京都史蹟散策120 北野天満宮の全貌 10(拝殿と周辺)

京都史蹟散策120 北野天満宮の全貌 10
(拝殿と周辺)

本編は、2016年春から2017年初冬までの
期間にわたり、取材したものです。

紅梅伝説・伝承の木
●紅和魂梅(べにわこんばい)

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拝殿左前にある。
福岡・太宰府天満宮には、道真を追いかけてきた
梅の木があるが、この木と同種として伝わる。
樹齢300年。

北野天満宮・社報166号によると・・
・・先日当宮の日誌を繙(ひもと)いていると
寛延3年(1750)11月14日、常久が来て、今般、
飛梅の種の木を植えたいと申出があった。
協議の末、従来なら植えさせないが、今回は、
飛梅というので特別に許可する旨(が)、記されている。
其の後、この梅のことであろう。
寛政5年(1793)11月25日の条に、

「光乗坊(*宮仕の社家。円. 観坊家など世襲の
下級社僧が、直接、神殿への奉仕や 神供の儀を
沙汰していた。)

が来て言うには、西の御役所
(*京都町奉行のこと。幕府が京都に設置した
遠国奉行のひとつで、老中支配だが、任地の関係上、
京都所司代の指揮下にあった。
東西にあり、1ヶ月ごとの月番制を執っていた。)

の用人が、今日参詣に見え、かねて神前の梅の木
の前に、石碑を建ててはと、旦那方より申入れが
あったので、松梅院(*祠宮の三家、松梅院・徳勝院
・妙蔵院 内のひとつ。常夜灯などには、
【神事奉行 松梅院】などと刻まれている。)
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に相談した処、あの梅は飛梅に間違いはないが、
今更立札を立て、急に目立ったことをするのはどうかと
思われ、又誰かの献木のように見えるのも可笑しいので
止めた方が良いと思う。
然し他ならぬ方の仰せであるから、玉垣の隅の
角柱に、その旨 彫(り)つけておくことは構わない
と言われ、この事は願主が何れ話し合いにゆかれよう
から、年頃の玉林坊、能梅坊にも、斯様の次第を
伝えておくように」 とあるが、

現在の木は、京大名誉教授廣江氏も
「全国的にも珍しい品種で恐らく珍しい品種で
恐らく唯一の梅であろう」と太鼓判を押しておられ、
摩耶紅梅系で幹に花をつけるのも見事である。

又当宮古記録の「旧古之引付少々写之」にも、
長享2年(1488)8月禅予【1】
【1】松梅院禅予は、北野社松梅院の院主。
室町期、北野公文所や将軍家御師職を掌握し、
北野社の主導権を握っていた。

とあって、
「延喜7年2月17日、紅梅殿の梅、安楽寺へ
飛参するも此梅は単紅梅なり」と書かれ
薨後(こうご・みまかって後)、4年目に
飛梅の記事を伝えている。
・・・と、ある。

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北野天満宮・社報
(季刊v.14春号・平成29年4月)
によると・・
・・飛梅伝説伝承木とされる本殿前の
飛梅「紅和魂梅(べにわこんばい)」の
DNA検査が・・進められてきたが、
少なくとも江戸時代前期の350年前には
接ぎ木をなされていたことがわかった。
3月9日(*2017年)、社務所前で行われた
・・記者会見で発表されたもので、
接ぎ木によって代々「飛梅」が守り継がれてきた
可能性も出て来ており、信仰上からも喜ばしい
結果となった。
・・「江戸前期に接ぎ木されていたということは、
御神木の飛梅伝承は、もっと古くからあったのだ
と思う。
限りなく往時の梅に近いともいわれている
この御神木の調査・研究を今後も進めて頂き、
科学的に時代を遡ることができればうれしいこと
です」と宮司は感想を述べた。
         と、ある。

また、紅和魂梅の右手には、
枝ぶり良い松がある。
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この松のやや手前、西面に
●渡邊綱の燈籠 がある。

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説明板によると・・
重要美術品 渡邊綱(わたなべ つな)の燈籠
渡邊綱は平安時代中期の武将 源頼光
(みなもと よりみつ)の四天王の一人
大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治、 
一条戻り橋での鬼との戦いはつとに有名。
(*物語的には、酒呑童子は室町時代の御伽草子で、
英雄伝説として中世に流行った。
怪物退治ばなしの代表作とも云える。)

本燈籠の由来はこの一条戻り橋の鬼退治の話に遡る。
(*よくある演劇での退治話は、
正暦のころ、都では若君や姫君が失踪する事件が
相次ぎ、これを憂いた朝廷が安倍晴明に占わせると、
京の西北にある大江山の鬼の仕業とのこと。
そこで、藤原道長の命で源頼光とその四天王らが、
退治に向かう・・)

「渡邊綱が所用で夜半 一条戻り橋【2】に
さしかかると、若く美しい女性に深夜のこととて
家までおくってほしいと頼まれる。
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【2】一条戻り橋
橋の傍らの駒札によると・・
戻橋(もどりはし)
延喜18年(918)、文章(もんじょう)博士・
三善清行(みよしきよつら)が亡くなった時、
父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に
馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上
を通っていた。
浄蔵は柩(ひつぎ)にすがって泣き悲しみ、
神仏の熱誠をこめて祈願したところ、
不思議にも父清行は蘇生して父子物語を交した
という伝説から戻橋と名付けたという。
太平記、剣の巻によれば、そのころ、源頼光の
四天王の一人であった渡邊綱(わたなべ つな)が
深夜この橋の東詰で(*写真では橋の向こう側)
容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという
伝説もあるところである。
           京都市
             と、ある。

しばらく行くとその女性は恐ろしい鬼の姿となり
綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろうと
北野天満宮の上空にさしかかる。
その時、綱は太刀を抜き放ち、綱を掴んでいた鬼の
片腕を切り落とし難を逃れる。」
(*酒呑童子という名が出る最古のものは
大江山酒天童子絵巻・大阪府池田市の
逸翁美術館蔵で重要文化財。)
後日、綱はこれも天満宮の大神のおかげと神恩を感謝し、
この石燈籠を寄進したという。
               と、ある。

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一方、拝殿の右前・北面(松の裏)には、
●寄進燈籠 がある。

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右から、説明文によると・・
○霊元天皇(れいげんてんのう)
御寄進石燈籠  一対
天和2年(1682)7月 25日 霊元天皇御寄進
当宮は寛弘元年(1004)一条天皇北野社に
始めて行幸され二十二社に列格爾来
歴代天皇の篤い御敬神のもと 御皇室による
格別の崇敬を賜り今日に至る
中でも第112代霊元天皇は
大嘗祭りを再興「文武大祖 風月本主」と
敬慕する北野社に法楽和歌・連歌をはじめ
数多くの宝物を奉納 神前に石燈籠を
御寄進された

○有栖川宮(ありすがわのみや)
御寄進石燈籠  一対
文政6年(1823)11月25日 有栖川宮
韶仁(つなひと)親王御寄進
有栖川宮家は 代々学業を好まれ 特に韶仁親王は
芸術に対する御理解 歌道・書道への御造詣深く
達人と云われた
 文道の神 天神様への敬神の念を以て 納められた
この石燈籠は 御皇室の御敬神を表す重要な文化財
である
           と、ある。

また、拝殿の左前・北面(紅和魂梅の裏)にも、
○石燈籠 がある。
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●社殿
北野天満宮の社殿は、
手前から、拝殿、拝殿の両側の楽の間、
そして、石の間で接続されて本殿となり、
これらを合わせて1棟となり、
現在、この1棟が国宝となっている。

西側から見た社殿
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説明文によると・・
国宝社殿について
当宮の社殿は昔から、朝廷及び将軍家が
その造営修繕に当たられました。
国宝の指定を受ける現在の本殿は慶長12年
(1607年)豊臣秀頼公が造営されたもので
この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、
校倉等も現存しています。

また、この社殿造営は、父秀吉公の遺志であったと
伝えられます。
古来、神社祭祀は庭上で行われて来ましたので、
壮大な殿内で祭典を執行し得る当宮現社殿の出現は
神社建築史上画期的なものであったと言えます。

八棟造(やつむねづくり)と称され、
総面積約五百坪の雄大な桧皮葺屋根を戴くその
威容は、造営当時そのままに絢爛豪華な
桃山文化を今に伝えています。
          と、ある。

●拝殿

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●牛の立像

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北野天満宮・社報43号によると・・
北野の七不思議の一つに立った牛の彫刻がある。
それは拝殿の大鈴の上の欄間にある横41.5センチ、
縦16センチの大きさの像である。

およそ天満宮には臥牛が普通である。
というのは管公が延喜3年(903)2月25日
大宰府で59歳を一期として薨去され、
棺を筑前国四堂のほとりに御墓所を定めて
納め奉らむとしたところ、道中で牛車が臥して動かず、
なくなくまいそうしたのが、安楽寺すなわち今の
大宰府天満宮であると北野天満宮縁起にある。
それゆえ各地の天満宮には臥牛の像が多いと
いわれる。
その他 牛にまつわる逸話としては、
管公は仁明天皇承和12年(845)6月25日の誕生で、
丑年、丑月、丑日であったといわれ、長じて
寛平5年(893)9月、北山に茸狩の宴を催されたとき、
白牛が現れすりよってくるので、公は
「昔 孔子は北山の狩に麒麟を得て文宜公と称さる。
我は日本にて白牛を得たり」と悦ばれ、
労わりて飼育されたが、昌1月25日、左遷と共に
その愛牛がいなくなり、
「牛まで私を見棄ててしまったか」と、嘆かれたが、
配所への途次、河内の道明寺に叔母君の覚寿尼を訪ね、
一夜の名残を惜しまれたところ、
(藤原)時平の刺客 笠原宿祢がお命を狙わんと
待ちうけていたが、かえって前記の白牛に突きコロされ、
危うく難を逃れなさった事は、「菅原伝授手習鑑」で
よく上演されるところである。

・・ともあれ、拝殿の牛の立像はこのたび、
半萬燈祭に先立ち美しく塗り直され打ち鳴らす
鈴の音に耳をかたむけつつ、参拝者の姿を
じっと見守っている。
と、ある。

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七夕祭時の拝殿

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 (北野天満宮の全貌11に続く)


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