京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2016年以降)32 鯉山(リニュアル)

京都の夏は祇園祭・祇園祭の光景と歴史(2016年以降)32 鯉山(リニュアル)

駒札について。
祇園祭・山や鉾の駒札は、山鉾巡行時のみ掲示される場合があり、この折でないと見られないものもあります。
本篇は、この駒札を基軸に掲載し、現在の状況に適応しない箇所などは、補足と共に(*)で、付記しました。
【】付記については、公益財団法人 祇園祭山鉾連合会の記事などを参照しました。
 また、ルビについては、できるだけ、原文ママ、にしました。
(以降、継続)

●鯉山 (こいやま)

宵山の光景(2016年)
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駒札によると・・
山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門(りゅうもん)の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿をあらわしている。
この滝を鯉がのぼりきると龍になるという中国の伝説があり、「登龍門」の語源となった。

前面に朱塗の鳥居をたて、山の奥には朱塗の小さな祠を安置し素盞鳴尊(すさのおのみこと)を祀る。
その脇から下がる白麻緒は滝に見立てられ、欄縁(らんぶち)その他の金具はすべて波濤文様(はとうもんよう)に統一されている。
山を飾る前懸(まえかけ)(*平成4年に復元新調)、胴懸(どうかけ)(2枚)(*平成4年に、胴懸(西)復元新調、 平成4年に、胴懸(東)復元新調)水引(2枚)、(*祇園祭山鉾連合会の記述によると・・平成21年に前水引・金地果実文様が、平成22年に後水引・金地花唐草文様錦が新調された。)
見送(みおくり)は16世紀にベルギー・ブリュッセルで製作された1枚の毛綴(けづつれ)(タペストリー)を裁断して用いたもので、(*昭和25年)重要文化財に指定されている。
最近、ベルギー王室美術歴史博物館の調査により、その図柄はギリシアのホメロス作「イーリアス」物語の一場面で、トロイヤのプリアモス王とその后(きさき)ヘカベーを描いたものといわれており、現在巡行の時には復元新調品を用いている。別に旧胴懸としてインド更紗(さらさ)のものがある。
         京都市
           と、ある。


◆会所内へ
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説明板によると、
登龍門の鯉山
鯉山は室町時代には「龍門の滝山」と呼ばれていました。
龍門とは中国黄河の上流にあるという激流の難所のことで、そのにある滝を登りきった鯉は龍になり祀られたという「登龍門伝説」になぞられてつくられたのです。
鯉山は難関突破・立身出世の山として古くから京の町衆に愛されています。
鯉山データ
高さ 6.0m
全長 5.5m
全幅 2.3m
重量 0.8t
          とある。

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鯉山を飾るタペストリー
「B.B」という文字が発見されたことで現在のベルギー・ブリュッセルで1580年から1620年ごろ製作されたことが明らかになっています。
タペストリーは鯉山の周囲を飾るように大工のノミで裁断され、見送り等6つの懸装品に仕立てられました。
~図案はトロイ戦争の1場面~
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(図案拡大図)
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◆会所内の様子
宵山期間中の夕方 (6時から8時)頃に町内の子供達が集まって来て唄ってくれる○鯉山ローソク売りの唄 の歌詞が町会所に掲示してある。
見てみると・・

21日・22日 (宵々山)
♪ 鯉山のお守りは これよりでます
  御信心の御方様は 
受けてお帰りなされましょ
  ローソク一丁献じられましょ
  ローソク一本どうですか
  (ローソク一本どうですか)
22日 (宵山)   
♪ 鯉山のお守りは これよりでます
  明日はでません今晩限り
  御信心の御方様は 
受けてお帰りなされましょ
ローソク一本どうですか
  (ローソク一本どうですか)
        と、ある。

以下、全文・同文が平仮名で書かれている。
子供用バージョンである。

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◆会所内の様子
鯉の左側は、見送・重要文化財。
『イーリアス』トロイア戦争物語タペストリー。プリアモス祈願の図。
プリアモス王とその后・ヘカベーが描かれている。(復元新調)
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巡行の様子(2016年)
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前額に西洋草花文の刺繍。
(明治34年に新調。平成22年復元)。
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○水引・重要文化財。
鳥花束文様毛綴『イーリアス』
トロイア戦争物語タペストリー。
復元新調品。
○胴懸・重要文化財。
『イーリアス』トロイア戦争物語の
タペストリー。
○中央・アポロン像。 
右・登龍文様。左・双龍文様。
復元新調品。
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○見送・重要文化財。
『イーリアス』トロイア戦争物語タペストリー。
プリアモス祈願の図。
プリアモス王とその后・ヘカベーが描かれている。(復元新調)
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巡行の様子(2018年)
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巡行の様子(2019年)
鯉山 (こいやま)
大きな鯉が飛躍し、龍門の滝を登る鯉の奔放な雄姿をあらわしている。
朱塗鳥居を立て、奥の祠に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀る。
(無料配布・京都市観光協会・説明文、より)
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【付録】
京のまつり研究会設立10周年記念  京・まつり展.
2016年7月20日(水)~7月24日(日)(入場無料・フラッシュ不可・撮影可)
於・京都文化博物館 より
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○祇園祭山鉾34基の細密画(*より・鯉山)
この細密画は、大船鉾・鷹山の一部を除き、故 松田 元が10数年にわたって書く山鉾町を取材され、各山鉾の姿を精密に描いた昭和56年以前の細密画である。
これら山鉾の前掛、胴掛などの装飾品が、その後新調され、現在の山鉾と差異が生じているものもあるが、当時の山鉾の記録としては、貴重な史料である。
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●祇園祭・鯉山の町会所で見た「祇園祭の歴史」(2016年)

祇園祭の歴史  
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祇園祭、鯉山の町会所に端的に良く説明されている「祇園祭の歴史」の説明板があった。
それによると・・
毎年7月に、京都の八坂神社(祇園さん)と氏子の町々で行われる祇園祭は、絢爛豪華な山・鉾の巡行で知られる、日本を代表する夏祭である。

鴨川の東にある八坂神社は、素盞鳴尊を祀る神社で、平安時代の貞観18年(876)創祀と伝える。
歴史的には、10世紀松から延暦寺に属する宮寺となり、祇園感神院(かんしんいん)と呼ばれ、平安京の三条から五条の辺りを氏子地域としていた。

祇園祭は、厄病除けを祈願する御霊祭として始まり、祇園御霊会と呼ばれた。
祭礼は、神社から出た神輿が御旅所に渡御(とぎょ)し、そこで7日間祀られた後に、神社に還御(かんぎょ)する形を取っている。
その間、氏子や一般の人々が御旅所に参拝し、役病除けを祈願した。
平安時代から鎌倉時代にかけては、神輿の渡御や還御に際して、馬長(うまおさ)や剣鉾、獅子舞、田楽などの行列が出て、見物人で大いに賑わった。

山・鉾の巡航は、町々の成立した室町時代の14世紀から始まった。
初めは、将軍の見物に合わせて町が用意する出し物であったが、15世紀には恒例化し、明や高麗などの外国使節も見物した。
諸語大名も国元に祇園社を勧請し、祇園祭は全国に広がった。
鉾は車付きの移動舞台で、笛や太鼓の囃子に合わせて稚児が舞を披露した。
山には中国の故事や日本の伝説、町内の信仰に因んだ出し物の人形が飾られた。
応仁・文明の乱や天文法華の乱で一時途絶えた時期もあるが、幕府や町々の努力によりその都度復興した。

16世紀末に、御旅所が烏丸高辻から四条寺町に移転したことにより、祭りの形は大きく変わった。
江戸時代になると下京の町の祭として賑わい、神幸祭の日を前の祭、還幸祭の日を後の祭と呼ぶようになり、家々で屏風などを飾る傾向も始まった。
鉾が大型化し、外国製の染色の懸装品が鉾や山の四周を囲み、欄縁(らんぶち)や錺金具
(かざりかなぐ)などの工芸品も整い、
囃子(はやし)に鉦(かね)も加わった。
近世の京都の町を焼き尽くした数度の大火をも乗り越えて、祭りは続けられた。

19世紀後半には神仏分離などの諸改革により、神社名、祭神、祭日など、祇園祭を取り巻く環境は大きく変化した。
例えば、それまで6月7日・14日に営まれていた祭は、神幸祭が7月17日に、還幸祭が24日に改められた。
20世紀になっても、戦争や社会の変化、交通事情などにより、祭が中断し、存続が難しくなり、山鉾の巡行日や巡行路が変更されるなどの変化を被りながらも、祇園祭は京都の町衆の祭として力強く続けられてきて、21世紀の今日に
至っている。
           と、あった。

祇園祭山鉾町鳥瞰図
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以降、今後も継続の予定です。


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