京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2015年以降)16 霰天神山(リニュアル)

京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2015年以降)16 霰天神山(リニュアル)

駒札について。
祇園祭・山や鉾の駒札は、山鉾巡行時のみ掲示される場合があり、この折でないと見られないものもあります。
本篇は、この駒札を基軸に掲載し、現在の状況に適応しない箇所などは、補足と共に(*)で、付記しました。
【】付記については、公益財団法人 祇園祭山鉾連合会の記事などを参照しました。
 また、ルビについては、できるだけ、原文ママ、にしました。
(以降、継続)

●霰天神山(あられてんじんやま)

宵山の光景(2016年)
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霰天神山(あられてんじんやま)
駒札によると・・
錦小路通室町西入にあるので「錦天神山(にしきてんじんやま)」または「火除(ひよけ)天神山」ともいわれる。
永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのが霰天神山の起こりであるという。

山の上には欄縁(らんぶち)にそって朱塗り極彩色の廻廊(かいろう)をめぐらし、中央に唐破風春日造(からはふ かすがづくり)の神殿を安置する。
前懸(まえかけ)は16世紀にベルギーで製作されたイーリアス物語を描いた毛綴(けつづれ)を用いていたが、平成21年、復元新調した。
他に、中国刺繍の太湖岩鳳凰図もある。
左右の胴懸(どうかけ)は上村松篁(うえむら しょうこう)(昭和60年新調)、上村淳之(あつし)(平成14年新調)親子の原画花鳥綴織で、後懸は雲龍文様綴錦(うんりゅうもんよう つづれにしき)図(平成21年新調)。
旧胴懸(どうかけ)の曙織(あけぼのおり)、蝶に牡丹図(文政3年(1820)製)は大切に
保存されている。

山の縁起にちなみ宵山には「火防(ひぶ)せ、雷除け」の御守が授与される。
        京都市
             と、ある。

●天神山会所 (霰天神山)
駒札によると・・
天神山町は、祇園祭のとき霰天神山を出す町内である。
町会所の敷地は、以前は現在地より西寄りに位置していたが、寛政5年(1793)に当地へ移り現在、会所家、土蔵、大日堂が建つ。
会所家は、明治19年(1886)ごろの造営と推定され、「町席」と称する十畳の座敷に釣床を設け、また、玄関には式台を備えて格式を備えている。
土蔵は、江戸時代後期の造営になり、中には天神祠を安置している。
大日堂は庭の北西隅に建ち、会所家と同時期の造営と考えられる。

表通りに面した門を入ると、狭い路地に面して奥に会所家が建ち、更に、その奥に庭をはさんで土蔵と大日堂が並ぶ構成は、祇園祭町会所の典型例の一つとして貴重であり、
昭和58年6月1日、京都市指定有形文化財に指定された。
        京都市
          と、ある。


巡行の様子(2015年)
雨に見舞われました。
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巡行の様子(2016年)
前懸は、平成21年、復元新調された16世紀にベルギーで製作されたイーリアス物語を描いた毛綴(けつづれ)。
胴懸は、上村松篁(昭和60年新調)、上村淳之(平成14年新調)親子の原画・花鳥綴織。写真は、銀鶏図。
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巡行の様子(2019年)
霰天神山(あられてんじんやま)
永正年間、京都に大火があったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまち消えたが、その時一寸二分の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。
(無料配布・京都市観光協会・説明文、より)
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【付録】
京のまつり研究会設立10周年記念
京・まつり展.2016年 7月20日(水)~7月24日(日)
(入場無料・フラッシュ不可・撮影可)
於・京都文化博物館 より
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○祇園祭山鉾34基の細密画(*より・霰天神山)
この細密画は、大船鉾・鷹山の一部を除き、故 松田 元が10数年にわたって書く山鉾町を
取材され、各山鉾の姿を精密に描いた昭和56年以前の細密画である。
これら山鉾の前掛、胴掛などの装飾品が、その後新調され、現在の山鉾と差異が生じているものもあるが、当時の山鉾の記録としては、貴重な史料である。
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以降、今後も継続の予定です。

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