歴史の流れ 「勤王芸者」を読む 10

歴史の流れ 「勤王芸者」を読む 10

勤王芸者

本編は、小川 煙村(おがわ えんそん)の
「維新情史 勤王芸者」( 明治 43年刊) の小説
を現代文(意訳) で読むものです。

*原文の表現について。
部分的に、現在にふさわしくないと思われる
個所があり、語句表現の一部を修正しています。


●長州の落ち武者、祇園町へ来る

伏見の福原 越後の手勢も大垣藩のために食い止められた
上に、大将・福原は銃丸のため深手を負って退却と
なりました。
これで長州は三方ともに総敗軍となりましたが、
町家などに逃げ隠れる者もあろう、と幕軍は、
宮家と云わず、町家とは云わず焼玉を打ち込んで、
家を焼き立てたから、たまりません。
洛中は一面の火炎の都となって四方八方に燃え広がる。
老若男女は右往左往に逃げる。
何しろ焼玉(やけだま)を打ち込むのだから土蔵でも
何でも燃えてしまいます。
この大火事が京焼けと云う有名な大火。
市街の過半を焼いてしまいました。

このような騒動の中に品川弥太郎は、堺町門の戦いに
参加したが、無念ながら再挙を計る落武者となって
4、5人で南へと落ち延びる内、堺町の三条で南から
何藩かがやって来るのに出会った。
これを避けて落ち行く身。
なるだけ人目にかかからぬ様に、と行けば、
西へ行くべきが東へ行って祇園町へと来ました。
さしづめ、君尾の家で支度をしてと、落武者5、6人が
ドヤドヤと押し込むと、君尾を今朝からの砲声。

敵が勝利か味方が勝ちか、
我が思う人の身の上に過まちなかれ、

と、氏神・祇園神社を伏し拝み、心をこめて祈願したが、
早伝わる噂に聞きば、長州は敗軍。

敗軍とあっては品川様の御身も心もとなし、

と、身も世もあらぬ想いに悶えていました所へ、
思いがけない長州の落武者。

品川弥二郎 二十三歳の像
京都大学・維新特別資料文庫
「Free License 」二次利用自由より
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「まあ、貴方はご無事で。」

「ご無事で落武者じゃ。
帰るねぐらの途を失うて、ここへ来た。
山崎まで引き返したいが、一体どう云う道順で行けば、
よろしいか。」

今、洛中・洛外は落武者の詮議が厳しく、
殊に伏見も破れし、と聞こえしからは、山崎表への道は
ちょっと難しい。
殊に芸妓をする身の地理などに詳しいはずがない。

「わしが案内して進ぜよう。」

横合いから言う男がありました。
これぞ水野 南稜と云う奇人で大道易者であるが、
やはり勤王の志あり、それで君尾が勤王家と交わりを
結ぶことを知って、よく遊びに来る。
今日も御所の戦さの噂さをしに来たのでありますが、
この男は、又、洛中・洛外の地理に精通していて、
何々山の抜け道、何々街道の裏道と人の知らぬ道を
よく知っています。

「水野さんの案内なら大丈夫、行きましょう。」

と、君尾も愁眉(しゅうび)をひらき、

「それじゃ、よろしく願います。」

「イヤ、引き受けたから、ご安心下さい。」

さらば、さらばと別れ行く落武者の影。
今別れれば、また今度の逢瀬こそ何日になるか、
さても果敢(はか)ない恋。
役者や相撲取りを男に持つのと違って、
品川ほどの者を男にすれば、又、辛い恋路も
我慢しなければならぬ。
独り者には、ここの辛さは味われん。


●義士、天王山に死す

山崎に控える益田 右衛門介は、嵯峨、伏見および、
この手の戦さは如何と待ち構えていると、
嵯峨の手は蛤御門を乗っ取られけど来島は戦死して
総崩れとなり、国司 信濃は、5、60騎馬に打ち漏されて
天龍寺に引き返したが、ここも、いたたまれずに、
山崎へ落ち延びて来た。
幕軍は天龍寺をも焼き払ってしまいました。
堺町門は、久坂、入江、寺島の諸剛を失い、
伏見は、主将・福原までが手傷を負うて、三方共に
敗軍となり、何れも山崎へと集まりました。

この上は天王山に立て籠もって、今、一戦を試みよう。
(国へ)帰り、勇を新たにして来よう。

と、云う者もありましたが、
長門守殿は、外国船が本国を襲う形勢があるので
京都に向かって出発が出来ない、との情報がありました
から、この上は無謀な戦さをなさんよりは、と、
一同、国へ帰る事に致しましたが、
中に真木 和泉、松山 深蔵らは、

「我らは、ここに踏み止まって討死に致そう。
この度は巨魁を目指し、恐れ多くも禁中を騒がしながら、
この大敗を致し、当の敵、会津の頭をも見ずして
おめおめ、本国に帰る事は出来申さぬ。
貴藩の人々は、揃うてお帰りあれ。
我ら他藩の浪人は踏み止まって、自害致さねば、
死に勝る恥なり。」

と、申す言葉に道理あり。
彼らの死は惜しまれるが、義心鉄腸、
又、察するところで、さらば名残は尽きぬが、涙もの共、
別れて国へ帰る人。
天王山に残る人。
悲しき別れを告げました。

天王山・烈士墓表
34  IMG_6246 ●烈士墓表.JPG


真木、松山ら14、5人、今は心安しと水盃を酌み交わす
所へ、品川 弥二郎が参った。
思いがけぬこの場の様子に、次第を聞けば、各々の事と
言う。
貴殿も後を追うて急がれよ、と言う。

「和泉殿、我一人生きればとて、又、死ねばとて、
長州藩の軽重には関わり申さぬ。
されど、又、義烈・壮烈の諸君の志を聞いては、
弥二郎、このままに帰られ申さぬ。
武士の面目。
一所に腹、切り申そう。
諸共、三途の川を渡らせ下され。」

と、切に乞うて(弥二郎は)聞き入れない。
けれど真木は、この憐れな好青年を殺すに忍ばない。
理をわけて諫めましたが、

「されば諸君の最期を見届けて落ち行かん。
それまでは置いてくれ。」

と、言いましたが、その内、幕軍では会津の
神保 内蔵助を総大将として1,500で天王山に
押し寄せました。
先手は新撰組の者が致して、ひたひたと山の麓を
囲みました。
多分、天王山には残兵が籠っていると、斥候を放つと、
山中は、げき然として、静まっている。
さては臆病風邪を吹かして逃げ失せたか、と、
用意も致さず山を登ろうとすると、
山中では決死の17、8人が所々の木の間に隠れて
敵が寄せると見るや、手頃を見計らって一時に
発砲し、声を揚げ、樹木を揺らして鬨(とき)を造る。
さては敵に伏勢があり、と追手は散々になって
逃げました。
一度は奇計を奏すれど、二度、三度と、この手ではいかぬ。
見苦しい恥をかくよりは、潔く自害致さんと、
真木 和泉、

大山の 峰の岩ほに うめにけり
  わがとしつきの やまと魂

と辞世を詠んで腹を切る。
我れも遅れじと17士、
何れも勇ましく自害を致し、かねて用意の積み重ねた
薪に火をつけて、黒煙の中に踊り入りました。
一部始終を見届けて、品川 弥二郎は超然として
山を下りる。
麓の幕軍は、少しも知りません。

天王山・十七烈士の墓の概観
35   IMG_6309 十七烈士の墓の概観.JPG

●桂小五郎と芸妓・幾松

天王山の寄手は初度の手合わせに懲りたので、
容易に攻めかからずにいると、思いがけない黒煙が
山林から上がった。

それ、敵に手過ちあり。
この機に討ち取れ。

と、エイ、エイと声を出して攻め登ると意外にも
兵士の姿は見えず、志士17名が尋常に割腹して
火炎に炙られて黒こげになっておりました。

さて、池田屋騒動から蛤御門の戦いのを申し述べたので、
これからは、木戸 松菊先生の話を申そう。
桂 小五郎は、この時の戦さに国司 信濃の隊の参謀を
致したが、これも落ちて参る時はとっさの急なので、
六条・本願寺の法被(はっぴ)を着て、本願寺の男衆に
装って逃げ出しました。
けれど、再び取って返して、これから長州人が容易に
入ることが出来ない京都において、様子を詳しく
探りました。
これを助けた者が、三本木の幾松に、祇園の君尾の両芸妓。
三本木の幾松と桂 松菊の間柄は、切っても切れぬ間で、
後来、木戸 孝允となり、時の政府に時めく人となっても、
この幾松を正妻として一生、琴瑟(きんしつ・夫婦仲が
ごくむつまじいことの例え)、相、和せられた。
にもかかわらず、この関係の初めにせけんでは余り
伝わらない一条の物語があります。

桂 小五郎は、三本木の町芸妓・幾松に惚れました。
けれど、幾松には当時、江州の富豪が旦那についているから
欲深い母親は、

そうまで、富める者にもあらぬ。
長州侍のために、大事な金の生る木を失のうては
ならぬ。

とて、桂の座敷を出来るだけ断った。
恋に弱きは、両刀を差せども免れない。
桂は恋の「とりこ」となった。
その頃の三本木の町芸妓は、すでに申したように
円山の山芸妓(やまねこ)と同じく、
舞をもって鳴ったもので白拍子と名付け、
本衣装を着けて主戦の舞を舞いまする。
ちょうど今(明治の後期)の紅葉館の館妓を
もっと本職にして、もっと舞を上手にしたものです。
それで三本木には、茨城屋、信楽などと云う貸席が
あって、当時、諸藩・留守居の遊び場所、
すなわち、諸藩の外交係が遊んだ所ですから
通人が多く来る金遣いも奇麗な連中ばかりで
ありました。
三本木には、ご承知でしょうが頼 山陽先生の住居が
あります。

山紫水明処
36 IMG_0847★日記1 山紫水明処.JPG


●桂小五郎と芸妓・幾松

恋の「とりこ」になった桂の様子、
日頃に似ず、塞ぎがちになるのを、怪し、と見た
慧眼(けいがん)な伊藤 俊介。
伊藤公は松菊先生には引き立てられたものですが、
その先輩の顔色が尋常じゃない。
何事か心配があるのか、と言葉巧みに聞いて見ると、
あわれ、芸妓への恋が、かなわぬと云います。
委細を聞いて、

それは易いことだ。
私が、きっと、この恋を取り持ってあげます。

と、安受け合いに受け合う。

「伊藤、貴公にいい考えがあるのか。」

「いい考えも、悪い考えも、高が芸妓じゃありませんが、
ハテ ご心配あるな。」

「しかし、無暗な事を致してはならぬよ。」

「万事、私にお任せなさい。
貴殿も恋の駆け引きには、私の後輩じゃ。」

伊藤 俊介、広言を吐いたが、どうして桂のために
幾松を口説くのか。

幾松が籍を置いた三本木・吉田屋跡
37 IMG_0839吉田屋跡★.JPG

●伊藤 俊介、出雲の神となる

芸妓・幾松を必ず貴方の意に従わせます。
俊介、引き受けた。

と、広言を吐いて伊藤は三本木の幾松の屋形へ参った。
ちょうど幸いと、幾松の母がおりました。

「幾松殿の事で参って。」

この母親は、欲の深い女でありましたから、

「ヘェ あれが、どうか致しましたのでございますか。」

「あれに執着しているご仁があるが、
どうじゃ、客にしてくれぬか。」

「まあ、滅相な。
幾松にはれっきとした商人の旦那がありますから、
お断りいたします。
けれど先様が今の旦那以上にお金を下さる方なら、
とにかく、近頃、桂とか云うお侍さんからお話しが
ありますけれど、どうして、あんなお侍さんと今の旦那と
取り替えられますものか。
貴方の方は、どなたでございますか。」

「その桂じゃ。」

「ヘエ それなら、お断わり申します。」

「ところがな。
物は相談じゃが、金ならウンと出そうと云うが、
どうじゃ。」

「ヘエ お金をウンと出す。
あの方が、そんなにお金がありますか。」

「近頃、大した金が入ったからな。」

「左様でございますか。一体、どれ位を。」

「これ位じゃ。」

伊藤 俊介、いきなり大刀を抜いてばあさんの鼻の先へ
出しました。
婆さん、驚かない事か、ソア と云うて早、
腰を抜かしました。

「金で承知するなら出来るだけやる。
厭と云うなら、この光った金をやろう。
桂 小五郎は私の先輩じゃ。
あの位の男に惚れられたら女冥利じゃぞ。
幾松に否応は、ない。
そちを嫌って承知せぬ。
私は桂氏に恩を着る者じゃ。
あのご仁の恋が叶わねば、私が復讐する。
さあ、幾松を桂に出すか、出さぬか、
よく性根を落ち着けて返答せい。」

どんなに欲な人でも命は、惜しい。
それでは江州の旦那に内緒にして下さい、と、
とうとう桂をお客に取る事を承知しました。
伊藤 俊介、これを聞いて立ち帰り、

「幾松の母を説き付けて参った。
お礼は、ござるでしょうな。」

「真実、承知致したか。」

「この伊藤にかかれば、朝陽は雪で直ぐ溶けますじゃ。」

「これは、近頃、かたじけない。」

この怖い取り持ちで、松菊先生は幾松を契りを結んだ。
幾松も才人・小五郎を客にとれば、江州商人よりは
この侍のほうが可愛い。」
いつしか、幾松からも惚れ込んでしまいました。
実意と実意の尽くし合い、恋仲では、これが一等、
楽しいもので、浮気同士が、ついこうなって、
ああでもないと、四畳半じゃ浮かついて、つまらない。
惚れ合ったら実意の尽くし合い。
このため桂 小五郎、危なき難を潜って国家のために
奔走する。
幾松、身を忘れて男のために尽くす。
維新情史の一、二の所であります。


●箱廻しとなる苦肉の策

虎穴に入りて虎児を得ようとする桂 松菊の大胆さ。
最初、長州邸に隠れていましたが、余りの退屈にある日、
芝居を見に参った。
(すると)たちまち会津に見つけられて縄目に
かかりました。
寺町通りを行くと、桂は急に、用を足したい、と言う。
仕方がないから縄を取って、歩卒、2、3人に番をさせて
侍は離れていますと、桂は厠(かわや)に入って見ると、
幸いにも、これが両方から出られるようになっている。
そこで、脱兎の勢いで、一方から逸散に逃げました。
それ、桂が逃げた、と追っかけたが、わずかな所で
桂は首尾よく対州邸へ逃げ込んだ、と云う話があります。

祇園・鳥居本の小座敷において近藤勇は、他2、3の者と
会合を致して相談をしていました。
ふと、気が付くと障子の外に人がいる様子。
ガラリ、と開けると芸妓の箱廻しが、あちら、こちらを
キョロ、キョロ 見ている。
こいつ、怪しい奴、と襟髪を捕えました。

「コリャ 貴様は、ここで何をいたしておったか。
正直に白状しろ。」

「へエ 君尾さんが見えませんので、
どのお座敷がと、探しとりました。」

「嘘をつけ。
貴様は吾輩の相談を立ち聞き致しただろ。」

「イイエ 滅相もない。
どう致しまして、そんな恐ろしい事が。」

箱廻しは、どうされるのかと、ガタガタ歯の根が
合いません。

「隠すな。
貴様は、何と云う者じゃ。」

「へー 箱廻しの源助。
いたって正直者でござります。
どうぞ、お許し下さりませ。
悪い事を致す者でござりませぬ。
へエ 立ち聞きなんぞ、夢にも致しませぬ。」

廊下に頭をすりつけて詫びます。
この騒ぎを聞きつけて来た君尾、

「オヤ 源助さん、どうかしたのかね。
お前、又、粗相したのでしょう。
しようがない頓馬だね。」

いきなり、ピシャリと頬をなぐりました。

「へエ ごめん下さいませ。
へエ 貴女を探しとりまして。
へエ、どうも、へエ。」

箱廻しの源助は命を取られる恐ろしさに、
詫びています。

「オヤ 近藤様でござりりましたか。
これは私の箱廻しの源助。
何か不調法を致しました様子。
不調法があれば私からお詫び致しますから、どうぞ
ご勘弁下さりますように。」

この他、鳥居本の女中も参ります。
他の芸妓も参りまして、源助のために詫びまする。
別段、これと云う証拠のない事ですから、
それじゃ、許す、とあって源助は、命を拾った、
と喜んで帰りました。

「お前さん、帰りに宅へお寄りよ。
言って聞かす事があるから、
本当にしようない頓馬だね。」

君尾は、あくまで罵って源助を追いやりましたが、
座敷を済まして宅へ帰ると、果たして源助が待っている。
君尾は人目のない一室へ導いて源助を上座に据え、
自分は末座に平伏し、

「今日の無礼は、ご堪忍なされ下されませ。
いかに身をやつしておられるとて、卑しき芸妓。
風情に打たれて残念でござんしたろ。
幾松さんが、あれを見れば、どんなに口惜しがった
でしょう。
身分も憚らずに無礼致しましたは、幾重にもお詫び
申します。」

「イヤ 君尾。
詫びる事はない。
私からは礼を云うよ。
あの折、ああでもしてくれねば収まりがつかぬから、
よく頬を打ってくれた。
あれが、わたしの命拾いだよ。」

頬を打つ君尾も辛し、打たれる桂も国のためとは
言いながら、よく恥を忍んだり。
維新回天の大業も、なかなか血の涙がありますぞ。


●この浮浪者は、何者ぞ

京都・西大谷に牢と云う所があります。
昔、源平時代において悪七兵衛 景清が土牢に
入れられたと云う伝説がある所で、
梅が香や 乞食の家も のぞかるる。【原文ママ】

この辺りは、こじき原と云って、非人共が住まいに
致す場所。
清水に近く、西大谷に近く、鳥辺山の傍で、
物詣での人が通行する道の端でありますから、
浮浪者、物貰いには屈強の住居地。

この浮浪者の仲間に近頃、新米の浮浪者が、
一人交じった。
他の古参下部と交際もせず、独り別になっていましたが、
貰い場所は三条河原で、木屋町・先斗町・祇園町の
裏手を伝って、うろついています。
大抵は三条の端の下にいて、夜は、この牢の谷へ
帰って来る。
最初は別段、仲間の者も気がつきませんでしたが、
ある時、ふと、三条の橋の下に、この浮浪者がいると、
橋の上から朝日を拝む真似をして握り飯を落としてやる
女を仲間の浮浪者が見つけ出した。

明治5年頃の三条大橋、西詰を望む。
京都大学・維新特別資料文庫・
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著作権者が第三者の自由な再利用を許諾した
ことを確認済。
38  IMG_5337●38 (1280x960).jpg

その女が、又、ただ者ならぬ芸妓風の女でありました。
帰りを見届けると三本木へ帰ります。
又、この頃になっては下女風の者が、この新米に食物を
運んでやる。

「お前さん。
又、明日、持って来るよ。」

「ヘイ、ヘイ、おありがとう存じます。」

この女中が毎日来る。

新米め、うまい旦那を見つけやがった。
冷や飯の残りでも、ヒジキの食いさしでも女の
くれる物は、いい気持ちだ。
まして、あの女中も普通の堅気の家の者じゃない。
この新米は、よくよく女に縁のある奴じゃ、

と、法界悋気(ほうかい りんき。
*自分と直接関係ないことに嫉妬すること。)も起ります。
一体、毎日、毎日、貰っている残り物はどんなものか、
と、新米のいない間にのぞいて見る奴がいました。
残り物どころか、わざと食わすためか、鰻巻のほこほこ
しているものが、あるくらい。

「旨いな、あの鶏卵の匂いが。
クスン クスン うまい鰻の匂いがするな。」

「江州、ヨダレを出すない、みっともねぇや。」

「若狭だって、こんなものは食った事がなかろう。」

「そりゃ、そうだ。
あの新米は一体、生意気じゃぞ。
いい宝を見つけやがって、自分独り占めにして。
仲間に分けないって奴があるか。
浮浪者冥利がつきらあね。」

「あんちくしょう、とっちめてやれ。」

「待てよ、それじゃ、面白くねぇや。
お前、こりゃうまい考えをしようぜ。」

「越前に考えがあるかな。」

「あの女中の後をつけて、宝をつきとめろ。
そうすれば、そこへ行って、たんまり絞れようぜ。
新米を虐めるより、その方が宝が大きいや。」

「うまい所を考えやがった。
越前は、さすが真田幸村じゃ。
手分けして後をつけろ。」

かかる事とは知らぬ女中は、明くる日も例のように物を
やって帰りますと、その後を見え隠れに浮浪者が2、3人。
首尾よくつきとめた先は祇園町の君尾。
〆子の兎(しめこのうさぎ。*しめた、の意)、と浮浪者は、
勇んで、労の谷へ馳せ帰りました。


●浮浪者の大群、襲い来る

云わずも知れた、あの新米浮浪者は桂小五郎、
その人でありました。
三条の橋上から朝陽を拝む振りで握り飯を投げましたのは
三本木の幾松であります。
幾松と松菊先生の関係から幾松が一命を賭して桂氏を助けた
逸事は沢山ありますが、それは又の事として、
さて、この浮浪者連中は新米が毎日、食物を運ぶのは
祇園町の芸妓・君尾方からであると知って、
これは、面白い事だ、と喜んで馳せ帰り、

「さあ、皆、来い。面白いぞ。」

「何じゃろかい。
面白い、面白いって大きい貰い物でもあるのがやい。」

「大きい貰い物じゃ、鯨がかかったわい。」

「鯨! フウ 大きく出たな。」

「鯨でも美しい鯨じゃぞ。」

「何じゃろかい、その鯨は。」

「祇園町の芸妓じゃわい。」

「芸妓じゃ、いいな。 別嬪かい。」

「別嬪も、別嬪も。」

「汝、そりゃ、本当かい。」
「本当じゃとも。
君尾と云う芸妓が、あの新米の施主じゃ。
これが、1日、2日なら、又、何じゃろが、
ああ、毎日くれるのは、親類じゃろか、
縁者じゃろか。
昔の女か、旦那か、まあ何でもいい。
皆、来い、皆来い。
俺について来いやい。」

浮浪者の同勢、30名ばかり、
鼻つく臭気を先に立てて、ぞろぞろと祇園町へ
やって来ました。
花見衣のシラミの行列と云う体裁であります。
道路を目をそばだてて見る。
浮浪者の仮装行列か、もしくは懇親会か。
表の格子戸を明けて、胡散臭い奴がぞろぞろ。

「あれえ。」

と、女中は真っ蒼になって奥へ飛び込んで逃げます。

「エへヽヽヽ、手前達は清水・牢の谷の浮浪者で
ございやす。
へエ 浮浪者と申せば非人・物貰い、その非人・物貰い
に用がない、とおっしゃるか知らぬが、
へエ 友達よしみに用がねえ、とは言わさしやせぬ。
へエ お付き合いの御挨拶に参りやした。
エへヽヽヽ。」

と、薄気味悪い笑いをします。
他の者ならとにかく、浮浪者の一大隊が押しかけて
来たのには、如何なる勝気な君尾も閉口しました。
稼業柄もありますから、けれど元来が気の強い女、
恐れを見せず、

「オム お前さん達は、何か勘違いをしたのじゃないかい。」

「ヘイ 幸いにと勘違いは致しやせんので、
実を申せば、御当家の御親類が近頃、俺の仲間に入りやして
新米でやすな、新米のくせに仲間付き合いをしない。
一番、とっちめてやろうか、と云う気の早い奴もありましたが、
ヘエ 御当家に済まねえ。
君尾さんにも済まねえ。」

「それが、どうしたと、お云いだよ。」

「どうしたと、どうしたもねえや。
解りの早い芸妓商売。
エへへへ そう申してしまえば、実も蓋もありません。
ねえさん、どうぞよろしく願いやす。」

「何だと、お云いだよ。
君尾の親類が浮浪者になっている。
よしとくれよ。
そりゃ、お前、鳥目が欲しければ上げない事はないさ。
しかし、私の親類が非人になった。
それは、いけないよ、看板の疵になるから。
せっかくだが、その文句を取り消しておくれじゃなければ。」

「フム いけねえ、と云うのかね。
これは面白いや。
オイ 仲間の者、揃ってるかい、合点か。」

「合点じゃ。」

20名ばかりが、ガヤガヤ、ガヤ。
この始末、いかにつけましょう。


次回、歴史の流れ 「勤王芸者」を読む 10
に続きます。
右欄の「テーマ別記事」勤王芸者 を参照。



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