歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む16

●大久保利通日記・文書 文久2年

本編は、
大久保利通文書(全10巻)、
大久保利通日記(全2巻)を
(日本史籍協会 昭和2年)を底本として、
これを、あくまで趣味的にひも解いて、
現代風(意訳)に読んでいくものとします。
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。

【目次】(ほぼ時系列で掲載)
文久2年・33歳

(文書)18・  文久2年3月
         久光公上京道中警衛等言上の覚書

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
     文久2年(1862年)3月16日 ~ 3月18日

(文書)18・参考2  文久2年3月18日
     平野国臣より大久保への書翰

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
     文久2年(1862年)3月9日 ~4月1日


――――――――――――――――――――――


この頃(年表より)

文久2年 1862年 利通・34歳

3月16日 島津久光、士卒1000人を率いて東上。
       利通、これに随従する。

(文書)18・  文久2年3月 (大久保家蔵)
久光公上京道中 警衛等言上の覚書 

(要点)
文久2年(*1862年)春、久光公、初めて、
この度の上京の際、お供など、途中の注意などにつき
言上したものである。

(解説)
これより先、利通らは、島津斉彬公の遺策の
実行につき、度々、建言するところがあったが、
久光公は遂に、忠義公に代わり東上し、国事尽力の
意を決し、利通と伊地知 貞聲を抜擢して御納戸役とし、
まず両人を予め江戸、および京都の事情をさせ、
いよいよ、この年、3月16日、
精兵、千余人を従え、威儀堂々と鹿児島を発し、
上京の途に就いた。
なお、久光公の上洛の前年、すなわち、
文久元年の冬からこの年の春に亘り、
諸藩の勤王志士が密かに薩摩に入り、
久光公の上京を好機会とし、久光公を戴いて、
事を挙げようとする者が相次いで、
殊に平野国臣(当時、姓名を変えて藤井五兵衛と
称する)および真木保臣のように、皆、
薩摩に至り、大いに運動するところがあった。

(本文・意訳)
一 ご小姓の件、これまでの参勤では、お供は、 
4人で済んで来ましたが、この節では6人になり、
御番方、御供方は3組に分けて、7人までは、
ぜひ輪番でお供致したく申し上げます。

一 御小人(おこびと)・足軽は、これに応じて、
多くなります。
お供の人数、荷物は、出来るだけ、少なくする
ようにと、仰せ付かっています。
やむを得ない必要な品物の他は、蒸気船から、
差し回したく存じます。

一 お泊りの場所は、吟味を行き届きたく存じます。

一 ご通行、お泊りの宿まで、ぜひ、夜にならない内
には、お着きになるように、お宿割りをされたく
存じます。
朝もその通りで、提灯を消された上で、
お発ちになりたく存じます。

一 お草履の取り替えには、3人の準備を
整えたく存じます。

一 守衛の人数は、お発ちの前々日に、
20人を揃えて、出立したく存じます。
お発ちの前々日と同様、一日後からも同様、
二日日後からも同様に(*20人を揃えるように)。

一 お駕籠の脇へ、別に、20人を揃えて、行列に
加えるように仰せ付けられたく存じます。

一 お泊りの駅の夜回りは、 いつもよりも念入りに、
一時間ずつ、寝ずの番をして、その他、
絶え間なく継続して、見回るようにと仰せ付けられ
ました。

一 蒸気船でお発ちの出帆当日は、小倉へ回って
待った上で、小倉から渡海される両日は、出帆に伴い、
大坂河口まで廻り大坂にいて、大坂をご出立後、
7日ほどは出帆に伴い、江戸の様子を回りたく
存じます。
先荷、後荷などは、都で蒸気船に積み入れたく
存じます。
大坂に滞在中は、江戸で滞船したいので、
二隻もあれば良く、一隻ずつは、ぜひ滞船せよと
仰せ付けられたく存じます。

一 もしも、お泊りの折に出火騒動などがあった折は、
軽率に自然とご出立のないように、(*また)
ご本陣に火がかかるような折は、x [焼損] の所へ
行かれるのが、第一だと存じます。

――――――――――――――――――――――

(*以降・第二巻)
文久二年壬戌 三月十六日 日記
      大久保氏
    原本 美濃紙 横帳六十三枚
       縦四寸九分 横六寸九分
            (大久保氏)

【大久保利通日記】から
   *以降、分かりやすくするため、日付の前に
    本文・意訳に、の印を付けました。

(本文・意訳)

★(久光公 鹿児島発 利通随従)
(文久2年)3月16日 晴れ
今日、和泉(島津久光)様が、二丸から
ご御出立につき、暁(あかつき)に出殿され、
午前10時頃前、島津茂久様、入られ、
ご一門方・ご三役は、お目見えが済んで、
お出でになり、水上、横井で、二度、昼食を
とり、五本松でお休みになり、苗代川
(*現・鹿児島中心街から30km、現・日置市美山)
に7時過ぎに到着されました。

★(鶴亀の舞)
一 お仮屋(おかりや・江戸期の参勤交代時の休泊所)
を通られる毎に、鶴之舞・亀之舞(*韓国伝統舞踊)
が催されました。
*苗代川地域は、豊臣時代の文禄・慶長の役での
引き上げの折に、多数の韓国人を捕虜として
連行した地域。

3月17日 晴
今日、朝、6時頃、お発ち。
【原書 二行欠文】
上記の通りお休みされて、
(二行、欠文の為、場所は不明)7時に、ご到着。
一 今日、お先番で、朝、4時過ぎに、ご出立。
市来湊で昼飯を済ませ、午後2時頃、向田に到着。
今夕、(*自分は) 宿衛である。
★(万才)
一 お仮屋での万才(まんざい・新年の言祝ぎの話芸
として全国でおこり、漫才の元になった。)の式は、
いつものことである。
一 お庭から、千臺川(せんだいがわ・川内 川)の
綱引きをご覧になられた。

――――――――――――――――――――――

(文書)18・参考2 文久2年3月18日(大久保家蔵)
平野国臣より大久保への書翰

(本文・意訳)
少し謹んで申し上げます。
時下、春、暖かな日和であります。
ますますご多幸、大賀の至りでありますが、
この節、中務大輔様から修理大夫様へ使者として
不破左門(*久留米藩士・佐幕開国の方向で藩政を
指導した。)を差し向けたところ、私事、
わが藩において旧知のひとなので、実情を
申し上げるのにふさわしい者なので遣わしたことを
申し添え致します。
小松帯刀・貴兄(大久保利通)様は、すでに
出掛けられ、両人共に京に向かわれ、
お留守と承りましたので、昨夜、直ちに、
吉井中助殿へ書中で、お願い致しました。
よって、朝、旅宿へ出掛けられ、大体の内談は、
申し上げました。
すると、大久保様は、ご在国とのこと、今、
亭主から承りました。
これまで、顧みるに、ご厚誼もいただき、
なお又、ご配慮をお願い申し上げたく、急ぎ、
お目にかかり、ご相談申し上げたく、
私の方から出かけて、よろしいでしょうか。
ご指図をしていただきたく、もっとも、
吉井君へは、申し上げておりますが、
吉井君とも、ご相談の上、万事、よろしく、
お取次ぎ頂きたく、去年来のお礼も申し上げたく、
何分、早目に、お目にかかりたく存じます。
         早々、頓首
  3月18日

追伸。推して、お目にかかれば、亭主は、
迷惑と聞き及んでおりますので、
貴兄から、お指図して下されば、差支えも無く、
何分、よろしくお願い致します。
大久保一蔵様   真木和泉守
  几下(きか・*相手の机の下に差し出す意で、
相手を敬って宛名 に添える脇付わきづけのひとつ。)

――――――――――――――――――――――

大久保利通日記・上巻・第2巻.
【大久保利通日記】から 文久2年(1862年)

(本文・意訳)

3月18日 晴
今朝、5時頃、お発ち。
【原書 二行欠文】
上記のように諸所で、お休みなされて、
午後4時過ぎ頃、阿久根へ、ご到着。
一 表方(おもてかた・江戸時代、領内の支配を
担当した役職の総称)へお酒を下された。

一 今日は、(*自分は) お供で、西村瑞(マヽ)宅で、
宿す。

一 今夕、吉井 仁右衛門、海江田武次、
奈良原 喜八郎が来る。


3月19日 
今日、六ツ半(午前7時頃)ご出立。
【原書 二行欠文】
★(出水に至る)
右の通り、諸所に、ご休憩され、出水にご到着。

一 今日、お供は、お仮屋へ出て直ちに退出し、
楠元宅に旅宿する。
早崎七郎座衛門氏 (*大久保利通の妻の父) が当所、
紙屋へ来られて
八ツ後(午後2時頃)参られるよう申し伺いに来られ、
七ツ過(午後4時頃)小松家に旅宿に伺われ、
宿舎に戻られた。

一 今夕 、久木山泰蔵(薩摩藩。井伊直弼暗殺計画に
参加の人物)の一件につき、
奈喜士(*奈良原 喜八郎・有村 雄助の友人)が来て、
五ツ(午後8時)過ぎに帰る。
又、 藤井(助市)氏が当所、蔵方勤めで参られ、
一刻、見舞われました。

(参考)
里(り)は、尺貫法の長さの単位。
1里 = 約3.93km
1里= 36町= 2,160間  
よって、1町=109.09m 1間=1.182m である。
ひとは一般的に、時速4kmと言われているので、
1里は、およそ、ひとが「1時間歩いた距離」と
イメージすると、距離感が分かりやすいと思う。
近距離については、以降、●1里(歩行・約1時間)
などと表現していきます。

*薩摩街道(鹿児島街道)
江戸から薩摩国への主要街道で、薩摩藩が
参勤交代に使用する道筋として使用された。
また、参勤交代は長距離ため航路も使用された。
鹿児島城(鶴丸城)からの山家(現・福岡県
筑紫野市までの宿場は、以下の通り。
鹿児島・伊集院・市来・串木野・向田・
阿久根・出水・(これより現・熊本県)
陳町・佐敷・日奈久・八代・小川・宇土・
河尻・熊本・味取新町・山鹿・南関・
(これより現・福岡県)原町・瀬高・
羽犬塚・府中・松崎・山家宿(やまえしゅく)
(これより先・江戸へは、長崎街道へ)

概略・薩摩街道 宿
IMG_0169 ★★薩摩街道(960x1280).jpg


3月20日
今日、七ツ半 ( 朝、4時前 ) ご出立。
出水ご出立     1里半1町7間 (約5km)
米之津御茶屋   少しご休憩。 1里17町56間
笹原       休息所を出立。 2里
水俣       ご休憩。  1里半
貫村       少しご休憩。 宮原敬之助 1里
貫峠       当地の野外を出立。 1里
湯之浦      休息所を出立。 1里 
宮嶋 善之助
佐敷       お泊り。

一 今日は、私は先番で、 七ツ時 (朝・4時過ぎ)
に出立。


3月21日 晴
お目覚め、 暁七ツ半時 (朝、4時前)
佐敷を出発。六ツ時 (朝・6時頃)
         26町程(約2.08km)
佐敷峠の当地の野外を出立。   1里程
田之浦でご休憩。 20町程(約2.18km)
赤松峠の当地の野外を出立。   1里余り
二見村の休息所を出立。 1里4町(約4.03km) 
百姓壽助
日奈久で、ご休憩。    2里
高田村で、ご休憩。     2里

★(八代に至る)
八代       お泊り。

一 今日、昼後から雨。 お供で、日没前に着。

一 岸良(七之丞)、来られる。


3月22日 雨
一 今日、六ツ半(午前6時頃) 八代をご出立。
種子山      少しご休憩 小田 貞之進
小川       ご休憩 1里10町
豊福村      休息所を出立 1里10町 
三角屋 清蔵
古保里      休息所を出立 2里 
北郷惣左衛門
川尻       お泊り
右の通り、 諸所に、ご休憩され、日没前にご到着。

★(川上彦斎が来る。)
一 今晩五ツ過(朝・8時過ぎ)、肥前藩・
川上(高田 源兵衛)彦斎、青木(マヽ)来られる。
ぜひ会いたいと、お供頭へ申し入られたが、
会えない、とのことであった。


概略・薩摩街道から長崎街道へ
IMG_0171 ★★長崎街道へ (960x1280).jpg

3月23日 晴
お目覚め、 七ツ半時 ( 朝、4時前)
川尻       ご出立 1里半余り。
熊本入口  ご休憩 1里余り。 
松田亦右衛門
同所・出切     ご休憩 1里4町 荒木 新蔵
御馬下村     休息所を出立 1里 
亦木 直三郎
植木       ご休憩 2里
木之葉町     ご休憩 1里半 柏原 源八
高瀬       お泊り

右の通り、 諸所に、ご休憩され、
七ツ時分(午後3時頃) ご先着。

一 今日、私は先番で、暁七ツ半((朝、4時前)
出立し、中途 で、歩行など致し、
八ツ前(午後2時前)高瀬に到着した。
食事をして、ご本陣に出勤し宿衛しました。


●3月22日 のこの日、西郷隆盛は、
下関に入ると、大変りして京坂の形勢を憂いて、
島津久光の来るのを待たずして、下関を東上する。
後、島津久光、(命令無視に)大いに怒る。

3月24日 曇り、昼後、少々雨
一 お目覚め、六ツ時 (午前6時頃)

高瀬六ツ半時   ご出立 1里余り。
川床村      休息所を出立。 1里 
木場 榮右衛門
上坂下村     少しご休憩 1里28町 
               江副 清左衛門
南関       ご休憩 2里
原之町      少しご休憩 2里
瀬高       お泊り

右の通り、 諸所に、ご休憩され、
七ツ時分(午後4時頃)先に着かれる。
一 今日、(*私は)泊り明けで、お供しました。

3月25日 雨
一 瀬高     ご出立 
お目覚め、六ツ時 (午前6時頃)、
ご出立、六ツ半時(午前7時頃) 2里
羽犬塚               1里
一條町      ご休憩 
      農夫、良く、漬物が名物。2里
府中                1里
古賀御茶屋             1里

★(松崎に至る)
松崎       お泊り
今日、右の通り、ご休憩され七ツ時(午後4時)
ご到着。

一 (私は、今日は)お供でした。


3月26日 晴
一 松崎     定刻にご出立 1里半
乙隈       当地の野外を出立 1里半
山家       ご休憩 1里20町
(*山家宿(やまえしゅく)から小倉までは、
長崎街道を北上した。)

西山村      休息所を出立 1里半 
肥前屋 長左衛門
内野       休息所を出立 2里7町
天道       休息所を出立 1里
飯塚       お泊り

右の通り、ご休憩され、七ツ過(午後4時過ぎ) 
ご到着。

一 今日、(*私は)先番で、九ツ時(昼、12時) に
当所に着。宿衛であった。

一 高崎 左太郎(*高崎正風の旧名) 子、
今日、(*久光公が)到着されるとのことで、
本陣で会われて、国元の状況を承った。
*高崎正風は、薩摩藩士、二条派の歌人。
後、文久3年の八月十八日の政変・薩会同盟の
立役者となる。

一 利通の父・大久保利世(*通称・ 次右衛門)から
手紙があり、高子から届けを受け取った。
また、祝の一報が、税喜(税所 喜三左衛門)から
あった。


3月27日 晴
お目覚め、 七ツ半時( 朝、4時前 )
飯塚 六ツ時 (午前6時頃) ご出立 1里25町
小竹        休息所を出立 壹里半
               龍徳屋 兵太郎
直方        休息所を出立 1里6町程
                庄野 小兵衛
木屋之瀬      ご休憩 1里
石坂        休息所を出立 2里 茶屋 貞治
右の通り、 諸所に、ご休憩され、大鐘時分(午後6時頃)
ご到着。


3月28日 雨
お目覚め、七ツ半( 朝、4時前 )
黒崎 六ツ時 (朝・6時頃)  ご出立 1里半
大倉村     休息所を出立 1里半 綿屋 彦平
小倉      少しご休憩 1里半 近藤 宗三郎
大里      ご休憩 海を渡られる
下之関     お泊り

★(久光公 下関着)
右の通り、 諸所に、ご休憩され、
七ツ前(午後4時前)下関へ首尾よくご到着された。

一 大里に九ツ過(お昼・12時過ぎ)ご到着のところ、 
風雨で、しばらくは難しかったが、
七ツ前(午後4時前)波浪が回復した。

★(白石兄弟が来る)
一 今夕、奈良原、吉井、松方子(助左衛門)来る。
白石(正一郎)兄弟、 商人・浪江野(休右衛門)
も来る。
*白石正一郎は、下関の荷受け問屋を営み、
長州藩など多くの藩から仕事を受けた豪商だった。
文久元年(1861年)、薩摩藩御用達となる。
尊王攘夷運動に共鳴し、長州藩の高杉晋作、
日下玄瑞らを資金面で援助した。

●一行は、下関に到着。だが、西郷どんは、
久光公を待たずに先発し、上京の途についていました。
久光公は、当然、激怒。
これから、利通は、先発して西郷どんを追いかけます。
その心境は如何に。


3月29日 晴
一 (*久光公)、今日、(*下関に)ご滞在。

一 出勤前、小松家・中山(中左衛門)へ
伺う。
*中山尚之助(*中山中左衛門)
堀次郎、大久保利通らと共に、
御小納戸役に任じられた人物。

一 中山尚之助へいろいろな訳があり、
論争をした。

★(浪士、切迫の報せあり)
一 昨夜、白石正一郎から手紙が来て、 
いよいよ、諸藩士浪人が切迫し、 追々大坂を出て、
大事の勢いが顕著になってきた。
国元においてこの一件は、少し憂慮することで、
度々、小松家・中山尚之助と話し合い、終いには、
激論におよぶこともあり、
かつ、建白にも及び、不敬を顧みない顔を
することもあるが、
実に至誠を貫くので、(*不敬な)言行は行われず、
彼自身を恨むことはない。
なので、当所(*小松家)まで出掛けたところ、
前件のように、今も意見が異なり黙示し難く、
今日は幸いにも宿衛なので、切に建白に
及ぶところ、いろいろ大坂を出ることを
仰せ付けられ、小松帯刀へと相談するように
とのご沙汰なので、少し、旅宿へ伺い、
よって、船の都合など、手当などをした。
またまた、出勤に状況を申し上げ、
中山尚之助に代わり、退出した。

一 岸良七之丞が来られ、少し論議をした。

一 今夕は風雨になり、出航は出来ず。


3月30日 雨
★(利通、先発して下関から乗船)
一 今朝、随分、波浪が回復し、出航するとの
届けの申し出をして、六過(午前6時過ぎ) 乗船し、
出航の準備に手間取り、四過(午前9時過ぎ)、
出航。
随分遅れて、昼のうちに10里余り就航し、
夜のうちに上関(かみのせき・現在の山口県南東部)
沖を過ぎて、平郡島まで着いた。
*平郡島。 山口県柳井市の南、約20kmの
伊予灘にある島。
当時の読みは、へぐり島。
鎌倉時代に木曽義仲の子、平群丸(へぐりまる・
漢字に注意。郡ではなく群)が、落ち延び、
定住したので、この名があると云う。
現在の読みは、へいぐんとう。
近年、猫の島として知られる。

概略図・平郡島の位置
IMG_0172 ★★平郡島・御手洗- (1280x960).jpg

次回、歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む16
大久保利通日記・上巻・第2巻  に続きます。



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