歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む23

●大久保利通日記・文書 文久2年

本編は、
大久保利通文書(全10巻)、
大久保利通日記(全2巻)を
(日本史籍協会 昭和2年)を底本として、
これを、あくまで趣味的にひも解いて、
現代風(意訳)に読んでいくものとします。
(* )は、現代風に読むに当たっての付記、です。

【目次】(ほぼ時系列で掲載)

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
文久2年(1862年)八月一日 ~ 八月十五日

(文書)23・ 文久2年閏8月15日
   生麦事件に関する伝達書 40-1

(日記)大久保利通日記・上巻・第2巻.
文久2年(1862年)八月十六日 ~八月卅日

―――――――――――――――――――――

大久保利通日記・上巻・第2巻.
【大久保利通日記】から 文久2年(1862年)
(本文・意訳)

8月1日 晴
一 四ツ時(*午前10時頃) 出勤。
九時(*お昼12時頃)退出。
堀 仲左衛門、同道し、
大原重富様へのお使い、相、勤めた。
暮れに帰邸した。

8月2日 雨
一 四時(*午前10時頃) 出勤。
八(*午後2時頃)より退出。

一 今日、島津 登(しまづ のぼる・
*薩摩藩・家老。諱は久包。)から指示があり、
関山糺(*薩摩藩・国家老。)からの御用を
承知致しました。
協力は、これまで通りするようにと、
仰せ付かりました。
御取次は、川上右近だった。

8月3日
一 四時(*午前10時頃) 出勤。
八ツ後(*午後2時頃過ぎ)退出。
堀 仲左衛門の件◆、いろいろと訳があり、
今日のところは、堀 仲左衛門は、
私(*利通)のところへ滞在した。

◆堀 仲左衛門の改名のこと。
文久元年(1861年)12月に島津久光の後の
文久の改革につながる出兵計画のために
時間稼ぎが必要となった。
そこで、藩主・島津忠義の参勤を遅延させるため、
堀 仲左衛門は、国元からの指示で江戸藩邸を
自焼させた。ところが、翌年の今日(8月3日)、
これが、薩摩藩の自作自演だったことが
分かってしまった。
そこで藩は、仲左衛門に伊地知壮之丞・
伊地知貞馨(いちじ さだか)と改名させた
のであった。

8月4日
四ツ時(*午前10時頃) 出勤。
八ツ後(*午後2時頃過ぎ)退出。
今晩、中山 次左衛門(*薩摩藩、お側役。
中山 中左衛門の父)が、
脇坂 安宅(*幕府・老中)の所へ出かけた。

8月5日
四ツ時(*午前10時頃) 出勤。
今日、重役がご用を申して来られ、
島津 登(しまづ のぼる・*薩摩藩家老。
諱は久包。)殿が、脇坂 安宅閣老のところへ行き、
その前でいろいろ言上されました。
島津 登が承知したいろいろな趣きは、
実に思い残すこと堪えられず、
今日は、終日、ご評議でありました。
今夕は、泊まり番でした。

8月6日
泊まり明けでした。
八ツ時(*午後2時頃)退出。
大原重徳様のお使いを相、勤め、暮れ頃、
帰った。
大原重富様は、上洛の日限を越え、上洛について、
ご登城の一件、御方様(*大原重富様)のお発ちの
日などの件、言上されました。
伊地知貞聲(*旧・堀 忠左衛門)は、夜前に帰り、
今日来て宿に泊まり、吉井友実も宿に泊まった。
今晩、中山 中左衛門へ伺った。

8月7日
★(堀 小太郎の処分の件)
今日、四ツ時(*午前10時頃) 出勤。
四ツ後(*午前10時頃後)
(*堀 小太郎こと)伊地知貞聲の一件につき、
脇坂閣老の筋から、島津 登・家老へ
私目が付き添いの役目(*をするように)
とのご沙汰があった。

一 八後(*午後2時頃過ぎ)
上御屋・島津 登・家老へ伺ったところ、
西 筑右衛門(*江戸留守居役) が来て、
相変わらずの議論、(*そして)又々、無駄話と
なった。
暮れごろ、(*島津 登・家老)と同伴し、
脇坂(*閣老)へ出掛けたところ、
病気で登城されておらず、面会を断られた。

一 佐土原 忠寛(*島津忠寛・日向国佐土原藩、
11代・最後の藩主)もお出でのことであったが、
前述のような次第なので、取り止めとなり、
明朝、板倉 勝静(*伝奏)へ行くことになった、
島津 登(*家老)、私目も同様とのこと。
(*なので)今夕は、引き取った。

(*この件、幕府側は、非常に消極的である。)


8月8日
今日、早朝から、板倉 勝静(*伝奏)へ行く
役目のところ、西 筑右衛門(*江戸留守居役)が
来て、又々、異論があり、色々と返答した。
何時頃か、佐土原 忠寛へ少し立ち寄り、
板倉 勝静(*伝奏)へのお出でを勧め、
そのまま板倉 勝静(*伝奏)へ行き、
公用人へ拝謁を願い出たところ、色々と
難しいことを申し立てられた。
再三再度、応答したところ、佐土原 忠寛は
お達しがあるので、返答を待っていたところ、
既に大太鼓が打たれ、すぐに登城となったため、
先ずは引き取りました。
(*そして)直ぐに(*久光公ヘ)
この状況を申し上げ、又、島津 登(*家老)と
同道し退城の上、板倉(*閣老・伝奏)へ行くこと
となった。
再三再度、応答したところ、佐土原 忠寛は
引き取りの上で、会うとの旨の返答で、
待っていたところ、既に大鼓が打たれ、
登城となったため、先ずは引き取り、
直ぐに、(*久光公の)前で状況を申し上げ、
又、島津 登(*家老)と同道して退場の上、
出かけることとなった。

七 (*午後4時)頃から芝邸のお屋敷へ
出かけたところ、島津 登(*家老) が
病気とのこと。
(*先ほどまで、同道していたのに不思議。)
岩山八郎太が早馬で連絡があり、そのまま
引き返し、小松家へ立ち寄り、
帯刀殿は出張のところ、伺ったところ、
まずは、(*閣老の)一人に伺うように、
と仰せ付けられた。

★(利通、板倉閣老に会する)
よって、飛ぶように西 筑右衛門(*江戸留守居役)
へ向い立ち寄り、御留主居附役・西村喜作が
同伴し、板倉(*閣老・伝奏)へ出張のところ
夜五ツ時分(*午後8時頃)、面談が出来て話しをした。
色々と内分で聞いて置く、との主意で、
上手に逃げられた。
(*なので)ひとまず引き取った。

*前述のように、利通、原の件で奔走するも、
幕府、又、薩摩藩側の重鎮も一部、非常に消極的で
なかなか思うように事が運べなかった実情が、
よく分かる。


8月9日
四時(*午前10時頃) 出勤。
よって昨夜の状況を(*久光公へ)言上し、
この上は、表向きの届けが、成るか、成らぬかの
境目で、ご決定を((*久光公に)伺ったところ、
十分に、こちらの(*薩摩藩側)の主意の理解を
述べた上は、聞き届けられるかどうかを
推測する場合ではなく、まず、この上は、
堀をそれなりに、召し置かせるべき、との
ご沙汰、云々とのこと。

一 八後(*午後2時頃過ぎ)
中山(*中左衛門)へ立ち寄り、
中山(*次左衛門)へもお伺い、
御留主居附役・西村喜作と用談した。
海江田 信義、奈良原喜八郎へ伺い、
そこから傳奏邸(*板倉閣老邸)へお使い、
相、勤め云々。
暮れ前から、山科(*吉井友実)と同道し、
両国へ行き舟に乗り、隅田川の月に棹を差し、
風景は微妙で苦心の中の憂鬱を散らし、
汐留へ着いた。
山科(*吉井友実)と別れ、中村屋へ上リ、
休息して、四ツ過(*午後10時過ぎ)頃、帰る。

★(藤井良節、京都から来る。)
一 近衛様諸大夫・進藤式部(長義)少輔、
藤井良節(*奥医師。本名:井上経徳、
通称:井上出雲など)が(*京都から)着いた、
とのこと。


8月10日
一 出勤前に、中山(*中左衛門)へ立ち寄り、
四ツ後(*午前10時過ぎ)、
伝奏邸(*板倉閣老邸)に、お使いを勤めた。
もっとも、今日、ご登城の筈と承り、
認め変えの(*書き換えた)書を持参したところ、
藤井(*良節)も来て、このような訳で、
早々に(*私目は)邸宅へ帰った。
待ち合わせのところ、間違えて、又々
出かけたところに藤井(*良節)に途中で
出会い、直ぐに帰邸し、少しの間、会って、
(*彼は)帰り、山科(*吉井友実)も来て、
話し、明朝、参殿することで話しがついた。

*この日、堀 仲左衛門(伊地知貞馨)は、
江戸から鹿児島に護送され、
以後、政治活動の第一線から退いた。


8月11日
早朝、芝の進藤(*長義)の旅宿へ伺い、
色々と話し合い、伝奏(*板倉閣老)と会い、
色々と言上した。
帰りがけに進藤(*長義)の旅宿へ立ち寄り、
帰邸した。
中山 中左衛門に会うので出かけた。
今夕は、泊まり番である。
今夕、又、少しの間、進藤(*長義)の旅宿へ
行った。

8月12日
一 泊り明けであった。 
八(*午後2時頃)から退出。

★(勅使 登城)
一 今日、進藤(*長義)がお使いに参られ
(*久光公と)会われ、涼風軒でご馳走になった。
小松家・中山 次左衛門、小生も、その席に
加わった。

一 今日、(*大原重富)勅使が、ご登城、
色々な都合があった。
山科(*吉井友実)が、暮れ頃に来た。
現況を進藤(*長義)へ申し入れたところ、
山科(*吉井友実)と、いろいろと面談されて、
託された。

一 進藤(*長義)、夜入過ぎに帰られた。

一 山科(*吉井友実)と私目は、
旅宿へ行き、四時(*午後10時頃)帰った。

一 京都へ飛脚を出して、本田親雄へ問い合わせを
出した。


8月13日
一 今朝、進藤(*長義)へ伺い、等々。
四ツ後(*午前10時過ぎ) 出勤。
泊まり番である。

一 上様、土佐(知鏡院)様
(*土佐藩第13代藩主・山内豊煕夫人)・
本多様へ餞別としてお出でになる。
夜に入り、五時(*午後8時頃)
(*久光公)お帰りになり、殿に泊られる。

8月14日
一 四時(*午前10時頃) 出勤。
八後(*午後2時頃過ぎ)退出。

8月15日
一 四時(*午前10時頃) 出勤。
八後(*午後2時頃過ぎ)退出。

8月16日
★(大原卿、浜御殿に遊ぶ)
一 四時(*午前10時頃) 出勤。
八前(*午後2時頃前)、山科(*吉井友実)、
お使いに参られ、八後(*午後2時頃後)、又、
大原重富様のお使いを、相、勤める。
今日は浜御殿へお出でになれ、山科(*吉井友実)、
「可んきく」と云う茶店へ伺い、
夜に入り、伝奏(*板倉閣老)邸へ行ったところ、
お帰りになっていたが、会うことが出来ず、
空しく帰った。

8月17日
今日、五時(*午前8時頃)、
大原重富様のお使いを、相、勤め
九時(*お昼12時頃)、帰り、出殿し、
八後(*午後2時頃)、退出。
七ツ半頃(*午後5時頃)、谷村 愛之助と
同道し、中村屋へ伺い、両人(*大原卿と板倉閣老)
が来られ、夜入り過ぎ、帰った。

8月18日
今日,九時(*お昼12時頃)出勤.
泊まり番である。

8月19日
一 泊まり明けである。

★(久光公、一橋慶喜を訪ねる。)
一 今日、八時(*午後2時頃)、
お供で、久光公、一橋慶喜公がお出でになり、
松平春嶽公(*松平慶永・越前福井藩主)も
お出で、とのこと。
夜入過ぎ、ご帰殿された。
よって、(*久光公の)御前で(*一橋慶喜公・
松平春嶽公)の状況を承り、まずまず、
都合よろしく、ありがたく、退出し、
(*仕事)終いをした。

8月20日
今日、四時(*午前10時頃)出勤。
九時(*お昼12時頃頃)大円寺に参詣。

★([長州藩]来島又兵衛、来る。)
★([長州藩]毛利定広公、 久光公を訪ねる。)
一 今朝、(長州藩)来島又兵衛が来て、
いろいろと問い合わせる。

一 八ツ後 (*午後2時頃過ぎ)
松平 長門守(毛利 定広)様がお出でになる。
*毛利 定広は、毛利 元徳(もとのり)。
長州藩の第14代(最後)の藩主。

一 今日、(*仕事)終いで混雑した。


8月21日
★(久光公、江戸を出発する。)

一 今日 六ツ半時(*午前7時頃)(*仕事)終い。
四時(*午前10時頃)(*久光公)高輪のお屋敷を
ご機嫌良く、出発される。     14丁ほど。

一 四ツ時(*午前10時頃) 出勤。
八後(*午後2時頃過ぎ)退出。

* 御立場 [おたちば・江戸時代,街道の宿駅の
出入口に設けられた休息所。掛け茶屋のこと。
休憩は出来たが,宿泊は禁じられていた。]
以下は、
東海道五十三次の宿場は、(東宿・x)と 
略します。

品川(東宿・1)大佛前 少しご休憩          
釜屋 半右衛門 1里9丁
大森   少しご休憩  山本 休三郎  1里9丁
川崎(東宿・2)   御休憩      1里半
生麦   御立場  富士屋 伝七   1里
神奈川(東宿・3)  御立場 御本陣
           石川源右衛門 1里9丁

(*久光公ご一行は)上記の通り通行され、
神奈川で少しご休憩され、保土谷駅へ暮ごろに
ご到着された。

★(生麦村の変)
一 異人が生麦村で、行列の前へ騎馬で乗り掛ったので、
一人を切り捨て、他の者は逃げ去った。
神奈川辺りは、特に騒動であった。(*生麦事件である。)

今晩、四ツ半比(*午後10時頃)退出。

一 神奈川で高崎猪太郎、土師吉兵衛に異人の挙動の
探索を託した。
今晩、問い合わせが、度々、届いた。
夜明け、高崎猪太郎が来たので出殿した、など。

東海道五十三次と文学(保土谷駅)
巌松堂書店むらさき編輯部 編
(昭和16年) 著作権満了のものより
1  IMG_0207 ●保土ヶ谷(1280x960).jpg


8月22日
一 七ツ半時(*午前5時頃)

(*久光公)保土谷 ご出発 2里9丁
戸塚(東宿・5)  御立場 沢辺 九郎右衛門 
1里30丁
藤澤(東宿・6)  御立場 御本陣
          藤田 源右衛門  2里
南郷  少しご休憩 松屋 清左衛門  1里10丁
平塚(東宿・7)  ご休憩      2里26丁
梅沢  少しご休憩 桧屋 作左衛門  2里
小田原(東宿・9) お泊リ。

右の通り諸所で、ご休憩になり、夜入過ぎになり、
ご到着。

一 今日は、お供である。
今晩、児玉 源右衛門 (*御兵具方・肝煎役)、
土師吉兵衛が、届(*役)として来た。

*薩摩藩は、この事件の報復に対して、如何に厳重に
警戒していたか、が読み取れる。
この時点でのイギリス側からの報復はなかったが、
翌年、文久3年2月19日、徳川家茂が京都に
向かっている途中に、イギリス政府は、幕府への
損害要求を伝えた、のである。

一 南郷で、少しご休憩している頃に、
京都からの本田親雄の問い合わせが届く。
今晩は、飛脚・三組を出して返答しておいた。

旅日記(小田原)
光峨飯島明 [画] (光峨飯島明、明治9年)
著作権満了のものより
2IMG_0028★小田原 (1280x960).jpg


8月23日
一 七ツ半時分(*午前5時頃)

★(久光公、沼津に至る)
小田原 ご出発  2里
湯本  御立場    米屋 紋右衛門   1里
畑   少しご休憩  茗荷屋 畑右衛門  1里8丁
箱根(東宿・10)  ご休憩       1里半
山中  少しご休憩   宗閑寺     28丁
三ツ矢 御立場     松雲寺     1里半
三島(東宿・11)  少しご休憩 樋口 太郎兵衛   
(久光公 沼津に到着。)
沼津(東宿・12)お泊まり。

右の通り諸所で、ご休憩になり、夜入過ぎになり、
ご到着。

一 お国元から(*先月) 28日に発った飛脚が着いた。
税所 篤(*久光公の側近)の書状が届いた。

一 高崎(*猪太郎・異人の挙動の探索方)が、
江戸から着いて、(*事件の)状況の云々を言上した。

旅日記(沼津)
   同上
3 IMG_0029★沼津 (1280x960).jpg


8月24日
(*久光公) 沼津で一日、ご滞在。
今晩、藤井良節(*奥医師)、高崎 猪太郎、
奈良原喜八郎が、きた。

8月25日
★(久光公、沼津に至る)
一 七ツ半時(*午前5時頃) 沼津 ご出発 1里半
原(東宿・13)ご休憩  植木屋 輿右衛門  1里半
柏原   御立場    浮島屋 和右衛門  1里半6丁
吉原(東宿・14) ご休憩          1里20丁
岩淵   ご休憩休    ときハ 彌兵衛  1里8丁
蒲原(東宿・15)御立場 御本亭 平岡 休兵衛 2里
倉澤   御立場             1里12丁
興津(東宿・17)御泊

右の通り諸所で、ご休憩になり、暮頃になり、ご到着。

一 京都から飛脚が着き、本田親雄の問い合わせが来る。

旅日記(興津)
   同上
4 IMG_0030 ★奥津 (1280x960).jpg


8月26日
一 七ツ半時(*午前5時頃)ご出発
興津(東宿・17)        1里2丁
江尻(東宿・18)少しご休憩 御本亭 
寺尾 輿右衛門 
1里20丁
小吉田  少しご休憩   稲葉 源右衛門 
2里余り
彌勒   少しご休憩   亀屋 五郎右衛門 
30丁程
丸子   ご休憩          2里9丁
岡部(東宿・21)御立場 御本亭 内野 覚兵衛   
1里26丁
藤枝(東宿・22)ご宿泊

右の通り、ご通行され、安部川も都合良く、
お渡りになりなられたとのこと。

一 今晩、京都へ飛脚を出し、本田親雄へ封書を
出されたとのこと。

旅日記(藤枝)
   同上
5 IMG_0031 ★藤枝(1280x960).jpg

8月27日
一 お目覚め、 六ツ時(*午前6時頃)
藤枝(東宿・22)ご出発、六ツ半時(*午前7時頃)
1里余り
三軒屋   御立場     岩崎 屋太郎兵衛 
1里余り
島田(東宿・23)少しご休憩 御本亭 置鹽 藤十郎   
1里
金谷(東宿・24)少しご休憩  佐野 左次右衛門 
1里24丁
日坂(東宿・25)ご休憩       1里29丁

掛川(東宿・26)ご宿泊

旅日記(掛川)
   同上
6 IMG_0032  掛川(1280x960).jpg


8月28日
★(久光公、浜松に至る)
一 お目覚め。 六ツ時(*午前6時頃)
掛川(東宿・26) ご出発 六ツ半時(*午前7時頃) 
1里2丁
原川    御立場    伊藤 又右衛門   
1里8丁
袋井(東宿・27)御立場 御本亭 
田代 四郎左衛門 
1里半
目附(東宿・28)ご休憩       2里
池田           平野 太郎兵衛   
2里8丁
             平川 伊平治
浜松(東宿・29)御宿泊。

今日、天龍川、ご都合良く、お渡りになる。
(*午後5時頃前) ご到着になる。

一 今日、京都から飛脚が着き、(*久光公の父・
近衛家[通称・陽明家] )からご内書が着く。
本田親雄から問い合わせが来る。

一 吉井友実から一封、来る。

一 今夕、泊り番なり。

旅日記(浜松)
   同上
7 IMG_0033 ★浜松(1280x960).jpg


8月29日
一 七ツ半(*午前5時頃)お目覚め。
浜松(東宿・29) ご出発
篠原    御立場 糀屋 喜兵衛  1里半
舞坂(東宿・30)  少しご休憩 御本亭 
宮崎 伝左衛門 海上50丁
新居(東宿・31)ご休憩       1里26丁
白須賀(東宿・32) 御立場 御本亭 
大村 庄右衛門 1里半
二川(東宿・33)  御立場 御本亭 
馬場 彦十郎
吉田(東宿・34)  ご宿泊

右の通り通行され、新居を都合よくお渡りに
なった。
七ツ過(*午後4時頃)ご機嫌よく到着された。

一 今日、御供である一 今夕、江戸へ飛脚を出す。
吉井友実(*大目付)へ一報を出す。

旅日記(吉田)
   同上
8 IMG_0034 ★吉田(1280x960).jpg


8月30日
吉田(東宿・34) ご出発 六ツ時(*午前6時頃) 
1里16丁
伊奈村 御立場 加藤 新助    1里26丁
赤坂  御休          1里9丁
實蔵寺 御立場 鈴木 新助    1里
藤川(東宿・37)  御立場 森川 休左衛門 
1里半
岡崎(東宿・38)ご宿泊

右の通りで八時(*午後2時頃)ご到着。

一 今日は,非番で、七ツ時分(*午前4時過ぎ)
出立し、九ツ時(*お昼12時頃)到着した。

旅日記(岡崎)
   同上
9 IMG_0035 ★岡崎 (1280x960).jpg


次回、歴史の流れ・「大久保利通日記と文書」を読む24
大久保利通日記・上巻・第2巻  に続きます。



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