歴史の流れ 防長回天史を読む38 第二編 嘉永安政萬延記 第十一章 相州警衛(その2)- 1

歴史の流れ 防長回天史を読む37

[ ] は、原文の注釈で、
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。

防長回天史 第二編 嘉永安政萬延記
第十一章 相州警衛(その2)- 1

警衛地の民政
○民政および執務の大綱
○風紀の整粛
○管内人民の留任請願書
○守兵の無聊
○警衛の結末

相州の警衛中、毛利氏の民政は、その
よろしきを得て、守兵の風紀も又、良く、
整粛を保つのは今に至って、
その地方人民は嘆賞して措かざる(*おろそかに
しない)所である。
初め、安政元年(*1854年)、
警衛地の授受に際し、三井 善右衛門は、まず
警衛地の民政および執務方法などに関し、
質疑の十項を連ね、行相府の裁定を請う。
ここにおいて、その大綱が定まる。
【*以下、原文意訳】

(指令)本書の通り
(伺)一 諸御政事向きの御所務の取り立て方、
御国法があるでしょうが、追々、井伊様の
御問合せも成り、御勘定物の書類など、追って
御渡し方も成るので、そちら様にも御近く
例もあるので、
(*これから)先は、こちらの御国法を主として、
井伊様も御行形をも斟酌して取り計らうよう
仰せ付けられると存じる。

(指令)これ以下、二廉、本書の通り。
(伺)一 御年貢の取り立ての儀、
もし、百姓中の内で難渋があり、不納に及び、
名主の取り替なども得ないことに到るにつき、
御上納および差し支えるようであれば、相、済まず、
追って傍ら、御国の通りでも取り計らいは苦しく、
既に井伊様にても2ヶ年、3ヶ年を経て御貸付に
相、成るので、聞き手の下、至極難義の部は
拠(*よんどころ)無く、御貸米においても
仰せ付けられると存じる。
(伺)一 永 その他、上納金が村々から
差し出された分は、御預かり地・御銀子方へ
納めるために江戸へ仕送りする儀は、
為替にして御備場の入用へ遣わし払うように
仰せ付け、
公儀、上納の儀は、江戸の御銀子方の銀で、
仕向けるよう仰せ付けられると存じる。

(指令)
本書の通り、もっとも定格の儀、
又は、別けて差し向ける儀は、
御留守居方へ申し出て、その取り計らいを
済ました上、追って、御国へ申し越すよう
仰せ付けられると存じる。
(伺)一 公儀に申し出る御用務、その他、
取り捌く儀は、相州において詮議が調い、
在年は江戸に在り、国年は御用所へ差し出し、
御用所においては、御詮議が相、詰まりに
及ぶと聞く儀は、その他、それぞれ、
取り行きが済んだ上で、江戸詰め・御預所奉行へも
御沙汰があると存じる。

そして、右奉行所から御勘定所、その他へ
申し入れるよう仰せ付けられると存じる。
もっとも定格の儀、又は別けて差し向かう儀は、
出来れば御国の往復の間、これが無く、
事柄は御在国年の儀は、御国に及ばず、
江戸へ伺い、江戸留守居方へ差し出し、
その取り計らいを仰せ付けられると存じる。

(指令)
これ以下、二廉、本書の通り。
(伺)一 陣屋近辺は、もちろん上宮田辺りが
出火の節、御国において堂島、浜崎などを
見渡して、かねて地下人の駆け込みの儀を
定めて置き、右の人数の防ぎ方の掛にても
仰せ付けられると存じる。
(伺)一 同じく、川筋にあっては万一、
洪水の節は、同じである。

(指令)
一 これ以下、三廉、本書の通り。
(伺)一右の通り仰せ付けられれば、
纏、火消道具を調え、貸し渡しにても
仰せ付けられると存じる。
(伺)一 自然、御領地の中で、強盗、切り逃げ、
その余、捕者などにてもこれがある節は、
申し達し次第、御陣に居合わす中間を差し出される
べきであり、そうであれば、その向きへ、
兼ねて御授け置くよう仰せ付けられると存じる。
(伺)一 手錠、その他、搦(から)める道具
を貸し渡すよう仰せ付けられると存じる。

(指令)
これ以下、二廉、本書の通り。
(伺)一 出火ならびに乱心で首括(くく)り
がある節は、御陣屋の内外とて、
御備場の作事方が受け、
境内の儀は、御目付方が究めて仰せ付けられので、
その他の場所において、前述の趣があり、
出火ならびに首括(くく)りの儀は、
乱心で脇に掛り合うなどが無い節は、
御国において萩内の他、御徒目付けを差し出さない
趣をもって、奉行所役人を差し出し、
相、済ますと存じる。
(伺)一 自害人の儀は、別段、関わり合いなど
これなく、乱心、一通りにても、
徒目付けを差し出す所、御国、近年は、
御代官所から時々、伺い、格別の御不審の儀も
これ無ければ、御代官所に任せ、仰せ付けられる。
相州の儀は、時々、伺うと申しても、
不容易な儀につき、御不審の儀がこれなく、
乱心、自害の一通りの分は、
奉行書に任せると仰せ付けられる。

(指令)
本書の通り。
(伺)一 道・橋の普請・掃除の事、
往復ならびに地下人の往来の道筋の儀は、
郷村から引き受けると申すけれども、
御陣屋または御台場の儀は、悩みどころにつき
右、往来、しかし己の道筋であるので、
郷村が受け難いと仰せ付けられるので、
御備場の御作事方が請うて仰せ付けられる
と存じる。

(指令)
本書、米、銀を先に引き当てを越えるように
仰せ付けられ、1ヶ年が経てば、
おおよその目途が立つのでその分、
何分の御沙汰が仰せ付けられると存じる。
(伺)一 奉行所の諸雑用、その他、
諸払いの米銀の儀は、廉々、申し出の上、
御渡方が仰せ付けられる儀になれども、
急場の節、御手先の儀、差支えが出来る儀も、
計り難い事になるが、年中、御仕渡しにても
仰せ付けられると存じる。
 但し、御領地の儀は、これまで見渡す事も
これ無き故、人数の目途も立て難く、
そのようにあるべしで、
先の米銀の御引渡しをもって、渡し下すよう
仰せ付けられ、奉行所においても随時払い、
追々、申し出を仮受けにして、なるだけ、
小詰に詮議をして、御払いを済ませて、
追って、御勘定が仕詰の上、
正請・正払いの取り計らいを仰せ付けられ、
一両年の内、およその目途を立てられ上、
御仕渡しの人数を定めは如何か、と存じる

(指令)
本書、往来の
御勘渡(かんと・*計算して引渡すこと)
の銀、申し出の通り、立ち下されると存じる。
(伺)一 諸役人の御用につき、
時々、付出する儀もあるけれども、
往来は、滞留中は、御勘渡の銀地は、
江戸帰役の割合をもって立ち下されると存じる

(指令)
これ以下、四廉、本書の通り。
(伺)一 当然、一楯の内居、固屋を
廻るなどの儀は、兼ねて御沙汰があった
ように下されると存じる。
伺)一 諸役人ならび打ち廻り所務、
手子などが村々に出かける節、相応の
御見割をもって旅籠代は、日別の銀などを
立ち下されると存じる。
(伺)一 御用紙、なお他所へ向かう往復も
ある儀について、奉書は美濃紙、
他所の手紙類、その他、筆、墨に至るまで
通帳で申し出るべきなので、
払い切れにして立ち下されると存じる。
(伺)一 焚く炭の儀は通帳で当然である。

(指令)
本書、入用の品は、申し出の上、
何分、沙汰が下されると存じる。
(伺)一 奉行所の御用凾、御用箪笥、
提灯、幕、火鉢、桶類に至るまで、
縮小すべし、との申し出があるので、
貸し渡すよう仰せ付けられ、
又は、引き受けにおいて調えるよう
仰せ付けられ、入目銀(*経費としての銀)
を立ち下されると存じる。

(指令)
これ以下、二廉、本書の通り。
(伺)一 日雇人夫が入用の節は、
御備場の御引当の日に雇うので間に合い、
奉行所へも遣わせるよう仰せ付けられ、
その他、不足の節は、地下夫を雇い、
遣わし方に致すようにするので、
賃金の儀は、立ち下されると存じる。
(伺)一 奉行所の一楯へ対し、
相応の心付けにおいても立ち下されると
存じる。

右(*上述)の廉々、差し向かう儀につき、
御問(*問い合わせ)の申し出があるので、
御刎紙をもって何分の御沙汰下されると存じる。
なお又、相、漏れる儀もあると存じるので、
追々、申し出るように存じる、以上。
寅二月(*安政元年二月)
       三井 善右衛門
       木原 源右衛門
          【*原文意訳・以上】



警衛地の公租は、意井伊氏の先例により、
これを幕府に納める。
[他の警衛の諸版も、まさに同じである。]

収税の法は関東の旧例に従い、
田租は現品税で、畠租は金納[いわゆる永]
であるが、毛利氏になると幕許を得て、
これを金納とした。
[井伊氏の時、既に幕許を得て、未だ、
実行していなかったようである。
隣地の細川氏においても又、金納の法を
取ったと云う。]

当時、相州の地は多く米穀を産せず、人民は
おおむね漁業に従事する。
故に金納は、士民の最も便利とする所にして
行政者にあっても又、簡約の法である。
納める現金は、預り地の要の費用に充て、
そして為換の作用を利用して、江戸藩邸の銀子方に
通報し、藩邸の銀子方は、預り地に送付すべき
金を幕府の蓮池の金蔵に収めるのを法とした。
金納のために米価を定めるのは、
幕府は冬、張紙直段を標準として、これに
金3両を増す。
[幕府の法は、冬間、二期に米価を公廩
(*蔵に蓄える)前に公示し、これによって
旗下の詩に棒禄の換算金を与える。
これを張紙と云う。]

張紙の公定価格は、おおむね実価より下がる
故に、徴税の際、米100俵に対し金3両を
増加させたのである。
しかしながら、米価が低廉にあるにあっては、
張紙の評価は、かえって、これを上回ることが
ないということは、しなかった。

隣地の警衛の細川氏にあっては、
張紙直段3両増しは、人民の負担が軽すぎる
とし、時価をもって長州する方を取った。
幕府は、張紙直段3両増しをもって、
国庫収入の定額としたけれども、
預り地の在任者が任意の徴税に至っては
敢えて問わず、である。
毛利氏は、中間にあって錙誅の利を獲ること
を屑しとせず(*少しの利を得ることを良し、
として)、幕府は、上納定額の他は、
敢えて増徴する所がなかった。
安政2年(*1855年)、
米価は低廉にして、張紙は、かえって時価を越える。
隣地の細川氏に比べて一時、苛重の評があった。
そして、明くる年、米価が騰貴するに及び、
人民は、初めて毛利氏の公平(*さ)を喜んだ、
と云う。

当時、いわゆる国主大名の行政は、
おおむね皆、遅緩(ちかん・*遅いこと)の
そしりを免れず、しかし毛利氏は独り、
敏活をもって称せられ、加えるに
安政元年(*1854年)4月20日、
幕府に請うて、関東取締の警衛地に入る
ことを禁じるようなことは、施政上の
一英断で、人民が大いに歓ぶところである。
[関東取締とは、俗に八州と称され、
幕府から派遣される吏員で、関東八州を
巡回し、その政事を視察するものである。
当時、その弊害は非常に多く、威権を弄し、
賄賂を貪り、人民が最も厭苦する所である。
毛利氏は、すなわち、警衛地は私領同様で
あるべきである、との幕意を理由として
土地の取締りは一切、自ら、その責に
任じるべきであると、遂に、これを辞したので
あった。]

また、濫(みだ)りに 人夫を使役し、
公役に労する弊害を矯正し、かつ、
冗費(じょうひ・*無益の費用)を省くために
名主総代を廃し、貯蓄を勧め、
賑恤(しんじゅつ・*貧困者や被災者などの
援助)を行い、殖産を教え、
[本国から樝実(かりん)を取り寄せ、これを
試植させたことがあった。]

初めて種痘を広める。
[安政2年、藩士・中村寛二が、警衛地番手
として相州に至ろうとすると、予め好生館に
請い、痘種を受けて、警衛地に行き、
普く地方の人民に種痘をさせてみると、
その成績は非常に良好であると云う。
これにより、この地方、種痘の始まりである。]
事、皆、民の休戚(きゅうせき・*喜びと悲しみ)
をもって、心とする。
その民、心を得たことを知るべきである。
安政3年(*1856年)1月2日、
奉行役・木原 源右衛門が江戸藩邸に報じる
書中に、云うには、

【*以下、原文意訳】
旧来の公領法は、御先領様方の御行形などをも
取り合い、大いに格が上がり、御私領の意に
叶う心得をもって取り計らい、一昨年以来、
試したところ、これまでの趣では、
一向に取り障りの儀がなく、川越様、井伊様、
その他、先前の御政事の向き、如何でしょうか。
村方の取り沙汰などは、内々承っておりますが、
こちらの御方になり、村方・諸役人などが減り、
既に昨年5月、
諸村名主、その他、役人共が、陣屋元において
集会を致し、村方が定法の取り立て、
割り付物を計算致したところ、
井伊様の御預所中と、この御方がお預かりに
なった御雑費を取り競ったところ、
此方の御方になり、半方分、およそ800両も
劣り、1ヶ年では、1,700両ほど減少致し、
手当を申すとのことが聞こえ、
右(*上述)に応じて、追々、此方の御方の
政事の向き、一統、有難く、兼ねがね 申し
唱える噂で、只今の気受けにあれば、
最早、これまでの趣を持って取り極め
申し出るよう云々。
【*原文意訳・以上】

もって、その一端を察するに足りる。
そして又、風紀の厳粛を企画すると、
非常に切なるものである。
その初めは、非常の仕組のために、一般の
節倹の風を養成する時期にあたり、
相州へ出張の人士には、特に訓諭するところ
があり、頻(しき)りに勤倹、事に従うべきを
勧め、その任地の往復の武器・装具のように
自ら、これを荷担させた。

【*以下、原文意訳】
(安政元年正月 備場の出張の物頭からの
伺い、および、その指令)
一、 出張の節、荷物などの送り方の義は、
如何であるか、仰せ付けられるとのこと。
本書、甲冑・諸器械の儀は、銘々、持参し、
その他、荷物の儀は、品物を申し出の上、
何分の沙汰が仰せ付けられるとのこと。
一、出張の節、人夫を御仕向け、
如何であるか、仰せ付けられるとのこと。
本書に及ばず、沙汰するとのこと。
【*原文意訳・以上】

当時、他藩にあっては、士人が通過すると云う
事は、必ず多数の地方の役夫を徴発する慣習が
あり、時に前警衛者のようなものは、
その士人が交代するに当たり、多くの人夫を
使役し、武器を負担させ、用具を負わせ、
身は皆、引戸のある駕篭に乗って、悠々、
順路を周行し、いわゆる助郷を集めて
継立を命じ、非常に多い事は、事がないのに、
特に準備の名の下に人夫を徴発し、そして、
密かに人民から賄賂を遣わせて、
これを散財したような弊害が、又、
少なくなかった。
毛利氏の士人は、すなわち、これに反し、
藩規の命じる所に従い、極めて質素倹約に
務め、自ら武具を備えて往来するのを見て、
管下の民が往々、涙を下す者がいた。
その服装の模様は、ことごとく綿服の短い袴を
穿き、凛とした風采で、
かつての前任者の士人の小袖の緩やかな袴に
似ておらず、これより以後も藩政府は、すなわち、
非常に風紀の整粛を図り、度々、
その意を用いるところがあった。

(安政3年(1856年)11月、
政務の座から総奉行所へ送られた書簡)
【*以下、原文意訳】
一筆、啓達致すところである。
上宮田の御陣屋近辺において、茶屋があり、
絶えず客などもあり、聞いたところ、
もちろん、御陣屋内から罷り越す者もあるので、
宮田の儀は、往来繁多の場所とも違い、
茶屋ひとつの通りで、渡世が成ることを
考えず、わけても御備場内の儀は、
少壮の者が多人数で敷き詰めている肝要な
御手当場であるので、
惰弱の義があっては、文武の御引き立てへも
差し支え、かつ又、御預所の儀につき、
公の近辺への聞こえも如何かと存じるので、
御陣屋、その他、厳重に取り締まるようにとの
ことであります、云々。
      【*原文意訳・以上】

藩士、又、よく、その意を呈し、
始終、簡素で、勤勉善く、規律に服していた
ようである。
酒亭、妓楼のようなものは、毛利氏の時になると、
非常に寂しさを覚えた。
前任者は管弦に長じ、後任者は武技に精通し、
風紀の整と不整と日を同じくして語るなとは
云わないが、故老(*昔を知る老人)は、
今に至り、往々、その逸話を伝える者がいる。
[陣営地付近の漁商で、当時、当時、営内に
出入りした者の談によると、
前任者時代は、魚類の受領が多かった、
長州藩の警衛の時になると、大いにその
(*売り上げ)額を減少させたと云う。]

毛利氏の士人と云えども、
時に、飲酒、放佚(*節度のない生活態度)で
責罰される者はないと云えないが、
しかも数は、極めて少なく、かえって、
その厳粛を証するに足るもので、
かつて、目付役の在府の国老に報じる書に
云うには、

【*以下、原文意訳】
上宮田・三崎の両御陣屋詰めの面々、
当、盆前の趣を聞き繕い任せのところ、
諸士中、もとより当時節、勘弁致し、
殊に御陣屋詰めに居る事につき、
物を数多く取り寄せ致し者も無く、
衣類なども鹿服で済ませ、常々、質素倹約を
用いる故、買掛りなども無いと聞こえ、
かつ、足軽以下の儀も万事、倹約致し、常に
多分の買掛りなども無いと存じるが、
江戸屋敷に居る者共とは違い当所においては、
内職においても片鄙(へんぴ・*人け少なく)故、
故売先き少なく、元来、少勘定の渡しの儀につき
一統、難渋の様子ではあるが、盆前の少々の
買掛りなども致して、払い方を済ますように。
13日、14日、町方へ入り込んだ者も、
両御本陣共、日の内に引き取り、格別に耳立つ
(*目障り)儀も聞こえ申さず、右(*上述)のため、
御注進申し上げるよう、この如くに存じます。
【*原文意訳・以上】

安政3年(*1856年)の書類中に、云うに、

【*以下、原文意訳】
文雅風流、あるいは倹約をする組を含み、
武術手薄の連中が来ては、
当人は面皮を失う噂のみがあり、
さもそうであろうとの儀。
【*原文意訳・以上】

相州派遣の士は、特にこれを精選し、
その名声を落とさないことに務め、
非常に武芸を練修し、風紀を維持した跡
は、もって知るべきである。
唯、総奉行を江戸詰めとし、
衛士を半年で交代とするのは、
時勢の変遷によると云えども、
やや非難がないと云う訳ではない、
ということに似ている。
警衛地から度々、その出張を請うことが
あるので、これを知るべきである。
[安政3年(*1856年)の記録に、
警衛士の半年交代のつき、わずかに
地理形勢に通じれば、すなわち、交替の
期に迫り、滞在が短時日であることにより
士風が自ら苟且(こうしょ・*その場限り)に
名が在れるのを論じた一節がある。]

後、安政5年(*1858年)に及び、
相州警衛が止められると、管内の人民が連署して
願書を上げて留任を請うに至った。
その書に、云うに

【*以下、原文意訳】
三浦・鎌倉両郡の村々の役人共一同に
申し上げ奉る。
私共、村々の儀、素々、困窮の上、近来、度々、
異船が渡来し、
人気も騒ぎ立ち、中には、不心得な族もあり、
去年、御当方様、御預かる所に仰せ付けられ、
諸事、御廉直(れんちょく・*正直)な
御政事もって、御慈悲の厚い御教諭を
御云い付けられ、難渋者をお救い下され、
種々の広大な御恩沢を蒙り奉りながら、
愚味善情に基づき、追々、村柄も立ち直り申すべく
冥加至極でありがたく幸せに存じ奉ります。
一同、鼓腹(こふく・*太平で安楽)で、相、喜び、
恐れながら、御武運、御長久で幾久しく、
御支配を請い奉りますよう祈念し罷りました所、
この度、当御備場の模様替えの儀、
おおまかに承知仕り、小前末々まで驚嘆致しました。
誠に赤子が母を慕うように、一統、泣き騒ぎました。
私共まで同様の儀には、ありませんが、
先小前の者共が相、寄り、仕方がなく御嘆願申し
奉ります。
前条の次第、なされると聞き召し訳、何卒、
破格をもって、御憐慰を永々、御預所に仰せ付け
られれば、莫大な御仁恵と、村々、一同、
ありがたき幸せに存じ奉ります。
よって、この段、恐れながら書付をもって、
御愁訴(しゅうそ・*つらい事情を明かして嘆き
訴える こと。)申し上げ奉ります、以上。
【*原文意訳・以上】

もって、毛利氏が人民の好望を博しているかを
証して余りあるものである。


次回からは、第十一章 相州警衛(その2)- 2
                 です。

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