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<<   作成日時 : 2019/03/20 21:02   >>

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京都御所 特別公開・3 2019年3月18日(月)

京都御所 2019年3月12日(火)から
3月21日(木・祝)まで。
今回の公開は,天皇陛下の御即位30年を
記念して、御即位に関連した箇所を精選しました。

○小御所
【説明板】
鎌倉時代以降建てられるようになった御殿で、
江戸時代には武家との対面や儀式の場として
使用された。
明治維新の際には、将軍に対する処置を定めた
「小御所会議」が行われたことでも有名である。
上段・中段・下段の3室のまわりに広い
板敷(廂[*ひさし])が付き、様々な儀式に
対応できる実用的な建物であった。

昭和29(1954)に焼失し、昭和33(1958)に
復元された。

●孝明天皇礼服(らいふく)
【説明板】
「袞冕十二章(こんべん じゅうにしょう)」
礼服とは、天皇以下皇族や貴族が朝賀や即位など
の大儀に着用した装束のことで、大袖(おおそで)
と呼ばれる表衣と、褶(ひらみ)と呼ばれる
裳(も)を中心としたものです。
天皇が着用するものは、特別の色彩や12種の文様
「十二章」がみられました。

袞冕十二章の「袞(こん)」は、首を曲げた龍
のことで、唐の皇帝のシンボルとされていました。
茜(あかね)で深緋(こきあけ)に染めた衣の袖に、
袞龍を刺繍したことから、「袞衣(こんえ)」とも
呼ばれ、肩には日月、背中には北斗七星が刺繍
されました。
「冕(べん)」は冕冠のことで、即位の儀式において、
袞衣とセットで用いられました。
「十二章」は唐の文化を受けた12種の文様で、
表衣に八章、裳に四章の文様が施されており、
それぞれが聖王を象徴しています。
現存する袞衣は、孝明天皇の即位の礼で新調された
ものですが、明治天皇の即位の礼では礼服は
用いられず、それ以降は黄櫨染御袍を着用される
こととなりました。

「孝明天皇御即位御料 御礼服 御大袖(前)」
江戸後期 御物
画像


「孝明天皇御即位御料 御礼服 御裳(前)」
江戸後期 御物
画像


十二章
画像


●帽額(もこう)
【説明板】
寸法:丈156cm、幅2750cm 原画:原 在泉
大正元年-2年 制作
帽額は、帳(とばり)や御簾(みす)の懸け際に
飾るための水引幕の一種で、長押(なげし)の
上方に懸かられます。
古くは大極殿(だいごくでん)、そして紫宸殿で
行われた儀式に用いられていました。
この帽額は、大正天皇の即位の礼に際して製作され、
昭和天皇の即位の礼でも使用されました。

昭和天皇即位の礼の紫宸殿南庭舗設
昭和期 宮内庁 京都事務所
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金色の日像(にっしょう)に五彩の瑞雲、
輪郭に蝶文(ちょうもん)の意匠は綴織(つづれおり)
で表現されています。
綴織は平織(ひらおり)の織物の技法の一つで、
密度の細かい文様は、緯糸(よこいと)を一本一本
爪で掻き寄せて織り込んでいく非常に手の込んだもの
です。
そのため爪織(つめおり)とも呼ばれ、絵画のように
緻密に表現できることが特徴です。

綴織は織下絵(おりしたえ)と呼ばれる、
いわば設計図である図案が重要となります。
この帽額の原画は原 在泉(はら ざいせん)
(1849-916)が担当しました。
在泉は、京都御所にも多くの障壁画を残している
原 在照(はら ざいしょう)(1813-1877)の養子で
原派の四代目にあたります。
原家は有職故実(ゆうそくこじつ)に精通し、
宮中の儀式に関わる絵画などを多く画いていました。
在泉自身も、京都御所の中では迎春(こうしゅん)
(御常御殿の北側に位置)北取合の間に「四君子」の
障壁画を画いています。

帽額(もこう)
*上記の写真、と同じもの。
画像



●即位器服図式(そくい きふくずしき)
               御物
【説明板】
この『即位器服図式』は即位の儀式に使われた調度
を図示した巻物です。
このように即位に用いられる調度を画いたものは、
後の時代になって、即位の儀式に供え書写されること
が多くありました。
こちらの図は書写された時代は明らかではありませんが、
元となる祖本は、永治(えいじ)元年(1141)の
近衛(このえ)天皇の即位に際して作成されたものと
考えられています。

旗(はた)類、鉦鼓(しょうこ)、火爐(かろ)、
帽額(もこう)、高御座(たかみくら)、狛犬形、
冠などが並んでおり、ここでの帽には竜虎、
麒麟などの獣形(じょうぎょう)が画かれています。

即位器服図式 部分
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即位器服図式 部分
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即位器服図式
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○御学問所(おがくもんじょ)
【説明板】
慶長18(1613)年に清涼殿から独立した御殿で、
御読書始(おとくしょはじめ)や和歌の開などの
学芸のほか、対面にも用いられた。
慶応3(1867)年、ここで明治天皇が親王・諸臣
(しょしん)を引見され、勅諭(ちょくゆ)を
下して王政復古の大号令をはっせられた。
上段・中段・下段を含む6室からなる総畳敷の
建物である。

●雅楽の演奏について
【説明板】
現在流れている雅楽は、今上陛下の即位の礼
における「饗宴の儀」で、
宮内庁式部職楽部(しきぐしょくがくぶ)により
演奏された「平調寝音取(ひょうじょうのねとり)」
「皇麞急(おうじょうのきゅう)」「陪矑(ばいろ)」
の調べ(音源)です。

○平調寝音取
「平調」は唐音(とうがく)の6つある調子の一つで、
洋楽のE音に近い音を基音とします。
「音取」とは、演奏に先立って奏される短い曲で、
音律を整え、その調子の雰囲気を作ります。

○皇麞急
「皇麞」は別名「海老葛(えびかつら)」とも
いう平調の曲で、「急」はその最終楽章です。
中国後漢(ごかん)の皇帝・明帝(めいてい)
(在位57-75年)の即位の時に奏されたとも
いわれています。

○陪矑
「陪矑」は、聖武天皇の御代に、インドと林邑
(りんゆう)(現在のベトナム南部)の僧により
伝えられたといいます。
曲名は、奈良の唐招提寺の陪矑絵(へろえ)
(仏誕会)で奏されていたことに由来すると
されています。

昭和35年(1955)、宮内庁式部職楽部の楽師が
演奏する雅楽は、国の重要無形文化財に指定され、
楽師の全員が重要無形文化財保持者に認定されて
います。
*「人形司 伊東 久重」の表示板がある。
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○御三間(おみま)
【説明板】
宝永6(1709)年に御常御殿の一部が独立した
もので、七夕などの内向きの行事に使用され、
万延元(1860)年 祐宮(さちのみや)
(後の明治天皇)が八歳の時、正常を願う儀式
「深曽木(ふかそぎ)」がここで おこなわれた。
*「人形司 伊東 久重」の表示板がある。

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この先、
○管理事務棟、右(北側)、東面に

●御三間(おみま)上段の図 
 「朝賀図(ちょうがず)  が、ある。
【説明板】
住吉弘貫(すみよし ひろつら)筆
襖十六・貼付一面のうち襖四面
紙本著色総金雲取砂子泥引 縦170x 横82cm
御三間は御常御殿(おつねごてん)の南西に連なる
御殿で、上段の間には「朝賀の図」と題された
雅やかな障壁画に彩られています。

朝賀とは、元日に皇太子以下群臣が宮中に集い、
天皇に新年の祝賀を行う儀式です。
朝賀図では、大極殿(だいごくでん)の
高御座(たかみくら)に座す天皇に向かい、
庭上で祝賀を行う場面が描かれています。

朝賀は、宮中儀式のなかでも参列者・会場ともに
最もスケールの大きな儀式であり、唯一同様の形式で
行われるものに即位の儀がありました。
朝賀は、平安中期に途絶えてしまいますが、
一代一度の即位の儀式は現代まで続き、建物内の
高御座や帽額(もこう)、および庭上の旗などの
装飾品に、その伝統の面影をみることができます。

朝賀は、孝明天皇が崩御されたあと、御常御殿の
改修を終えるまで、明治天皇がお住まいになった
御殿であり、その際には上段の間に剣璽が置かれて
いました。
即位の礼を控えておられた明治天皇がどのような
思いでこの障壁画を御覧になったのか、想像は
膨らみます。

(*写真の外枠、画像処理済み)
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御三間上段の間「朝賀図」東面
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御三間上段の間「朝賀図」南面
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御三間上段の間「朝賀図」西面
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御三間上段の間「朝賀図」北面
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展示の光景(北面)
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他、
御池庭の鼡エの傍ら、御常御殿前、の梅も満開でした。

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京都御所 特別公開・追記 2019年3月18日(月)
           に続きます。

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