歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む20

●大久保利通日記・文書 文久2年

本編は、
大久保利通文書(全10巻)、
大久保利通日記(全2巻)を
(日本史籍協会 昭和2年)を底本として、
これを、あくまで趣味的にひも解いて、
現代風(意訳)に読んでいくものとします。
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。

【目次】(ほぼ時系列で掲載)
文久2年・33歳

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
文久2年(1862年)五月三日 ~五月十三日

(文書)20・ 文久2年5月13日
久光公への言上の覚書

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
文久2年(1862年)五月十四日 ~五月二十九日

―――――――――――――――――――――――――――

大久保利通日記・上巻・第2巻.
【大久保利通日記】から 文久2年(1862年)
(本文・意訳)

5月3日 晴   
一 四時(*午前10時)に出勤し、
八ツ後(*午後2時過ぎ)、退出した。

5月4日 曇り
★(正親町三条卿に謁見する)
一 四時(*午前10時)に出勤し、あれこれ相談し、
草稿を書いて一書が出来て、ご覧になった。
今日、大鐘(午後6時) 頃から正親町三条家へ
中山 仲左衛門(*島津久光の側近)と同道し参殿し、
(正親町三条卿に)謁見を仰せ付けられた。
夜に入り、五ツ時(*午後8時頃)に退出した。
又、中山 仲左衛門(*宅)へ立ち寄り、
堀 仲左衛門もやがて来て相談した。
堀 仲左衛門は、教、中山忠能(ただやす・公家)
家へ伺った。

5月5日 晴
一 四時(*午前10時)に出勤し、
八ツ後(*午後2時過ぎ)、退出した。
中山 仲左衛門(*宅)へ伺い、小松帯刀、
堀 仲左衛門が来て、節句の祝いをした。

5月6日 
★(利通は、中山忠能、岩倉具視の両卿に謁見する)
一 早朝、中山 仲左衛門と一緒に
正親町三條 実愛家
(おおきまちさんじょう さねなる・
*正親町三條家は、元は藤原北家閑院流の分家。
苗字では最も長かったが明治初期に嵯峨と改称した。
実愛は、薩摩藩主導の公武合体運動を支持していた。
後、失脚するも文久3年の8月18日の変で復帰。)
へ伺い、お目見え、仰せ付けられました。

また、中山忠能家へ伺い、私目は岩倉具視家へ
伺い、お目見え仰せ付けられ、段々と押し切り
建白致し、早速、出殿して(*久光公に)言上し、
また書面を正親町三條 実愛公へ持参し、
田中大進へ渡した。
八後(*午後2時過ぎ)中山 仲左衛門宅へ伺い
用談し、大鐘時分(午後六時ごろ)帰った。
(*後) 岩下 方平が来て帰り、堀 仲左衛門も来た。

*岩下 方平 (いわした みちひら) は、
この先、安政の大獄で水戸浪士と結託して幕政の
打開を図るも挫折し帰藩。後、精忠組に参加、
薩英戦争の和平交渉の正使。慶応3年(1867年)
家老となる。)

(*後、わたし利通は、)
中山忠能家(中山 ただやす・*公家。明治天皇の生母、
慶子の父。)、正親町三條 実愛家へ伺い、
今日の一報を承知され出殿されるので、すぐに、
堀 仲左衛門も一緒に出殿し、
また、中山 仲左衛門宅へ伺った。
今日の評決でいよいよ事が成るのである。
(*公武合体のこと)祝うべき、祝うべき。

5月7日 晴
四時(*午前10時)に出勤し、
八後(*午後2時過ぎ)退出。
少し経って、本田親雄が来た。
大鐘時分(午後六時ごろ)出勤し、堀 仲左衛門は、
泊まり番であったが、岩倉具視宅へ伺うので、
その間、勤めた。
五時(午後8時)、堀 仲左衛門が出勤したので
退出した。


5月8日 曇り
四時(*午前10時)に出勤し、
八後(*午後2時過ぎ)小松帯刀家へ少し
経って伺い、また出殿した。

一 今朝 工藤左(*工藤左門。村山下総のことで
別名・北条右門・木村 仲之丞。)が来た。
(*また)本田親雄、吉井友実、伊地知龍右衛門が
来た。
波江野 休右衛門(はえの きゅうえもん・鹿児島の
町年寄)が下関から来て、今日、当地へ着き、
米の一件、工藤左門からいろいろ承った。
(*そして、)その状況を伺った。
もっとも、幾通りかを伺い、仰せ付かった。

一 正親町三條 実愛家から御殿に参上するようにと
申し来て、晩から参上した。
今晩、四時(*午後10時)過ぎ、退殿されて、
お目見え、仰せ付かかり、いろいろと承った。
実に、皇国の大慶至極である。
九時(*午前0時)過ぎ、退出した。
(*後、)又々、少しの間、出殿して帰った。


5月9日 晴
一 今日、以下の通り事が起こり、そうなった。
★(大原 重徳が勅使として東下し、島津久光公が
随行を命じられた。)

当月、5月中旬、
大原 重徳(おおはら しげとみ・
*孝明天皇に仕え、安政5年(1858年)、
日米修好通商条約の際、岩倉 具視らと反対し謹慎。
後、赦免され岩倉の推薦で久光公が上洛すると、
岩倉 具視の推薦で江戸に行くこととなる。)様は、
関東へ行くため、勅使として御出立されるので、
この日(5月9日)、和泉様(*久光公)にも
当所を出発されるようにとの旨、
ご承知され、(そのように)沙汰された。
(*大原 重徳は久光公に)これを承るように申し
渡された。
但し、日程については、5月で、その記述を略する。
以上、夜前に近衛家からお達しがあった。
祝うべき、祝うべき。

一 今夕、本田親雄、吉井友実、林 休左衛門、
加藤十兵衛などが来た。
伊地知貞馨が遅方に来た、等々。


5月10日 晴
★(岩倉具視卿、 久光公の出府を阻止する。)
一 四時(*午前10時)に出勤し、
昨夜、岩倉具視家から今度の出府について
差し留めたいとの評判があり、
今晩、銘々が手分けし、私目(*利通)は
中山忠能家へ参り、色々と多く言上し、
幸先の良い事情であった。

5月11日 晴
今朝、中山忠能家へ参り、いろいろと請負が
良く、ここから出勤し、(*久光公へ)いろいろと
言上した。
今夕は、宿直である。

5月12日 晴
今日は、泊り明けで八後(*午後2時過ぎ)
退出した。
小松帯刀家へ伺う。
伊地知貞馨が泊まり、(*私目は)名代として
少しの間出勤し、五時(午後8時)に退出した。

5月13日 晴
夜前、近衛家から書簡を渡されたので、
(*久光公の)御前で拝見し、またまた、
いろいろな評議があった。

★(利通 三条家へ行く。)
今日、銘々、議論して近衛家らへ参った。
私目(*利通)は、三条家へ夕方から参り、
幸先の良い事情であった。
夜入過ぎに退出した。
よって出勤し、(*久光公へ)いろいろと言上した。
また、中山忠能家へ伺った。

―――――――――――――――――――――――――――

(文書)20・ 文久2年5月13日
久光公への言上の覚書

【解説】
小河は、(*小河)一敏。  
豊後 岡藩士である。
寺田屋事変の後、(*その事変に)関係した浪人、
志士は、皆、その藩へ下ったが、
小河らは、当時、京都・薩摩藩邸に滞留した。
久世は、老中、(*久世)広周。
先に、勅命により上洛のはずであったが、
大原勅使が関東下向となったため中止された。

(本文・意訳)
一 守衛の人数10組は、御邸、又は寺院へ
召し置くこと。

一 小河らの人数は、当分、召し置かれないとのこと。

一 関東表の久世(*老中・広周)が上洛(*すると)の
一報があった。
もっとも、明日14日に出発し、来たる29日に
到着とのこと。

―――――――――――――――――――――――――――

大久保利通日記・上巻・第2巻.
【大久保利通日記】から 文久2年(1862年)
(本文・意訳)

5月14日 晴
一 四時(*午後10時)出勤し、
岸良 兼養(きしら かねやす・
*島津久光の奥小姓)が到着し、手紙、と
税所 篤(さいしょ あつし・*西郷隆盛、
大久保利通と親しく、禁門の変以後は、
西郷の片腕として活躍した。)の書簡が届き、
お国元からの一報を受け取り安心した。
暮れごろ、又々出殿して明日、陽明家
(近衛家)へ来るようにとのこと。
四ツ時(*午後10時)過ぎに帰った。

5月15日 晴
★(久光公が近衛家へ行く。)
★(中山忠能、正親町三條 実愛、岩倉具視が
会し、利通が参加した。)
今日、四時(*午後10時)過ぎ、
(*久光公は)お供を連れて近衛家へ参り、
控え席に座り、暫くして、面会し、
しばらくの間、お下がりになり、
料理をいただいた。
(*後)またまた休息され面会したが、
中山忠能様、正親町三條 実愛様、岩倉具視様
が来られた。
私目(*利通)と中山 仲左衛門が罷り出るように
と仰せ付けられ、(*久光公と)3人共、
罷り出た。
少しずつ大事な評議があり、実に非常に幸運で、
何とも言いようがなかった。
今日は、約1時間ほどで退出した。

一 今日は、先番を勤め、(*久光公が)お立ちに
なる前に、先に帰り、泊り番を務めた。

一 今日、江戸から飛脚が到着した。
越前公御相談役・松平容保と同様に、
一橋公・尾張公がご懇談の上、
いろいろと(*愚かな)意見を交わされた
とのこと。

一 久世 広周(くぜ ひろちか・
*下総関宿藩の第7代藩主)並びに、
若年寄・加納 久徴(かのう ひさあきら・
*上総一宮藩の第2代藩主)
大目附・大久保 一翁(おおくぼ いちおう・
*幕臣。一翁は慶応元年の隠居後に名乗った名前。)
が、上京するように仰せ付かったとのこと。
以上により、(*天皇の)御前で承知することになった。
誠に多年の本懐を達することが出来たと申すべきで、
以上のことを模写するように、と仰せ付けられた。
これにより、(*朝廷から)近衛家へ書を遣わされた。


5月16日 晴
一 今日 御前(*久光公の前)で、関東の模様が
変わったことにつき評議し、いろいろ取り決め、
八ツ(*午後2時過ぎ)から退出した。

一 今日、林 休左衛門に自宅で下関の一件、
大坂の金談(きんだん・*金銭の貸借)の一件に
ついて、いろいろと依頼した。
波江野 休右衛門(はえの きゅうえもん・
鹿児島の町年寄)も来た。

一 岩下 方平(いわした みちひら・
*この先、安政の大獄で水戸浪士と結託して幕政の
打開を図るも挫折し帰藩。後、精忠組に参加、
薩英戦争の和平交渉の正使。慶応3年(1867年)
家老となる。)が来て、いろいろと決めたことを
伝えた。

一 暮ごろから正親町三條家へ伺い、
五ツ時(午後8時)に退出し、本田親雄の所へ
立ち寄ると、岩下 方平も来た。


5月17日 曇り
★(久光公 、近衛家へ行く。利通、随う。)

一 四時(*午前10時頃)から又々、陽明家(近衛家)
へ(*久光公に随い)伺った。 先番を勤めた。
九ツ(*お昼12時頃)から休息所で拝顔した。
しばらくして控席に入り、お料理、お酒を頂き、
やがて、(*久光公は、) 面会され、
申刻比(*午後2時ごろ)、退出された。
*ここでの近衛家は、当主・近衛忠煕・忠房父子
を指していると推測できる。

一 拙者(私・利通)共に、お料理、お酒を
振る舞って下された。

一 今夕、本田親雄、吉井友実、奈良原喜八郎
が来た。


5月18日 雨
一 四時(*午前10時)頃、出勤。

★(利通 書を正親町三條卿に提示する。)
一 出勤前、堀 仲左衛門(*伊知地貞馨)が来る。
岩倉具視家から、いろいろなことについて
書き付けを認めて、九時分(*お昼12時頃)から
正親町三條卿へ伺う。
神谷主殿に手紙を託し、又々出かけて、
八後(*午後2時過ぎ)小松帯刀家へ伺い帰った。
山田材介(*詳細不明)も一時、来て、
海江田 信義(*有村俊斎のことで、
文久元年12月に日下部伊佐治の次女・まつ
の娘婿となり改名した。海江田は日下部の
旧姓。)も来た。
今夕、五時(午後8時)に出殿した。
岩倉具視家からいろいろな件があり、
堀 仲左衛門(*伊知地貞馨)から問い合わせがあり、
明朝、堀が両卿(*正親町三條卿・岩倉具視卿)
へ伺うとのことである。


5月19日 晴
五時(*午前8時頃)から大徳寺へ
代参(だいさん・*参詣)を勤めた。
九時(*お昼12時頃)出殿した。
明日、小松帯刀殿が取次がれて、指図される
とのことで、その要件を承知した。

一 波江野 休右衛門(はえの きゅうえもん・
鹿児島の町年寄)が出立され、
北條右門(*村山下総・木村 仲之丞、
元島津斉彬の側近でお由羅騒動で脱藩し、
筑前の志士たちとも交流していた。)に、
金三十両を渡された。
八後(*午後2時過ぎ)、波江野 休右衛門が来て、
吉中(*本田親雄)も来た。

一 今晩、中山 仲左衛門が正親町三條家へ
伺ったところ、ご不快で面談出来なかった。


5月20日 
一 今朝,
中山忠能家へ参り、(*5月)20日に勅使が、
下向(げこう・都から地方へ行くこと。)
されるので、島津久光公は、ご出立。
ただし、久世 広周公は、お差し留めとの
ことで、追って嘆願致します。

★(利通、御小納戸・頭取となる)
一 今日、御用につき左の通り仰せ付かった。
 一 御小納戸・頭取
 一 勤方は、これまでの通り
          大久保 一蔵(利通)
右は、未だ年功がないけれども、別段の思召を
以って、右の通り、お役替えを仰せ付けられ、
給金はこれまで通り下される。
   5月    御家老坐
(*坐は、尊敬語で、おわします。の意。)

右の通り仰せ付けられ、誠にもって、
ありがたく、恐縮致しました。

★(小松帯刀 以下の勤務が定まる。)
一 お側詰にて
一 お側役兼務  小松帯刀
 御用は、江戸御家老の元で相、勤めるように。

一 御小納戸・奉行  
一 御小納戸・頭取、御小納戸、兼務
           中山 仲左衛門

一 江戸・お留守居  
 京都、大坂へ相、相、勤めるように。
           堀 仲左衛門

一 御供目付  海江田 信義
一 御広数・番頭  
一 お留守居付役、兼務 本田 親雄

一 御供目付、お留守居付役 吉井 友実

一 御供目付  奈良原 喜八郎
一 同     江夏 仲左衛門
一 同     大山 綱良

右、定めの通り。

一 明日、いよいよ、お発ち、出発になりました。
一 今日、小松帯刀家へ、谷川 次郎左衛門 家へ
お礼参りを致します。
今晩は、小松帯刀家へ、少し寄って、
中山 仲左衛門宅へ伺い、共に祝った。


5月21日 曇り
★(利通 徴収藩邸に使者として行く。)
一 今日、四ツ時(*午前10時頃)出勤。 
八ツ時(*午後2時過ぎ)から長州へ
使者としての勤めをして、又々、出殿した。
七ツ時分(*午後4時頃) 退出し、片付けをし、
多くの人が集まった。

一 小河彌右衛門、その他、 藤井良節が来た。

京都大学附属図書館・維新特別資料文庫
(二次利用自由)のものより。
明治五年頃ノ三条大橋望西詰
IMG_5337● (1280x960).jpg

現在の三条大橋を臨む西詰
IMG_6776 ●(1280x960).jpg


5月22日 曇り
★(久光公、京都を出発し、草津に至る。)
一 五ツ時(*午前8時頃)邸宅を出発する。
   1里ほど。
蹴上(現・京都市山科区) 少しご休憩   
            弓屋 八郎兵衛
   1里半余り
追分(現・山科追分) 少しご休憩  
            有川 市郎兵衛
   1里
大津(東海道五十三次、53番目の宿場。
   1里半6丁

◆以下、東海道五十三次の宿場は、(東宿・x)と 
略します。)

鳥居川御立場  鍵屋 庄兵衛
   2里6丁
(* 御立場 [おたちば・江戸時代,街道の宿駅の
出入口に設けられた休息所。掛け茶屋のこと。
休憩は出来たが,宿泊は禁じられていた。] )

草津(東宿・52) 
上記の通り、 諸所でお休みされ、 
七ツ時過(午後4時過ぎ)到着された。

★(大原勅使、発たれて、途中、大津に宿泊される)
一 勅使・大原重徳様も出発され、
大津で、ご宿泊された。

東海道五十三次と文学(大津)
巌松堂書店むらさき編輯部 編
(昭和16年) 著作権満了のものより
01  IMG_0188 ●大津(1280x960).jpg

東海道五十三次と文学(草津)
   同上
02 IMG_0198● 草津(1280x960).jpg


5月23日 晴
一 七ツ半( 朝、4時前 ) 草津を出立 1里半
梅木村 少しご休憩 1里7丁 織田 彦十郎
石部(東宿・51)
    御立場 1里6丁
      御本亭 三代寺 小右衛門
田川  御立場 1里半6丁 植木屋 庄右衛門
水口(東宿・50)  御休憩 1里半
大野  御立場 1里11丁 小畑屋 榮之助
土山(東宿・49)  
    御立場 1里 御本亭 土山 平十郎
猪之鼻 御立場 1里 中屋 武右衛門
坂之下(東宿・48) 御宿泊

一 七ツ過(午後4時頃)ご到着される。

一 今日もお供で、暮れ頃、 退出した。
堀 仲左衛門が今夜、出立につき 伺った。

東海道五十三次と文学(坂之下)
   同上
03  IMG_0189 ●坂之下(1280x960).jpg


5月24日 晴
一 お目覚め、六ツ時(*午前6時ごろ)
坂之下駅(東宿・48)
 六ツ時(*午前6時ごろ)発たれ、
             1里半
関(東宿・47)少しご休憩 
        川北 休左衛門 1里半
亀山(東宿・46)  
    御立場 樋口 太郎兵衛 2里
庄野(東宿・45)  お休み 25丁
石薬師(東宿・44) 御立場
       岡田 市左衛門 1里27丁
追分  御立場 鍵屋 長太郎 1里
四日市(東宿・43)

★(久光公 四日市に至る。)
右の通り、 諸所でお休みされ、
七ツ過(**午後4時過ぎ頃))に到着される。

一 今晩、泊まりで、七ツ半(*午前5時頃)
出発し、堀 仲左衛門と一緒に
八ツ時分(*午後2時頃) 四日市に着き、
八過(*午後2時過ぎ) 出勤した。

東海道五十三次と文学(四日市)
   同上
04  IMG_0190 ●四日市 (1280x960).jpg


5月25日 雨
一 お目覚め、 六ツ半時(*午前7時頃)
四日市(東宿・43) 五ツ時(*午前8時頃) 
       お発ち 1里
富田     お休み 1里4丁
小向     御立場
         新屋 浅右衛門 1里4丁
桑名(東宿・42)お泊り
右の通りお休みなどで、八時分(*午後2時頃)
ご到着。

★(勅使一行、桑名に到着。)
一 勅使・大原 重徳様、同宿なされ、
島津久光公が、お見舞いなされ、お供を勤めた。

一 今夜夜半、京都から飛脚が来て、
本田親雄から書状で問い合わせが着いた。 
今夜、高崎猪太郎[旧名・五六]、
吉井中助(友実)が来た。

東海道五十三次と文学(桑名)
   同上
05  IMG_0196 ●桑名 (1280x960).jpg


5月26日 雨
桑名(東宿・42) 六ツ半(*午前7時頃)
お発ち、川を上り、 3里
佐屋    少しご休憩 
         岩間 権右衛門 1里9丁
神守    お休み 猪飼 猪三郎 2里
岩間    少しご休憩 御本陣 武藤 平八郎
                2里9丁
宮(東宿・41)お泊り
右の通りお休され、七ツ半(*午後5時頃)ご到着。
今夕、吉井 友実が来る。

東海道五十三次と文学(宮)
   同上
06  IMG_0193 ●宮(1280x960).jpg


5月27日 曇り
今日、六ツ半(*午前7時頃) 宮 お発ち     
               1里半6丁
鳴海(東宿・40)少しご休憩  下郷 良之助
前後     御立場  辰巳屋 忠三郎
               1里12丁
池鯉鮒(東宿・39)お休み   1里30丁
大濱     少しご休憩  高井 善兵衛 2里
岡崎(東宿・38)お泊り
右の通り諸所でお休みされ、七ツ時(*午後4時頃)
ご到着された。

★(利通、大原 重徳卿と寛話
[かんわ・くつろいで話をすること] )
一 今晩、小松帯刀と一緒に、
大原重徳様へお伺いすると、ご機嫌で、
(*上がらせて頂き)お目見えを仰せつけられ、
くつろいでお話をお聞きした。
(*そして) ご扇子、お盃を拝領した。
もっとも、中山 仲左衛門も来て、
四時(*午後10時頃)お暇(いとま)した。

東海道五十三次と文学(岡崎)
   同上
07  IMG_0197●岡崎(1280x960).jpg


5月28日 曇り
一 お目覚め、 六ツ過(*午前7時過ぎ)。
岡崎(東宿・38)お発ち、
五ツ時(*午前7時過ぎ)。
                1里半
藤川(東宿・37)御立場 御本亭 
          森川 休左衛門
                1里
法蔵寺    御立場  鈴木 新介 1里9丁
赤坂(東宿・36)お休み     2里24丁
伊奈村    御立場 加藤 彦助 1里16丁

★(吉田に至る)
吉田(東宿・34 *現在の豊橋市。)お泊り
右の通り、諸所で御休され、
七時前(*午後4時前)ご到着された。

一 今晩は、泊り番であった。

東海道五十三次と文学(吉田)
   同上
08  IMG_0192 ●吉田(1280x960).jpg

5月29日 晴
(*宿泊先、浜松。)

東海道五十三次と文学(浜松)
   同上
09  IMG_0202●浜松 (1280x960).jpg



次回、歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む21
大久保利通日記・上巻・第2巻  に続きます。

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