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zoom RSS 歴史の流れ 防長回天史を読む16 第十五章 毛利氏の司法制度

<<   作成日時 : 2019/04/11 18:21   >>

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歴史の流れ 防長回天史を読む16

[ ] は、原文の注釈で、
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。

●第十五章 毛利氏の司法制度

万治諸法
○刑名
○本刑
○奉行所
○市街地の民刑裁判
○郡地の民刑裁判
○知行地の民刑裁判
○士卒の民刑裁判
○行政上の苦情
○検察警察の事務

維新以前の司法制度はもとより、今日のような
整然とした組織あるのではなく、
(*毛利氏の司法制度の)その法文・条章の
疎漏(そろう・*物事の扱い方がいいかげんで、
手落ちがある。)雑駄であることは、
云うことを待たない。
その普通の行政事務との関係においても、
また、彼此(ひし・*あれこれと)
錯綜糾糾として、その範囲は、その権限のようで
ある。
さらに、(*それは)明確な区別があることが
見られない。
当時、幕府が発する法禁は、外教の禁のように、
海外交通の禁のように、大体に関するものは、
その少しを除く他は、ひとり、その直轄の地、
すなわち、いわゆる天領で行われるのみであった。
諸藩は、皆、自ら、その自治の権(*限)で
各々、法を立て禁を設けて、その民を統治した。
各藩の制度は、大体、互いに相、類似していて
大同小異に過ぎないと云えども、細条と適用に
ついては、実に別々であった。
そして裁判官吏の組織においても、その毎に
行政事務と相、関係して、かつて主任の官衛が
いなくて、又、専務の職員もいなかった。
法章は、非常に簡素であるが故に、
聴訟折獄(ちょうしょう せつごく・*訴えを聞いて、
裁判をすること。)は、むしろ臨機応変の
審断であることが多く、これを法治と称することは
難しかった。
幸いなことに当時の民は、俗に醇朴
(じゅんぼく・*純朴)で信用を重んじ、
名誉を尊び、上を恐れ下に親しみ、
健訟(けんしょう・*訴訟が激しいこと)の風は
少なく、聴訟者は、又、
敦厚謹直(とんこう きんちょく・*人情に厚く、
つつしみ深くて正直なこと。)の士人が
多かったために、たとえ法学の思想に乏しくても
よく、常識に訴え、審判の決を慎んだ故に
法律の不備と刑例の厳酷に比べると、
民事に刑事に、民が寃枉(えんおう・*冤罪)に
苦しむ者が少なくなかった。
毛利氏と云えども、この通則の例に出ず、
毛利氏にあっては司法制度も又、万治制法の時に
大概、備わり、それ以来、多少の変遷があったが
その大体においては、万治諸法の範囲外を出て
いない。

法律思想が完全でない時にあっては、
法律の命令に道徳の訓誠が相、混淆(こんこう・
*様々なものが入りまじること。)が多いのは、
万国の常である。
万治諸法もまた元よりこの弊(*害)を免れず、
従って、その条章の中では、
忠孝を励み、名節(めいせつ・*節操)を守り、
官にあっては廉直を守り、人に接するには
礼讓(れいじょう・*礼儀正しくへりくだった態度。)
で、奢侈遊懈(しゃし ゆうかい・贅沢三昧)を
戒め、士として売買で射利(しゃり・*手段を選ばず
ただ利を得る)の業を行うことを禁じ、
上になれば下を慰め、下になれば上を敬い、
争論は私和(しわ・*和解)に専念し、
よく故老・長上(*年長者)の説得に服し、
よって好訴犯上の風を避けるべきである、の意を
諭すことが、非常に多い。
しかもその間において、
士民の行為が曲がっているもの、および
その訴訟の方法を示して、ほぼ、その体裁を
得ていた(*保っていた)。

万治制法の中に掲げられた所によると、
罪の軽重に従い、加える刑名を斬首、切腹、
国退、遠流、籠舎(*牢屋)、閉門、過料の七ツとした。
しかも、万治(*1658-1660年)以来の判決例に
徴する(*照らし合わせる) と、実地刑の適用は、
士人と、庶民とは、その刑名を異にし、
正刑には、磔(*はりつけ)、火刑、斬首、遠島、
関所、追放、舎籠、閉戸、過料などの(*項)目が
あり、この他、溜込と称するものがあり、
未決囚を監禁する所である。
閏刑(*じゅんけい・本刑の代わりに科した寛大な刑)
には、没収、切腹、
減知(げんち・所領を減らして、その上に)、遠島、
隠居、蟄居、逼塞(ひっそく・*門を閉ざして昼間の
出入り を許さないもの)、遠慮、差扣(*さしひかえ)
などの(*項)目がある。
この他、一時、職務上の過誤のようなものに対し、
御叱と称するものがあり、閏刑は士卒を罰する
刑名である。
士卒にして刑がまだ決していないと、親戚に
これを監視させる。
これを称して親戚預け、と云う。
往時、士卒はこれを視ること、庶民の上にあって
特に礼節を知り、廉恥(れんち・*心が清らかで、
恥を知る心が強いこと)を守る者と
看做す(*みなす・認識する)。
従って、その非行を罰するのは閏刑であり、
庶民と分けて、刑辟(けいへき・*刑罰)の間、
なお努めてその体面を保たせる。
もし、事が極悪なもの、あるいは礼節を乱し、
廉恥を破る者は(*身分を)降ろして庶人とし、
正刑を加えた。

諸種の刑名は、必ずしも一罪を罰するのに
一刑で行うのではなく、時としては付加刑、
又は仮処分に当たることもある。
例えば、逼塞のように予め期限を定めないで
これを命じ、藩主が適宜の時にこれを免じる。
通例、3,40日を限りとする。
そして、これを免じると同時に隠居を命じ、
その禄は、これを削減して嗣子に与えることが
ある。
この逼塞は、あるいは仮処分のような(*令)状が
あり、又、減知、すなわち減禄は、隠居の加付刑の
ような(*令)状がある。

司法の事務は、あるいは階級に応じ、あるいは
族籍に従い、その人を管轄する行政官において
これを兼ねて掌握する。
その最高級は奉行、すなわち加判役の集会とする。

町奉行を置く所の市街地の人民 [ いわゆる、町人 ] 
に民事の争議があって町奉行に達するときは、
町奉行は市中の故老を集めて商議し、努めてこれを
調停させる。
その力が及ばないときは、これを奉行所に申告して
その指揮を受ける。
事情が紛糾して用意に裁決が難儀なものは、
奉行所において、これを裁判にする。
市中・人民と士卒・陪隷との民事の争論で
町奉行の審判に背(*そむ)かないもの、
もしくは事の重要なるものは、これを奉行所に移す。
刑事の訴訟も町奉行は、これを鞠治(きくじ・
*調べて統治する。)する。
そして、諸士・軽率・陪隷が市人に対して刑事上の
非行を加えることがあり、市人がこれを町奉行に
密訴するときは、人を通して密にこれを偵察させ、
諸士は、これを組頭に、軽率は、これを物頭に、
陪隷は、これをその雇い主に報じ、その処分を
待つものとする。

郡地にあっては、人民間に民事の争議がある時は、
庄屋・畔頭(くろがしら・*庄屋の補佐役)および
年長者が相議して、これが和解・朝廷を務め、
彼我(ひが・*相手と自分)が(*和解を) 結び
解決出来ないときは、これを代官に訴えさせる。
(*そして)代官は、これを裁決出来ないときは、
郡奉行に申告して、その指揮を受ける。
刑事にあっても、大抵、借牢および遠島以下の
処罰は、代官がこれを行い、罪状の重いもの、
あるいは疑獄は、これを萩の奉行所に移す。
但し、借牢、遠島も当職の意見を承って、
これを決行するのが例である、と云う。

借牢は父兄・親戚の請願により懲誠のために
投獄するもので、本刑ではない。
郡地人民と士卒、あるいは陪隷との争論は、
およそ、これを萩の奉行所に移す。
まさしく、これらの争論は、およそ人民と
知行地の陪臣との間に起こるもので、そして
これらの陪臣(*江戸期の大名の家臣の称。)は、
代官の裁判を受けることを役に立たないとする者が
多いために、この事があった。
士卒、倍隷の郡地人民に対し、刑事上の非行が
ある時は、代官がこれに当たると云う法は、
およそ、町奉行が行う所と同じである。
人民にあっても、民事上の訴訟の順序は、
公領地(*幕府などの領地。)と同じである。
給領(*について)は、代官が努めて、
その調停・和解を図り、もし、(*それが)
成らなければ、(*代官は)郡奉行に申告して、
その指揮を受けた。
公領地の人民と給領地の人民との間に起こるものは、
公領、給領の各代官が相議して、これを判決した。
(*そして)その決し難いものは、郡奉行に移して
その裁決を受けさせた。
刑事に至っては、知行地の人民の犯罪の非行が
ある時は、これを郡奉行に訴えさせて、郡奉行が
これを究明して、その有罪を認める時は、
奉行所に申告して、後に、これを領主に附し
処罰させた。
[領主は、密かに(*これを)処断することを
許さなかった。]
万治の制度は、このようであった。
(*その後)給領奉行を廃止し、公領代官に
その職務を兼ねさせるようになると、
公領・給領の間は次第に区別がないものになった。

八組に属する士人の間に民事の争議がある時は、
組頭・番頭のその間に斡旋し、釈難解紛
(*困りごとを取り除き、解決の難しい
複雑な問題を終わらせる)の労を取り、
その調停に服さない時は、組頭が、
事の曲直を具して(*事の真偽を)奉行所に移して、
その糺問、審判を受けさせる。
事が両組以上に渉(わた)るものは、
その組の組頭が相、商議して調停を試み、
もしも、(*それが)行われない時は、これを
奉行所に移す。
軽率間に争議がある時は、物頭のこれに対する
処置も又、組頭がその組の士人におけるのと
同じである。
軽率に刑事の非行があると、物頭はその同僚と
協議し、状を付して大頭に訴え、その指揮を得て
物頭が、これを処罰する。

小陪隷[いわゆる仲間]間に起こる民・刑事の
処分は、その雇い主の専断に一任するけれども、
罪科があって重刑を加えようとする時は、
雇い主は必ず奉行所に訴え、指揮を受けるべき
ものとする。
但し、耆旧(ききゅう・*高齢者)の陪隷で
雇い主がその棒禄を奪い、籍を削ることにおいては、
蔵元が両人役にその事を告げ、その指揮を受けさせる。
この他、士卒の民刑訴訟に関してその管轄などに
規定の詳細があるのは、士卒間には、およそ喧嘩の
ようなものはないと推測し、たまたま、これが
あっても慣例により臨機応変の処分をした。
士卒の刑事に、その管轄を定めないものも、
(*それは)奉行所の管轄で、その所刑は、皆、
奉行所において藩主の旨を奉じて、
これを行う主意で、往々、藩主の親断に出るものが
あった。
その他と云えども、審理判定の後、まず藩主に
聞し(*そのことを耳に入れ)、その裁可を待って
これを施行する。
その実、顕官(けんかん・*官職にある人)の
政治犯のようなものは、さらに藩主の親断とし、
多くはその罪状を明白にしない。
これは、ひとつは、その人の面目を保ち、
ひとつは、事実を暴露することを避けることに
似ている。
軽卒、庶民と云えども、死刑は必ず藩主の允可を
要した。

人民の官吏、あるいは町村吏員の職務上の抑圧を
上に申告する類も、往時は、これを訴訟と称した。
その実、万治制法においては、かえって、
これ等のみを訴訟と称し、通常の民事の訴訟は、
公事と称した。
時としては、これらの訴訟と民刑事の訴訟の性質を
帯びるものと非常に相、紛糾交錯することがある。
これは、まさしく往時は、請願訴願の類と
民事刑事の訴訟との区別が明白に判断されない
ことによるものである。
請願訴願の性質を帯びる訴訟に関しても、
種々の規程があり、中には、
一村、一郷が団結して強訴に渉るようなものは、
厳禁にして事、衆人に渉り、やむを得ないものは、
2,3の総代を互選して、事に当たらせる。
訴訟審理の段階に関しては、
「一旦 裁許の公事 再申出もの於有之は
可処厳法事」とは、万治諸法の一項で、
それ以来、これを継続している。
この事は、独り民事の訴訟に止まらず、
刑事およびその他の訴訟に関しても又、慣行上、
そうである、とする。
たまたま、控訴、上告のような手段を取るものが
あれば、その人は、まず非理の推定を受ける
(*非道でないであろうかと思われる)ばかりでなく、
たとえ、その事が救済を得ても、その越訴(おっそ・
*直訴や駆け込み訴えの類)に関しては、
すなわち、およそ、その罰がある。
すなわち、往時の裁判は事実上、初審、すなわち、
終審であって、覆審(*二審や三審のこと)の法は
ないことを知るべきである。
これは、一つには徤訟(けんしょう・*訴訟が激しい
こと。)の風潮を遠ざける趣旨によるもので、
一つは、当該の職司は法規により条理に基づき、
藩主の法権を執行するのであるので、その裁判に
非法・非理があることを推定させないとする意に
よるものである、ように思えるが、これと共に
又一面に、藩主は目付に非常の(*強い)権力を
与えて、暴官、汚吏がいて、良民が冤罪に苦しむ
ような事実を(*目付が)見聞きすれば、
直ちにこれを藩主に申し上げる。
(*そして)藩主は、奉行所に命じて、これを再審
させて、かつ、その官吏を懲罰にする、例がある。

往時にあっては、今の検察官および警察官と類似の
職務を執るものは、目付および、その下僚である。
まず、加判(*かはん・家老職に相当する重臣職)、
老職の意見を問い、その意を受けて藩主に申告する
ことを得て、目付の職責は、独り非行を監察する
のみならず、又、士民の孝悌(こうてい・
*年長者に対する崇尊の意)・忠実および芸能を
顕すことである。
[目付の職務に関する万治令条の一つに云うには、
士道相 嗜抽奉公 父母に大孝を盡し 
兄弟の道たゞしきもの云々 
或 秀一藝もの 或 國中の重寶となるもの見聞之上
速かに可言上事
(意訳)
士道は互いに奉公に身を捧げ、父母に大孝を尽くし、
兄弟の道、正しき者などあるいは、一芸に秀でた者、
あるいは、国中で重宝な者を見聞きした上で、
速やかに言上、すべき事 ]

しかし、実際の執務は、非行を監察することが
多かった。
この事は、独り、一個人のことに止まらず、
もし、士民の非行を責罰する職権を有する宮司が
小料を処するのに審判が粗漏(そろう・*手落ち)
で、これを罰するのに酷刑を行い、または、
法を曲げて大科を減免するような行為があれば、
その実情を探り、その悪者を見つけて藩主に
告げさせる。

目付の下に徒目付がある。
又、別に、盗賊改め方、検断(けんだん・
*刑事上の罪を検察、断罪する。)、横目、
目明しの類がある。
各々は、上司の指揮を受け、その職務に服す。
横目、目明しは、主として庶民間の偵察を
掌握する。
直目付の職責は、目付、すなわち表目付の
外にあって、主として君命の行否(*行うかどうか)
および諸職の勤怠を視察することであり、
高等な警察、および検察事務に類似の職掌
(しょくしょう・*担当する役目、仕事。)を
行うものとみても良い。

監獄は、萩、山口、三田尻の三か所にあり、
萩野監獄は、二つあり、一つは上牢と称する。
士卒を監禁する所である。
一つは、下牢と称する。
庶民を監禁する所である。
上牢の地は、かつて野山某の邸地であったので
野山獄との称する。
各勘場には、思案小屋がある。
懲治のため、入監を命じる所であり、
借牢と称することがある。
その意は、士民の父兄から懲治のために願って
獄舎を借り、これに投じる、の意である。
借牢は、思案小屋に入ることもあり、
監獄に投じられることもある。
監獄の経費は、官費とする。
しかし、借牢を出願したものは、その食費を
返済させる。
庶人が牢にいて、代官から懲治のために監獄に
投入を請うたものは、郡費で食費を返済させる。
萩に、また揚り屋と称するものがある。
(*これは)士卒の罪名の未定者を幽閉する所
とされた。
(*その)中について『被召捕揚り屋人』と称するのは、
情状が、やや重いもので、その食費は官費とする。
「不被召捕揚り屋人」と称するものがある。
これは、情状が軽いものである。
その食費は、後に返済させることを法とした。

長州藩の司法制度は、大体このようである。
その闕典(けってん・規則・規定などが不完全なこと)
が最も大きなものは、第一に刑律の不備であり、
第二は訴訟の管轄は、大体、一定の官衛があるが、
しかも非常に各々が錯雑しているだけでなく、
担当の官吏が一定していないことである。
同様に奉行所に提出する訴訟も、実は諸奉行、
すなわち、加判(*かはん・家老職に相当する重臣職)、
老職が自ら会議して、これを審理するのではなく、
下班の吏員にその事に当たらせる。
(*これは)法制・刑律に明るい法官が少なく
訴訟の渋滞を挙げて数えなかった。
およそ、これらの弊害は次第に堆積して、
忠正公の時になると、天保年間の流弊改革の
なかの一重要問題となった。

(*次回、歴史の流れ 防長回天史を読む 17
第十六章 忠正公の童年と当時の大勢 
に続く)


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