々、御座へ出勤した。
八ツ(*午後2時頃)から退出し、夜入近くから、
父上様が、新照院(*町)の藤井 助一のところへ
行くようにとの仰せつけで伺い、牧野 喜平次殿を誘い、
九ツ過(*午前0時頃過ぎ)に帰った。

●同(*1月) 26日、曇り

【中宿の年限の願書を組方に提出する】
*中宿は、城下に籍を残したまま他郷へ
移住すること。

今日は、四ツ時(*午前10時頃前)に出勤し、
四ツ過(*午前10時頃過ぎ)に御殿へ出て、
先だってよりの願書に印を貰い取り、
組方書役・木藤 源左衛門殿へ差し出したところ、
「委細、承知、宜しく取り計らう」との事
であった。
今日は、段々と御用があり、島津久陽寺社奉行を始め
名越右繕 御目付、川上久封 若年寄の右、三人に、
よろしく、お願いをして置いた。
それから御座を出て、八ツ(*午後2時頃)から
退出した。

【伍中二才衆と初めて話す】
今日は、伍中二才衆と初めて話し、約束したので、
話が多くなったので、四ツ過(午後10時頃過ぎ)に
帰られ、私も門まで送り、水雲庵前から足慣らしで
歩いて帰った。


●同(*1月) 27日、曇り

【書会を催す】
今日は、五ツ前(*午前8時頃前)に起床。
やはり天気は相変わらずで、陰々として、
冷々である。
四ツ前(*午前10時頃前)に出勤し、
八ツ前(*午後2時頃前)に退出し帰った。
稲津 一鳳先生が来られ、
字を書くことがあるとのことで、墨を摺ることがあり、
私も少々、摺ったけれども、
今日は八ツ後(*午後2時頃後)に横山 安容氏へ
伺うつもりで、得能良介氏と約束していたので、
待っていたところ、
八ツ時過(*午後2時頃過ぎ)に(*得能良介氏が)
来られたので、すぐに同道して(*横山 安容氏へ)伺い、
それから官内前で得能良介氏と同道して別れ、
帰ったところ、稲津 (*正助)一鳳先生がせっかく
書の半分を書かれており、大鐘近(*午後6時頃近く)
に終えられた。
私も今晩は、吉利氏の式夜で伺ったところ、
誰も来ず、矢七郎殿が、少しの間に来られ、
早々に帰られ、私も四ツ前(*午後10時頃前)に
帰った。


●同(*1月) 28日、曇り

【得能氏の宅において会読、一宿する】
今日は早く目を覚まし、四ツ時(*午前10時頃)
に出勤。
八ツ前(*午後2時頃前)から得能良介氏へ
新殿と同道し伺い、
もっとも今晩は式夜前で伺い、石塚勇右衛門殿が
大鐘近(*午後6時頃近く)に来られ、
それから会読を始め、夜入近くに終わった。
それから加治屋町方・黒木荘次郎殿宅と、
初めてのお話で、先日から約束していたので
伺った。
九ツ時(*午前0時頃)に皆々、帰ったが、
私は、一宿した。
税所 篤殿も同じで、段々、寝ながら話をした。


●同(*1月) 29日、曇り
今日は六ツ時(*午前6時頃)に目を覚まし、
木三殿と同道して帰り、初島氏門の門でわかれた。
(*後、)二本松馬場へ行ったところ、
児玉 孫次郎殿が途中で後から来られ、
東郷家へ朝稽古に出かけられるとのことで、
天神まで同道し、それから別れて
六ツ過(*午前6時頃過ぎ)に帰った。
(*後、)(さかやき・*:前頭部から頭頂部に
かけての、頭髪を剃りあげた部分を剃ること)など、
して、四ツ時(*午前10時頃)に出勤した。
昨日は、私は火の前の米良 甚助殿へ頼んだので、
今日は、私は前で早速、(*願書)を受け取り
火の前の付き方に申した。
山田 宗八殿が御殿へ伺われるので、お願いして
そこから退出した。
八ツ(*午後2時頃、以降)どこへも外出しなかった。



●2月1日 曇り
今日は朝出で、六ツ過(*午前6時頃過ぎ)
に起床、五ツ時(*午前8時頃)から出勤した。
御記録奉行・橋口今彦殿で、今朝は、少々、
仕事があった。
勤務表を書き留め、朱塗板に月番の氏名を書き、
兵具所へ触れ書の勤務表を差し遣わし、
火の前の野崎氏へ付け渡し、
八ツ前(*午後2時頃前)に退出致し、
七ツ(*午後4時頃)から外出はしなかった。


●2月2日 晴れ

【浜田 竹林氏の宅で会読する】
今日は、久々ぶりに天気、快晴になり、
心、明るく輝き、気分も、のどかで、
四ツ時(*午前10時頃) に出勤致し、
八ツ(*午後2時頃)から退出し、
大鐘近過(*午後6時近く過ぎ)から
(得能)得能 良介殿が来られ、同道して浜田 竹林氏
へ伺い、会読し、四ツ時過(*午後10時頃頃)に
帰った。


●2月3日 快晴

【藩主・斎興公が蒲生を巡見】
今日は、五ツ前(*午前8時前頃)に起床、
四ツ時(*午前10時頃)に出勤した。
今日から上様は蒲生へ出かけられ、
成田(正右衛門)家、青山(愚痴)家、
野村(左衛喜)家が後からお供とのことで、
見物に得能 良介氏、浜田 竹林氏、士持氏、
得能(*彦左衛門)殿の四人が同道して、
福昌寺門前に見物に出かけた。
九ツ時(*お昼12時頃)に百人程の人数で、
太鼓など打ち、九齢御小姓組番頭・川上 龍衛が
騎馬で通られ、誠に由々しく、拝見した。
それから両家は、暫く間があったので、もはや、
帰ろうと上馬場の辺りに少しの間、いたけれども、
なお遅いので別れて、得能 彦左衛門氏と同道して
帰ろうとしたところ、立馬場で野村家と出会い、
誠に良かった。
百引(もびき・*現・鹿屋市と合併する以前前の
独立自治体で、かつて存在していた
輝北町(きほくちょう)の南半分を占める地域)
の「半てん」で、切火縄(きりひなわ・
*火縄銃に使う適当な長さに切っ た火縄)が、
強烈な様子で、感慨ひとしおで、
人数は50人程であった。
それから(*両人・得能 彦左衛門氏と野村家とは)一時、
寄られると申して、両人は寄られ、早々に帰られた。
七ツ時(*午後4時頃)には青山家で、
右(上述)同様での様子で、先頭で旗などを持ち、
見事であった。
夜入から吉利家へ伺った。


●2月4日 晴れ

【南林寺で 、度々、法話を聴く】
今日は、四ツ前(*午前10時前頃)に出勤し、
八ツ(午後2時頃)から退出して、
大鐘前(*午後6時前頃)から父上様と八郎殿と
同道して、土持氏へ一時、立ち寄られたので、
私も寄り、八郎殿とは天神馬場で別れ、
皆吉(金六)氏へ一時寄り、それから、
稲城氏へ一時寄り、市内を少々見物し、弁天島へ出て、
それから南林寺へ伺い、もっとも尾坊主の法談が、
毎晩あるので、(*この方は)誠に達者な坊主で、
良く説話をされた。
五ツ時(*午後6時頃)に終わり、方丈でしばらく話し、
もっとも郡山一介殿、稲津 正助一鳳先生が来られて
【以下、原文不明】
四ツ時(*午後10時頃)に父上様と一緒に帰った。

●2月5日 晴れ
今日は、(*午前10時前頃)に出勤し、
八ツ(*午後2時頃)から退出した。
以後は、外出しなかった。


●2月6日 雪
今日は、五ツ前(*午前8時前頃)に起床した。
白雪が、少しばかり積もっていたが、平地では、
一部、積もらず、確かに春節の故と考えた。
山々の木々は真っ白で、まことに花のような景色で
言語に尽くしきれなかった。
四ツ時(*午前10時頃)になると、(*雪は)
ようやく融(と)けだした。  
四ツ前(*午前10時前頃)に日置半蔵先生が来られ、
段々と話をした。

【牧野氏において囲碁戦を催す】
折柄、牧野氏へ語を打ちに伺おうと、ふと、考え、
もっとも牧野 喜平次殿が前々から何かと噂をすると
来られたので、折よく、伺った。
日置 半蔵先生は、御殿に用事があるとのことで、
少しの間立ち寄られ、私は先に伺い、一時、
南泉院の偏照房殿を誘おうと考え伺い、
その時に、一言、伝えたところ、何も差し支えが
ないとのことで、私は、先に牧野氏へ伺うと、
牧野 喜平次殿は留守で、段々と話をしていると、
日置半蔵先生が来られ、ご亭主がお帰りなくても
始めようと番戦を始めたところ、喜平次殿も帰られ、
それから又、川南 玄益殿が来られ、少し致したところ、
坊主殿が来られ多客で、終日、見物し、私も
四・五番は戦い、夜五ツ時(*午後8時頃)まで話し、
もっとも囲碁は、夜入近くに止めて、帰ると、
母上様などが、皆々打ち連れて、椛山 三円氏へ
お出でになられているとのことで、
日記など書き留め、四ツ時(*午後10時頃)には
休息した。


●2月7日 曇り
今日は、五ツ前(*午前8時前頃)に起床した。
八ツ過(*午後2時過ぎ頃)【以下、原文不明】
・・の前で、破魔投げ(はまなげ・*西洋の
ホッケー競技のように、弾を棒で打ち合う競技)
があり、私も出張(でば)った。
七ツ時(*午後4時頃)までして帰った。
大鐘近く(*午後6時頃近く)に、
大脇 治右衛門から書状が届いた。

【式夜に初めて論語、軍書を会読する】
今晩は、初めて式夜とのことで、
六ツ過(*午後6時頃)から伺い、今夜は益満氏、
上原氏が出会い、益満氏が不快とのことで、
早く帰られ、上原氏と両人で会読し、
「くじ」が私に当たり、【以下、原文不明】
四(*午後10時頃)から「論語篇の仲尼曰」までして、
右平太殿の素読の読書の後で、軍書(を会読した。)。
四ツ時(*午後10時頃)に帰った。
少しの間、話し、九ツ(*午前0時頃)に休息した。


●2月8日 快晴
今日は、誠に快晴で、気持は「のどか」で、
八ツ前(*午後2時前)から、牧野 喜兵次殿が、
お出でになられ、父上様および他の者が出かけられて
いたので、私としばらく語られ、碁を打とうと四番打ち、
それから、帰られた。

【得能氏と式夜に会読】
今日は、年内から得能 良介氏、浜田 竹林氏と相談し、
書物を式夜に当て、会読したいと申し遣わしたところ、
幸いにも得能 良介殿は、参るとの返答で、
浜田 竹林氏だけは、故あり、遅くなるからとの返答。
およそ大鐘近(*午後6時頃近く)から、
得能 良介殿が来られ、ゆるゆると閑談し、
石塚 勇右衛門殿も六ツ前(*午後6時頃前)に一時、
戸口まで参られ、悪いことをしたが、
友人が上坂で門まで送り出したところ、
是非、内へ参られないと、友人達は聞かされて
いないので、その段、言い訳にして帰られた。

【書き物を夜にした】
今晩は、書き物もあり、 両人で行い、
段々夜、深くになり、話しが面白くなり、
密談も九ツ時過(*午前0時頃過ぎ)になり、
名残りが尽きないが、帰られた。
私も本門まで、お送りした。


●2月9日 快晴
今日は、五ツ前(*午前8時前頃)に起床し、
(*昨日と)同じく、天気、勝れ、悠々として
万里、青々である。
夜入り前に、大鐘近く(*午後6時頃近く)から、
父上様、叔父様(皆吉金六様)、弥左衛門殿が
同道してお帰りになられた。

【父の来客の招待があるので障子髪を張り替えをする】
私は、朝から合紙(ごうし。*紙と紙などを
張り合わせること。)しようと、障子などを張り、
仲之丞が加勢して、表側は済み、小座に替わり、
壁などを張り終わると、段々、客があり、
弥左衛門殿は、早く帰られ、白浜氏の叔母様
(皆吉 鳳徳の長女)親子3人、
新照院叔母様(皆吉 鳳徳の四女)、藤井 助一様も
八ツ前(*午後2時前頃)からお出かけになられ、
大鐘前(*午後6時前頃)にお帰りになられ、
退庵(税所)様も御出でで、
暮前から叔父様(皆吉 金六)と碁を打ち、
三番打ったところ私は、勝負に勝ち、
そこで止めました。
すると、税所 篤殿が参られた。

又、五ツ前(*午後8時前頃)
郡山 一介氏、森山 与兵衛氏が来られ、
税所 篤殿は、新照院叔母様と同道される
と云うことで、一時、小座で語られ、
書物のことをお願いしたところ、
先方へ随分(の間貸しているので、)返してもらう
とのことで、(*人)を遣わして取りに行くとのこと。
税所 篤殿は、早く帰られ、

【税所 本然、一泊する】
叔父(皆吉 金六)様・郡山 一介・森山 与兵衛氏
の三人は、九ツ前(*午前0時前頃)に帰られ、
退庵老様は、一宿され、
拙者も九ツ過(*午前0時過ぎ頃)に休息した。


●2月10日 快晴
今日は、五ツ前(*午前8時前頃)に起床した。
(*昨日と)同じく、勝れた天気で、
最早、春になりとて景色が改まり、
天は、広々とし、青々の山は緑に、
春風は柳枝を払い、池の水は、わずかに動き、
誠に誠に、言語に尽くしこと出来ず、
気分は、のどか目前である。

朝八ツ(*午前2時頃)から南泉院へ伺ったところ、
税所 篤殿がおられ、一時、話をして、
西田 嘉山と申す人が来て、共に段々と話をし、
破魔投げを致すと、小僧などが多く集まり、
一時、(*破魔投げを)したけれども、
破魔投げは、廃り(すたり・*飽きて)、それは取り止め、
又々、内へ伺い、大鐘過(*午後6時頃)から
新納 嘉藤次(*利通の義兄)へ伺おうとして
税所 篤殿と同道して訪問し、
ゆっくりとした。

【破魔投げを遊び、新納氏宅で歌会】
もっとも今日は、歌会を(*ここ新納氏宅で)催すとの
ことで、島喜左衛門殿が来られ、
五ツ前(*午後8時前頃)に和田 孫右衛門殿が来られ、
私は、皆吉金六氏、母上様などが来られたので、
そちらへ伺い、税所 篤殿も一緒に
諏訪小路、三官橋通で別れて、皆吉金六氏からは
四ツ時(*午後10時頃)に(*新納氏宅)家に帰り、
九ツ前(*午前0時前頃)に帰宅した。

【床の上で詩作を試みる】
床の上で詩作をする考えで、書物を取り出しだ
けれども、(*いつしか)熟眠して暁になった。


●2月11日 曇り
今日は、少々、下り坂の「ぼんやりとした」天気で、
あわせて、肌持は、余程勝れ、(*羽織は)綿入れ2枚で
よかった。
昨日は、留守に浜田 竹林氏が来られ、伝言で、
私の宅に得能 良介氏が参られるので、
そちらへ(*利通宅)参るとのことで、
心待ちにしていたところ、九ツ時(*お昼12時頃)に
(*得能 良介氏が)来られ、大学新疏(大学章句新疏。
だいがくしょうく しんそ、のことか。)・大学弁書を
持参され、一時、話されて、すぐに同道して、
浜田 竹林氏へ伺ったところ、一時、(居られ、か)、

【得能、浜田 竹林氏と共に磯で遊ぶ】
又、少しの間、話して、それから、磯辺へ出て、
もっとも両人は、前日より磯部をぶらりと歩くことを
約束してたとのことであったが、
もっとも、この日も午後過ぎで、あったが、
祇園堂辺りから、ゆっくりと歩いて、
海の様子は青く、山々の色は緑で、
陽の光は、温(ぬ)く、温(ぬ)くとしていた。

足にまかせて行くと、既に御茶屋下まで来て、

 こゝろから ひろくなりたる ここちすれ
   あをうなはらに ふねて せしより
(*心から 広くなりたる 心地すれ
 青 海原に 船出 せしより)

と云う古歌などを吟詠し、実に心も清々として、
この世の景色のおもしろさは、言語に尽くし難く、
三人共、それぞれ語らい、笑うこと止むことなく、
磯の古木の残る葉も花のようで、これを通り過ぎて、
すでに御取添地【原文ママ】まで来て、
白石氏へ浜田 竹林氏が、これから訪ねられるので、
そこ【不明】までは行こうと、
もっとも、字が書いてある巌があるので、見ようと、
そこまでは行き、少し、こちらで皆も座りたかった
ので、誠に、空(*むな)しくては、【不明】なので、
各々、志を書くべきであると。

【友人らと散策。風光を賞して詩歌の吟詠を試みる】
まず、遜士(得能良介)が、

  春たちて 幾日ならヌハ かすみタり
    木々の カレハハ 華かとソ見る

(*春 立ちて 幾日ならぬは 霞たり
   木々の枯葉は 花かとぞ 見る)

と、書かれると、これは優れたり、と、
私も同じく

  かきりなく 春のけしきを とゝむるハ
    この あヲうミ乃 水の上なり

(*限りなく 春の景色を 止どむれば
   この青海の 水の上なり)

と、記した。
浜田 竹林氏も

  幾重二も カすミ乃山を こ江つくし
    コゝロも うら二 奈リにケル哉

(*幾重にも 霞の山を 越え尽くし
  心も海(うら)に なりにける哉)

これも誠におもしろく、私は又、
唐風(*からふう)に、五言絶句を綴った。

  早春携杖出 暖日気氛氳
  碧海曠無限 青山断水雲

これも、各々、褒美に預かった。
それから歩いて、白石氏へ浜田 竹林氏が大声を掛けた
ところ、幸いにもおられて、是非、参れ、と
強く申され、辞退出来ずに伺うことになり、
景色は殊に勝れ、桜島を盆石のように目前に見て
ゆっくりしていると、ご飯まで御馳走になり、
大鐘近く(*午後6時頃近くに)帰り、
帰路、ゆっくりとして、

【浜田氏と琵琶を聞く】
浜田 竹林氏(*宅)へ夜入り近に行き着き、
実に一日の楽しみ、夢の暮しのようで、
お互いに話をしていると、近所で雑頭の歌が
あり、少しの間、出かけて、又、戻って語り、
およそ九ツ時(*午前0時頃)まで語り、
伊勢 平左衛門と申す人が来られ、一時、語り、
同道して帰り、浜田 竹林氏に士橋まで送って頂き、
それから春日小路から伊勢 平左衛門氏と別れ、
得能良介氏と二人で、官内の門前まで同道し、
一時、立ちながら語らい、実に遜士(得能良介)
の至情、身に余る立派な志ながら、いつも感動、
致します。


歴史の流れ・「大久保利通日記」と「文書」を読む3 
●嘉永年間の大久保利通日記 3
     に、続きます。

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