歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む4 

●嘉永年間の大久保利通日記 4

本編は、
大久保利通文書(全10巻)、
大久保利通日記(全2巻)を
(日本史籍協会 昭和2年)を底本として、
これを、あくまで趣味的にひも解いて、
現代風(意訳)に読んでいくものとします。
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。


嘉永元年 1848年 利通・19歳


大久保利通日記は、嘉永元年10月30日、以降は、
嘉永元年11月10日から同年11月30日に至ります。


大久保利通日記】から
●(*11月) 10日  晴
今日は、四ツ時(*午前10時頃)に出勤、
八(*午後2時頃)から帰宅。
明日は相撲があり、明晩は式夜で、別番で
私宅で今晩いたし、石塚 勇右衛門士、得能良介公が
来られ、石塚 勇右衛門士は帰られ、
得能良介公は一宿された。
もっとも明日は、相撲なので同道してお伺いすると
約束した。
もっとも今日は、組方から明日の御用の申し付けを
頼み、寄越して来た。


●(*11月) 11日 晴
【得能良介と桜島の有村で遊び、相撲を見る】
今日は、大鐘近(*午前0時頃近く)から起きて、
支度をして、六ツ時(*午前6時頃)から舟を出し、
四ツ時(*午前10時頃)に有村に着船した。
五時、初っ切り(しょっきり*相撲の禁じ手を
面白おかしく紹介する見世物。)が誠に面白く、
終日見物して、夜入り近くに済んだので上舟し、
帰りには鈴田 宗八郎殿も同船した。
風波は、やや厳しかったが、
四時分(*午後10時頃)に着船し帰った。
得能良介、鈴田 宗八郎殿は、門前で別れて
帰られた。


●(*11月) 12日 晴
四ツ時(*午前10時頃)に出勤した.
昨日、組方の御用につき村田氏に頼んでいたところ、
名代が承知して下されたので、私の名の「助」の字は、
「介」である。
どのように糾明されたか、早速御殿へ出て、
村田氏にその段、礼を述べ、組方へ「助」の字は、
(*全く) 異なっていることを演説した。
今日は、もっとも火の前(*地名)で御目付役の所へ伺い、
名を記した。
それから御座へ行き、御下(城下の下)から退出し、
今晩は、イノ(原文ママ)フ で、段々、
来客などがあった。(*イノフ・意味不明。)


●(*11月) 13日 晴
【亡姉の墓参へ】
今日は朝出で、五ツ時(*午前8時頃)に出勤し、
頭(かしら)は、平岡 八郎太夫氏であった。
九ツ時(*お昼12時頃)に仕事を済ませて、
新照院へ墓参し、城山を越えて帰宅した。

(石塚氏宅で会読、素読する)
大鐘近(*午後6時頃近く)石塚 勇右衛門士が
来られ、同道して石塚 勇右衛門宅へ伺い、
今晩は式夜で、会読、素読があり、
四時(*午後10時頃)に済んだ。
もっとも長沼 嘉兵衛士も来られ、
今夜は一宿した。

桜島の図
(クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの
もとに利用許諾のものより)

Sakurajima_Map_J[1] ●桜島・有里.jpg

●(*11月) 14日 晴、時々曇り
今日は、石塚 勇右衛門宅から六過(*午前6時頃)
に帰宅した。
四時(*午前10時頃)に用意して都城の鞘師所へ
一時、伺い、柄の仕上が出来たので頼んでおいた。
(*同年、10月4日に刀を頼んでいたもの。)
それから出勤して、八(*午後2時頃)から帰宅した。
七ツ過(*午後4時頃過ぎ)帖 佐太郎殿が
来られた。

【黒木 万佐衛門の宅に行き、座頭琵琶・妙寿を聞く】
今晩は黒木 万佐衛門殿宅へ座頭が来るので、
私へも吹聴があり、同道して伺うようにとの
申し付けなので、同道して伺った。
一時、長沼 嘉兵衛氏へ伺い、夜入り過ぎに
伺った。
座頭は、妙寿(琵琶弾き手)が来て、早速、謡った。
新玉から段々、葉歌があり、赤星小敦盛王嘗君
(*小敦盛は、御伽草子(おとぎぞうし)。
一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛
の遺児を主人公にした作品。)などがあった。
大鐘(*午前0時頃)近くに済んで、
既に明け方に到ろうとしたので、皆々引き取った。
誠に面白い限りであった。
それから又、亀山 杢太夫氏へ伺い、一宿した。
石塚 勇右衛門殿も来られたとのこと。


●(*11月) 15日 雨
今日は、六ツ時過(*午前6時頃過ぎ)に起きて
早目に帰宅しようと考えていたところ、
足に少々、傷があり、腫れ出して痛いので、
雨を見合って出勤もしなかった。
九ツ前(*お昼12時頃前)に帰宅して、
それから休んだ。


●(*11月) 16日 雨
今日は、五ツ前(*午前8時頃前)に起き上がり、
足の傷が未だ悪く、座ることが出来ないので、
出勤しなかった。
夕方、長沼 嘉兵衛殿が来られて話していると、
得能 良介士が来られた。
今晩は式夜なので浜田竹林士に書状を遣わした
ところ、しばらくして来られた。
今晩の会は無く、三人、共に一宿された。


●(*11月) 17日 晴、少々、寒し。
今日は三人、共に六ツ時(*午前6時頃)に
帰られた。
足が右(*上記)のようなので、今日も出勤しなかった。


●(*11月) 18日

【森山宅に相撲地取 [*じどり・稽古]を見る】
今日は、当然、出勤しなかった。
七ツ後(*午後4時頃後)相撲の稽古を見物に
森山 与兵衛氏へ伺い、夜入り過ぎに済んだ。
それから帰宅した。


●(*11月) 19日 晴
今日も当然、出勤せず。
九ツ時(*お昼12時頃)得能 良介、
石塚 勇右衛門士が、見舞いに来られ、
夜入り四ツ(*午後10時頃)まで話し、
得能 良介は一宿し、石塚 勇右衛門士は、
帰られた。


●(*11月) 20日 晴
今日は、六ツ時(*午前6時頃)
得能 良介が帰られ、今日も当然、出勤致さず。


●(*11月) 21日 晴
今日も当然、出勤せず。
相撲があるとのことで、森山 与兵衛と
家君(*利通の父)と同道して伺ったところ、
格別の相撲はないとの事で、取り止めにした。
八ツ前(*午後2時頃前)
新納 嘉藤次氏(*利通の義兄)が来られ、
税所 篤殿が七ツ時(*午後4時頃)に来られ、
今夜九ツ時(*午前0時頃)まで話し、
新納氏は帰られ、税所殿は一宿された。


●(*11月) 22日 晴

【税所殿、父のために「あんま」を伴い、来る】
今日は、四ツ過(*午前10時頃)
税所 篤殿は帰られ、出勤はしなかった。
(*税所殿は)今晩、あんまと同道して来られると、
父が税所殿と約束され、晩方から(*税所殿が)来られ、
あんまも来た。
税所殿は、又々、一宿された。


●(*11月) 23日 晴
今日は、四ツ過(*午前10時頃)税所 篤殿が帰られ、
長沼 嘉兵衛殿 が来られ、
七ツ過(*午後4時頃)まで話され帰られたとのこと。
夕方から得能 良介が来られ、段々、話され、
今晩は、一宿されるとのこと。


●(*11月) 24日 晴
今日は、六ツ時(*午前6時頃)に
得能 良介が帰られたが、全く覚えがなかった。
五ツ時(*午前8時頃)起き上がり、
四ツ時に用意した。
もっとも今日から出勤致し、出かけに、
垂水(島津分家)屋敷の鉄砲台師のところへ
立ち寄り、八(*午後2時頃)から帰宅した。

【南林寺へ祖先の墓参へ】
早速、皆吉 金六(*利通の叔父) へ、一時、
明日、湯治へ行くので暇乞いに伺う途中、
南林寺に参詣し、それから帰宅した。
大鐘(*午後6時頃)近く、得能 良介が来られ、
同道して浜田 竹林士へ暇乞いに伺い、
それから帰宅した。


●(*11月) 25日 曇り
【亡姉の墓参へ・菅公社に参詣】
今日は、五ツ時(*午前8時頃)に用意して、
城ヶ谷の鉄砲張所へ行き頼んでおき、
城ヶ谷越えをして、新照院・上山寺に参詣し、
それから新納 嘉藤次氏(*大利通の義兄)へ伺った。

【父および叔父・皆吉金六、税所 篤殿らと
桜島温泉に浴し滞在する。高崎 五郎右衛門らも来る】
それから加治屋町・大久保氏へ一時、(*後)
長沼 嘉兵衛と同道して佐市郎殿も
来られたので同道し、天神公(*菅公社)へ参詣し、
それから出勤し、早目にお暇を頂いて帰り、
準備をして、叔父様(*新納 嘉藤次氏)、税所 篤殿が
来られ、九ツ時(*お昼12時頃)に舟に乗り、
七ツ時(*午後4時頃)に着船した。
夜入り近くから入湯した。
入湯の帰りがけ、高崎 五郎右衛門殿が来られ、
およそ四ツ時(*午後10時頃)まで話されて
帰られた。
*高崎 五郎右衛門は、
藩主・島津斉興(なりおき)の跡継ぎ争いで
斉彬(なりあきら)擁立派の中心人物。
斉興の側室・お由羅、家老・島津将曹らの
お由羅派の暗殺謀議の咎(とが)で切腹した。


【古里(桜島)湯治中。】
●(*11月) 26日 曇り、雨。
今日は、六ツ時過(*午前6時頃過ぎ)目を覚し、
父上様と同道して一度、入湯致し、
帰りがけ、宮原氏が来られた。
四ツ時(*午前10時頃)まで話しをした。
(*また)田山 正庵殿が来られた。
夜入り近くから温泉場へ一時、行き、
(*又)一度、入湯して、帰りがけに
又々、宮原氏が帰り来られ、町田氏へ参上するように
とのことで、私は伺った。
四ツ時 (*午後10時頃)に(*宿泊先へ)帰った。


●(*11月) 27日 曇り、雨。

【高崎 五郎右衛門の来訪あり】
今日は、六ツ時過(*午前6時頃過ぎ)に
一度、入湯し、それから宿泊所へ帰り、
鹿児島の府から便りがあり、書状を認(したた)め、
皆吉金六氏へ一通、宿許へ一通、得能良介へ一通を
認めて出し、又々、一度、入湯した。
帰りがけに宮原氏が来られ、高崎氏も来られ、
夜入り近くまで話した。
それから又、一度、入湯し、帰りがけに田代氏兄弟、
肝付(*きもつき・地名)の坊主が来られ、
およそ四ツ時分(*午後10時頃)まで話して帰られた。

桜島の図
(クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの
もとに利用許諾のものより)

Sakurajima_Map_J[1] ●桜島・古里.jpg

●(*11月) 28日 曇り、雨

【高崎氏、又、来訪あり】
今日は、五ツ時前(*午前8時頃雨)に入湯して、
一度、(*宿泊所へ)帰り、朝飯を食べて田代氏へ伺い、
同道して一度、入湯し、帰りがけに大田三人が
宿泊所へ来られ、八ツ時分(*午後2時頃)まで
話をして帰られた。
高崎 五郎右衛門氏が入湯の帰りがけに来られて、
鹿児島の府から書状が得能 良介氏から来た。
取り敢えず数枚の得能 良介氏の書状と、
黒木荘次郎氏(加治屋町方)から一通で、
(*黒木氏は) お暇を下されたので届けを出し、
28日から出勤するようにとの事であった。
黒木氏からの書状、又々、児玉新五右衛門殿などへ
届いた書状もあった。
高崎 五郎右衛門氏が旅舎へ来られる、
と申されたので、伺った。
鶏汁で飯などをいただいた。
私は、七ツ過(*午後4時頃過ぎ)に宿舎へ帰った。
父君もまだ帰られておらず、夜入りに帰られた。
湯にも行かず、夜は田代 源之丞殿兄弟、
肝付坊主と3人同道して将棋などで終夜を暮らした。
およそ八ツ時分(*午前2時頃)に宿泊所へ
帰った。


●(*11月) 29日 晴
今日は、六ツ過(*午前6時頃)に起床して
私は入湯も致さず、九ツ時近(*お昼12時頃近く)
から町田氏へ伺い、(*そこへ)隈岡氏、肝付坊主、
田代兄弟が来られた。
八ツ過(*午後2時頃過ぎ)又々、私の宿泊所へ
同道して行き、夜入り前に帰られた。
晩も三人が来られ、八ツ時(*午前2時頃)まで
話して帰られた。


●(*11月) 30日 晴
今日は、六ツ過(*午前6時頃)に起床した。
田山 正庵殿が書物を持参された。
四ツ前(*午前10時頃) 田代源之丞兄弟、
肝付坊主が帰宅されるとのことで来られた。
四ツ時過(*午前10時頃過ぎ)から父君と
一、二度、入湯し宿泊所へ帰った。
夜入り近くから宮原氏が来られ、
五ツ時(*午後8時頃)宮原氏が来られ、
四ツ時(*午後10時頃)一、二度、入湯し
宿泊所へ帰った。


次回、歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む5
大久保利通文書 巻1 に続きます。


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